第六章 第12話 岐路

 全体会議で班編成が見直された。

 そこで生まれた新しい班――外交班――に入ることにした御門みかど芽衣めい


 今日も外交班の仕事の一つである「言語教室」を終え、仲間と一緒に帰途きとについていた。

 彼女の前で、魔法ギームの練習に懸命な聖斗せいとと、何とか有用な助言をしようと頭をひねる朝陽あさひ


 彼らの様子を後ろから見守りながら、芽衣は先日、涼介りょうすけと交わした会話を思い出していた。


    ☆


芽衣めい、ちょっといいか?」

「ん? いいよ。どしたの?」


 その日の辞典作りの作業がいち段落して、休憩きゅうけいがてらグラウンドでストレッチをしていると、後ろから涼介りょうすけが話しかけてきた。


 涼介は芽衣の横に並ぶと、彼女と同じように背や脚を伸ばし始めた。


「お前、澪羽とケンカしてんの?」

 芽衣は、わざわざ一人の時に涼介が声を掛けてきた段階で、何となくさっしていた。


「あの子が相談でもしてきたの?」

「いや」

 涼介は屈伸くっしんしながら答える。


「俺から声を掛けたんだ。偶然ぐうぜんだったけど、様子がおかしいのを見ちまったからな」

「ふーん……で?」

「で、とは?」


 アキレスけんを伸ばしながら、問いに問いで返す涼介。


「お説教だったら間に合ってるから」

「説教する気なんてないぞ」

「……そうなの?」

「まあ、ことのあらましは澪羽から聞いたけどさ、別にお前は説教されるようなことはしてないじゃんか」

「え……?」


 軽く驚いて涼介を見た。

 何故なぜ正拳せいけん突きを始めている。


「大体、ムカつくことされればそりゃあお前……ふんっ……ムカつくもんだろ」

「……そうだね」

「それより、最近お前、辞典作りとか言語教室とか、妙に張り切ってるな」

「えぇ? ま、まあね」

純一じゅんいちさんもめてたんだよ。すごく前のめりで聞いてくるから、何か職場の後輩を思い出したってさ」

「何それ。どこが褒めてんの?」

「え? いや、褒めてるだろ?」


 そう言いながら涼介は両肘りょうひじを背中の方に引き、てのひらを開いてゆっくりと両腕を前に突き出す。


「ねえせんせー」

「ん?」

「さっきから何やってんの? ストレッチしてるんじゃないの?」

「あれ、芽衣は知らないのか?」


 今度は両腕を伸ばして上げる。

 上げ切ったら、下げてお腹のところで両手を重ねてうつむく。


「我が国の国営放送でやってる、『みんなの体操』ってんだけど」

「みんなの……ああ、そう言えば」


 小中と体操と言えばラジオ体操だったのが、高校に入って別の体操を覚えさせられたのを芽衣は思い出した。


 一部のアホな男子たちが、最初の運動をも〇も〇運動とかしょーもないこと言ってたなあという、しょーもない記憶と共に。


「俺も何かの研修でやらされたんだけど、もうほとんど忘れちまったから覚えてるのだけ、やってみてるんだ」

「……てかせんせー、マジで何しに来たの?」

「? ストレッチだが?」


 しれっとした顔でそう言うと、


「さて、じゃあ聞きたいことも聞けたし、ストレッチも終わったから俺は作業に戻るよ。芽衣もひと休みしたら来いよ?」

「あ、うん。分かった」


 手をぷらぷらと振りながら図書コーナーに戻っていく涼介の姿を、芽衣はぽかんと見つめていた。


    ※※※


(で、あたしは何でこんなことを思い出したわけ?)


 特にのある記憶というふうでもなさそうだったが、なぜか芽衣は森の中を吹く風を妙に優しく感じていた。

 読まずにほうってある澪羽からの手紙、部屋に戻ったらふうを開けてみようか――どういうわけか不思議と、そんな気になった。


 目の前を歩く男児二人は、相変わらずの様子だ。

 聖斗せいとの疑問に、真摯しんしこたえる姿に誰を投影とうえいしたのか、芽衣は思わず声を掛けた。


朝陽あさひ、偉いね」


 え? と、二人が同時に振り返った。


辛抱しんぼう強く聖斗に教えてるの、偉いと思うよ。なかなか出来ることじゃないんじゃない?」

「……僕、別に偉くなんかないよ」

「……」

「あー、もちろん頑張ってる聖斗も偉いよ」


 芽衣としては、二人を平等にめたつもりだった。

 もちろん、どちらかを特別贔屓ひいきするような気持ちもない。


 しかし、更に後ろを歩いていた葉澄はずみれいは、振り返った聖斗が一瞬だけ見せた表情に思わず足を止め、お互いに顔を見合わせた。


 二人は当然のことながら、聖斗の異常とも言えるほどの執着で魔法を練習していることを知っている。


 何故なぜそこまでと正直思わなくもないが、彼のまずたゆまずはげむ姿に、子どものことながら敬意すら覚えているのだ。


 それに――聖斗が芽衣にひそかに心惹こころひかれていることは、なかば公然の事実であり、気付かれていないと思っているのは当人たちだけということもある。


 えて皆、触れたり茶化したりせずに、彼の願いが成就じょうじゅするかどうかを温かく見守っていたのだ。


(だからこそ、褒めるんだったら先に天方君からの方がよかったのに……)


 勝手な感想だと分かっていても、葉澄は思わずそう胸の内でつぶやいていた。

 玲も同じ心持ちでいる。


 められた、当の朝陽ですら。


「そうだよな。ありがとよ、朝陽」

「そうそう、偉い偉い」


 聖斗の表情はかげって見えない。

 芽衣のダメ押しとすら思える追撃に、葉澄と玲は胸のつぶれる思いだった。


(ここまで空気の読めない子じゃなかったと思うんだけど)


 芽衣のほうにも、心中しんちゅう穏やかではいられない事情があることを全く知らない葉澄ではなかったが、まさかそのことが影響している可能性にまでは思い至らなかった。


 ――森の出口が近付き、西にかたむいた陽光が彼らのかげを道に長く落とす。


 ひとかたまりに見えていた聖斗と朝陽のそれが、夕日にれながら少しずつ離れていき、そして二つに分かたれたのを、葉澄は確かに見たのだった。

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