第七章 第04話 久我英美里の憂鬱

   星暦アスタリア12511年 始まりの月トゥセルナ 第一旬カウ・サーヴ 第一日目イシガディーナ


   ――グレゴリオ暦20XX年 四月四日 水曜日

   ――八乙女、療養二日目


   ―4―


    ◇


 久我くが英美里えみりは二つのことで悩んでいた。

 まず、夫の様子がおかしいのだ。


 一体いつからだろうか。


 はっきりと覚えていないが、ふとした違和感をいだいたのは夫が初めてザハドにおもむき、帰ってきた頃だったと思われる。


 はっきりとこれ・・が、という変化があるわけではなかった。

 微妙に何かが違っているとしか言えなかった。

 原因を問おうにも何と聞いたものか分からず、気のせいだろうと取り敢えず受け流すしかなかった。


 そして今回、夫としては二度目のザハド訪問。

 帰ってきた純一じゅんいちは、はっきりと変わっていた。


 見た目ではない。

 はっする雰囲気のようなものが、明らかに違っているのだ。

 証拠こそないが、英美里には何故なぜか確信があった。


 ――――女だ。


 娘の瑠奈るなも微妙な変化をさっしているようで、父親と距離を取っているように見える。


 そしてもう一つは――その瑠奈のことだ。


 こちらの世界に来てから、以前の自宅のように完全なプライベートエリアがないために、瑠奈はほとんど話さなくなった。


 コミュニケーションを拒否するわけではないので、それに関しては特に心配していなかった英美里だが、ある人物との出会いが瑠奈を急激に変貌へんぼうさせているように彼女には思えた。


 八乙女やおとめ涼介りょうすけである。


 幼稚園を含め、これまで何人もの担任教師と関わってきた。

 その全てが女性であった。


 彼女たちの誰もが瑠奈のかかえる問題について真剣に考え、瑠奈にとってよいように、よいようにと心をくだいてくれていた。

 そのことに英美里は感謝している。


 前の小学校で少々問題が起き、結果として転校することにはなった。


 しかし新たな担任である秋月あきづきも学年主任の花園はなぞのも、日々ひび力を尽くしてくれていると英美里は感じている。


 そんな彼女たちでも、八乙女ほど瑠奈に心を開かせる者はいなかった。

 担任でもない彼に、どうして?

 少なくとも転移前には、接点などほとんどなかったはずなのに。


 最初に驚いたのが、気絶したという八乙女を自ら迎えに行ったことだ。

 その時一緒に遊んでいた御門みかどによれば、突然ふらふらと駆け出したらしい。


 次にびっくりしたのが、瑠奈が空手を習うと言い出したことだ。


 習う相手は椎奈しいなだったが、どうやら八乙女が始めると聞いて、一緒にやりたがったらしい。

 あの子が、格闘技?

 そんなものに興味を寄せるような素振りは、全くなかったのに。


 そして極め付きが、精神感応テレパシーとやらである。


 八乙女の指導のもと魔法ギームという不思議な力に目覚めた瑠奈は、言葉をはっせずに考えるだけで早見はやみ神代かみしろと会話をしていると言う。


 英美里には何が何だか分からなかった。


 魔法?

 精神感応?


 彼女自身、試しに何度か練習してみたが、使えるようになるきざしは見られず。

 なぜかほとんど興味を持てなかったので、大して気にも留めていなかった。


 どういうわけか八乙女とは通信していないらしいが、英美里は何となくその理由が分かるような気がしていた。


 おまけにその力をもって、八乙女の外交班に参加することを決めてしまった。

 母親である英美里から離れて。


 娘の成長は、もちろん喜ばしい。


 場面緘黙かんもくだって、いずれは克服こくふくしていかなければならないことだ。

 どんな子どもも、いつかは親元を巣立すだっていくことくらい、彼女は理解している。


 理解はしているが、ここにきてのあまりに急激に変わっていく瑠奈を、英美里は受け入れることが出来ないでいるのだった。


 寄るなき異境いきょうの地で、英美里は特別大切な二つの物をうしなうことへの恐怖にさいなまれている。


 夫の浮気疑惑はなやましいことではある。


 だが、現時点ではっきりクロと断定出来たわけではないので、問題の解決はこれから。

 つまりは、ひとまず横に置いておいてもいいということになる。


 問題は八乙女とのことだ。


 英美里自身、八乙女に対して特に含むところなどない、と自分では思っていた。


 瑠奈がなついていると言っても、八乙女が彼女に何か特別なことをしているわけでもない。

 むしろ、彼は節度せつどたもって瑠奈に接しているようにさえ見える。


 それなのに何故なぜか、どうしても感じてしまう「奪われてしまいそう」な焦燥しょうそう感、いや恐怖。


 夫に聞いたことだが、外交班での作業で、瑠奈は父親である純一がそこにいるのにも関わらず、八乙女の上着のすそつかんでいたそうだ。


 一体全体、どういうことなのか。


 ――英美里は頭では分かっている。


 八乙女には何の非もないことを。


 逆に、娘をあそこまで活動的にしてくれている彼には、感謝こそすれ非難などとんでもなく的外まとはずれなことであることも。


 それなのに、どうしても不安と恐怖が払拭ふっしょくできないのだ。


 ――妻の、そして母親の苦悩くのうは、続く。

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