第六章 第20話 星祭り 第一日目 ―2―

   星祭りアステロマ 第一日目イシガディーナ ―2―


    ◇


 さーてと、邪魔者は消えたし、そろそろ下に降りようかねっと。


 邪魔者なんて言ったら八乙女さんには悪いけど、いてもらっちゃあちょっと困るからね。


 僕――久我純一じゅんいち――は今、山風屋やまかぜや? 山風亭さんぷうてい? とか言う、サブリナの実家がやってる食堂けん宿屋の自室にいる。


 確か「プル・ファグナピュロス」だったかな。


 八乙女さんによれば「ファガード・ヌ・モナ・エ・ピュロス」が縮まって「ファグナピュロス」になったらしい。


 で、「~屋」ってところが「プル」。


 山と風の宿だから「山風亭」と意訳いやくしたと言っていたが、悪くないセンスだ。


 八乙女さんてば物好きなことに、ここの経営者のおっさんに服を借りてまで水掛け祭りとやらに出掛けて行った。


 サブリナと一緒に。


 普段の言語教室でも思うけど、仲がいいね、あの二人は。


 流石さすがけるとかじゃないにしても、ちょっとうらやましい気持ちはいなめないな。


 あの子は僕にもちゃんと愛想あいそよく接してくれるけど、八乙女さんとは何かひと味違うと言うか……多分信頼感の差なんだろう。


 何しろあの二人は、お互い言葉なんて全く分からない頃から、相手の言うことや気持ちを理解しようとあれこれ試行錯誤しこうさくごし合ってきた仲なんだから。


 おまけにうちのむすめまでめちゃくちゃなついてるし。


 信頼できる先生に出会えたってのは、喜ぶべきことだと僕にも分かる。

 特に瑠奈るなはああいう状態だから、余計にね。


 でも八乙女さんはあの子の担任ってわけでもなし、正直どうしてあそこまでと思う。


 ……まあいい。


 さっきまで僕たち三人は、階下かいかにある食堂で「半分に割ったパンとトマト風の真っ赤な野菜スープ」を食べていた。


 例の、本日限定の意味不明なメニューだ。


 量はともかく、スープの味はとてもよかったからお代わりしたかったけど、一人に決まった分しか提供できないと言われた、と八乙女さんに言われた。


 僕はあんまり食事にこだわりはないし、人並み外れて食べるわけでもないから、そこはとりあえずよしとする。


 そんなことよりも、僕の目当ては他にある。


 ――セリカさん。


 ドイツのディアンドルふう衣装いしょうがめちゃくちゃ似合っていた。


 こないだも思ったけど、彼女の美しさは正に女神としか表現しようがない。


 時々サブリナがセリカさんに話しかけて、そこに八乙女さんが加わって何かわちゃわちゃと楽しに話しているのを見て、


 僕も……僕も混ざりたい、と心底思った。


 ここだけの話、外交班に入ったのはエレディール語とやらをマスターして、セリカさんと話したかったからってのが八割くらいある。


 一応僕なりに頑張って練習したつもりだけど、やっぱり実際の場面になるとそう簡単にいかない。


 ……知ってた。


 そんなに甘いもんやおまへんや。

 ちゃんと真面目にやってはいたのに。

 まあ酒の味はともかく、セリカさんはきれいだ。


 そんなこんなで、なかなかセリカさんと話せなくてやきもきしてたけど、八乙女さんもサブリナも出掛けてしまったので、ようやくチャンス到来とうらいってやつだ。


 ということで、八乙女さんから渡されたお金を持って、僕は部屋を出た。


 階段につながる廊下を歩いていると、下から一人の女性がのぼってきた。


 彼女は僕を一瞥いちべつすると、そのまま上の階にさらに上っていった。


 ……見たことあるな、あの人。


 確か、お貴族様御一行ごいっこうが学校にやってきた時に、一緒にいた人だ。


 名前は……覚えてないや。


 サブリナたちと割と親し気に話していた気がする。

 ここのお客さんだったのか?


 いやいや、ただの宿屋のお客があのお歴々れきれきに混ざって学校に視察に来るか?


 結構な美人さんではあるが……セリカさんにはかなわない。


 ……まあいい。


 僕は木の階段をりる。


 いいね、この雰囲気ふんいき

 木と石で出来た建物。

 ぼんやりとともる不思議な照明の光とれる影。

 前に来た時にも思ったけど、妙にノスタルジックだ。


 階段を下りて食堂に足を踏み入れた瞬間、何か変な空気を感じた。


 やけにがらんとしている。

 見回してみてもお客は誰もいないみたいだ。

 厨房ちゅうぼうの奥から、水や食器がぶつかる音が聞こえてくる。


 きょろきょろと、ちょっと挙動不審きょどうふしんになりながら手近てぢかな席に座った。


 なかなか僕に気付いてもらえなくて、どうしたものかともじもじしていたら、やっと女将おかみさんと目が合った。


 彼女は一瞬驚いたように目をみはると、手をエプロンのようなものできながらこちらに歩いてきた。


ヴォッドユーノテスペドリフご用はなんでしょうか? アー、ノス……クゥガ久我さん?」


 おお。

 言ってる意味が分かる。

 僕は謎の感動を覚えた。


ズマルどこ、セリカ?」


「セリカ? ミテオーブランミスイル」


 きょとんとした顔で女将おかみさんが答える。


 ……弱ったな。


 今度は何て言ってるのかさっぱりだ。

 セリカさんを呼んでくれる様子もないし……まさか、もう帰ったとか?


ミユーノ彼女はノナいない? ……えーと、セマルここに?」

「ヤァ」


 マジかー……。


 しかしまあ、いないんならここに用はない。


 僕はお礼を言うと、怪訝けげんそうな表情で僕を見る女将さんの視線を背中に感じながら、もう一度階段をのぼって自室に戻った。


 確か八乙女さんによれば、ザハドの町民は今日は昼ご飯しか食べないらしい。

 それに合わせて飲食店も休業するのかも、と思い当たった。


(仕事がないんじゃあ、セリカさんだっているわけがないな)

 僕は靴をいで、備え付けのベッドにごろりと転がった。


 ということは、だ。


 次のチャンスは明日まで待たなきゃならないのか。

 また今日みたいにへんてこりんなルールがないといいんだけど。


 ――セリカさん……。


 まぶたの裏に彼女の姿が浮かび上がる。

 あの美しい声だって、脳内再生余裕だ。

 勝手に日本語をしゃべらせてみる。


(純一さん……好き)

「うはっ」


 僕は大き目のまくらももはさみながら、ごろんごろんと左右にもだころがる。

 ひかえめに言って、たまらん。


 ――そのままあれやこれやの妄想もうそう劇をり広げている内に、僕はいつまにか眠りに落ちてしまっていた。


    ◇


 その頃、山風亭さんぷうてい厨房キナスにて。


「あなた、ちょっと」

「ん? どうした? グリッド」


 サブリナの母親マードレであるテレシーグリッドが、かまどの掃除に余念のないペルオーラに話しかけた。


 今日は星祭りアステロア第一日目イシガディーナ


 昼食ミラウリス用の赤茄子リコピス汁物ブローズは無事にけた。

 明日の分の赤茄子はまだ十分じゅうぶんに残っている。

 四日目のためのとうもろこしカルスも。


「気付いた? さっきのお客さんクリエ

「客? ……ああ、りょーすきの連れハーブルの」

「そう。お店閉めたのに座ってた」

「星祭りのこと、よく知らないんだろ。今までも何人かいたじゃないか、そういうお客さんも」

「そうね。そこは別にいいのよ、そこは。ただね」


 グリッドは少しだけ口ごもった後、ぼそりと言った。


「セリカちゃんのこと、探してたのよ」

「セリカを?」

「前に来てた時も、さっきお昼をリィナたちと食べてる時もそうだったんだけどね、もうあからさまにセリカちゃんのこと、ずっと目で追いかけてたわ」

「ふーむ」


 ペルは手を止めて、少し考えるようにしてうなずいた。


「あの子は器量きりょうよしだからな、そのお客さんに限らず色んな男が彼女にこなをかけてきたが……まあ、客あしらいも上手うまい子だし、心配ないだろ」

「そうだといいんだけど……」

「まだセリカに何かしたってわけじゃないんだろう?」

「ええ」

「それなら少し様子を見よう。いざとなったらりょーすきを頼ればいい」

「……そうね。私も心配し過ぎかも知れないけど、何しろほら、領主ゼーレ様のお客様だから」

「そんなに無体むたいな真似をするような感じの人じゃないけどね、俺も気を付けておくから」

「わかったわ」


 話がいち段落すると、夫婦は再びそれぞれの仕事に集中していった。

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