第六章 第13話 聖斗の苦悩

「くそっ、くそっ……何でだよ、何で出来ねえんだ……」


 本日何十回目かのむくわれない努力の後、暗闇くらやみの中聖斗せいとは一人項垂うなだれる。


 時刻は午後九時過ぎ。

 夕飯の片付けもとっくに終わり、ほとんどの者がめいめい好きな場所でくつろいでいる時間。


 聖斗は三階の六年二組の教室にいた。

 LEDランタンは持っているが、点灯てんとうさせていない。


 聖斗が魔法ギーム固執こしつする理由、それは極々ごくごく子どもらしいものであり、決して特別な何かではない。


 彼は、いわゆる「剣と魔法」の世界観が大好きだった。

 小説やマンガはもとより、それらをあつかったゲームを心から愛していた。


 オリジナルの魔法やモンスターを考案こうあんし、戦闘バトルきょうじる人物たちをえがき、彼らが活躍する世界を日々空想していたのだ。


 一方おっぽうで聖斗は、小六としてはかなりバランス感覚に優れている少年だった。


 大好きな自分の趣味におぼれることなく、小学生の本分である学業にも十分な時間をいていたし、瑠奈るなと同い年の妹に対してはよき兄として、両親にとってもよき息子として振舞ふるまっていた。


 友達付き合いも決してないがしろにしていない。


 休み時間は多くの仲間とドッヂボールやケイドロ――警察と泥棒、首都圏ではドロケイ呼びらしい――を楽しみ、時にはバカ話に花を咲かせ、女子とも垣根かきねを作らずにフランクに接した。


 特筆とくひつすべきなのは、聖斗がそれらをいやいや演じているのではないということだ。


 実際のところは、彼の好きな小説のキャラクターに触発しょくはつされてのことだったのだが、彼は子どもらしい公明正大こうめいせいだいさで、自身が背負せおう様々な役割をまっとうしていた。


 そうした積み重ねが、ほぼ満場一致での児童会会長という一つの結果につながっている。


 現実の児童会は、マンガに出てくる生徒会のような突飛とっぴな組織ではない。


 しかし、役員として選ばれるのには相応そうおうの評価が必要なわけで、そういう意味でも聖斗の人望の厚さがうかがえると言うものである。


 八面六臂はちめんろっぴの活躍に一日の多くの時間をついやし、その中でやっと得られるわずかな自由時間を、彼は自分の世界に没頭ぼっとうして過ごしてきた。


 だからこそ、そこに込められた思いは中途半端ちゅうとはんぱなものではないのだ。


 そんな彼が――地球かどうかはまだ判然はんぜんとしていないが――見知らぬ土地に転移し、そこでは魔法が使えることが分かった。


 しかも、彼の親友たる朝陽あさひが軽々と行使できているのだ。


 異常とも見える熱意をってでも会得えとくしたいと願うのは、聖斗にとってごく当然のことだったのである。


朝陽あいつの言うことは、全部試した。八乙女やおとめ先生に教わったこともだ。くそう、それなのに……何が悪いんだってんだよ……」


 更に。


 今日の夕方、東の森から帰ってきて、一人になってから何度もフラッシュバックする、あの場面。


(芽衣ねえは、あいつをめた)

(こんなに頑張ってる俺じゃなくて、ほいほい魔法が使えるあいつを)


 芽衣は朝陽を褒めたあと、聖斗のことも偉いと言ってはいた。

 しかし聖斗には、その物言いはただ、ついでの付け足しにしか聞こえなかった。


「何でだよ……何であいつばっか……」


 別に褒めてもらいたくて練習していたわけじゃなかった。

 それでも……ねぎらって欲しかった。

 自分勝手な言い草かも知れないけど……いたわって欲しかった。


「……聖斗?」

「……っ!!」


 突然声を掛けられて、文字通り聖斗は一瞬だが、体育座りの姿勢しせいのまま数ミリ飛び上がった。


「聖斗? 僕だよ。入るよ?」


 手に持ったランタンと共に、朝陽が静かに教室に入ってきた。

 動揺どうようを知られたくないのか、聖斗は座ったまま姿勢をくずさず、窓の外を見つめていた。


 朝陽はゆっくりと聖斗に近づくと床にランタンを置き、彼の隣に同じように座った。


「やっぱりここにいたんだね」

 聖斗が一人で練習する時、度々たびたびここを使っていることを朝陽は知っていた。


(何で来たんだ、朝陽……)


 聖斗は自分が今、朝陽にいだいている感情の正体をちゃんと分かっている。

 そのままぶつけるべきものではないことも、きちんとわきまえていた。


 しかし――


(今、お前に来られたら……)


「星祭り、楽しみだよね」

「……ぁぁ」


 かろうじて声をしぼり出す聖斗。


 ここが暗闇くらやみでよかった。

 今の自分の顔を、朝陽こいつに見られたくない。


「さっきさ、保健の先生のとこに行ってきたんだ」

「……」

「ほら、あの先生、魔法ギームの練習して少し使えるようになったって言うからさ、どんな練習したのかとかコツとか、聞こうと思ってさ」


 少しでも聖斗の参考になれば、と願った末の朝陽の行動だった。

 その思いが、聖斗に伝わったかどうか。


「でも、やっぱり八乙女先生が言ってたことを、ただ繰り返してただけなんだって。ってことはさ、聖斗にも可能性があるってことじゃん」


(ぐっ……)


 聖斗は自分の胸の辺りに、得体の知れない何かが凝集ぎょうしゅうしていくのを感じた。


 それ・・に何かを形作かたちづくらせてはいけない――彼の理性は必死で警鐘けいしょうを鳴らしているが、集まるほどにそれ・・は引き込む強さを増していった。


 聖斗はこれ以上はまずいと感じて、この場を去ろうと腰を浮かせた。


(頼むから……もうしゃべらないでく――)

「芽衣さんもさー、分かってないよね。頑張ってるのは僕じゃなくて、聖斗なのに」


 音のない音と共に、ああ……と聖斗は思った。


 友情か、思慕しぼねんか、別の何かか、その一部か全てか。

 理性の最後の欠片かけらが、くだけてった。


「ところで聖斗はまだ練習、続けるの? それなら僕も協力す――」

だまれよ」

「え……?」


(え? ……今僕、黙れって言われた……?)

 朝陽は自分の耳を疑った。


「黙れっつったんだよ。誰がそんなこと頼んだよ?」

「え、いや……だって、ほら」

「ひとつ言っとくわ」


 聖斗はゆらりと立ち上がった。


 戸惑とまどう朝陽にゆっくりと顔を向ける。

 その無機質な顔を見て、朝陽は背骨せぼねに氷をめられたような、空恐ろしいものを感じた。


金輪際こんりんざい、俺に関わるな」

「ど、どういう……」

「あの女にも、そう伝えておけよ」

「え、ええ?」


 言い捨てると、聖斗は明かりの消えているランタンを手に取った。

 そしてそのまま振り返ることなく、暗い廊下に消えていった。

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