第五章 第24話 学校訪問 二日目 その4

 ザハドの人たちが、俺たちの学校を見に来ている。


 午前中からイベント目白押しの二日目。


 空手の練習風景と演武えんぶ披露ひろうしたあとは、音楽室で山吹やまぶき葉澄はずみ先生によるピアノリサイタルだ。


 開始早々、立て続けに二曲いたところで彼女は立ち上がり、中央で一礼した。


    ☆


ようこそオナヴェーニャ私の演奏会へいらっしゃいましたサヴァートアリスリサイタル


 こっちの国エレディールの言葉で「演奏会」をどう言ったらいいのかまだ分からないので、俺たちの言葉でそのまんま「リサイタル」と言うことにしたんだが、果たして通じるだろうか。


 ……変な意味になってないことをいのる。


これはピアノと言いますセオユーノピアノ

 と言って、今まで弾いていた楽器を手でし示す。


 ……まあ正式名称は「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」らしいけど。


 よく演奏会とかの舞台配置図なんかで、「pf」って書かれてるのを見る。


 ――そして山吹先生は、右手で「イシウスセスタスゴウライ」とザハド式で数えながら、


全部で六曲弾きますライ、トアーテ


 と言った。


 正確には「全部で六」と言っただけなので、伝わってくれるといいんだけどな。


 ――三曲目が始まった。


 円舞曲ワルツ第七番。

 これもいい曲だ。


 一曲目から「激情」「優美ゆうび」と来て、三曲目のこれは「哀切あいせつ」って感じがする。


 あくまで個人的な感想だが。


 個人的と言えば、この曲とスケルツォ第二番スケにって、ちょっとだけ似てるって思うのは俺だけだろうか。


 出だしのところとか、くるくる回るようなところとか。


 ……まあ個人的と言うか、表面的なとこだけだけどね。


 ――次。


 四曲目は、前奏曲プレリュード第六番。


 これはショパンではなく、何とラフマニノフのだ。


 ――旋律せんりつの美しさって点では、このラフマニノフもショパンと同じくらいヤバいと思う。


 この曲ももちろんそうだが、「パガニーニの主題による狂詩曲ラプソディ第十八変奏ヴァリエーション」とか、ピアノ曲じゃないけど「交響曲シンフォニー第二番第三楽章」とか聴くと、あまりの美しさにマジで昇天しそうになる。


 言うまでもないかも知れないが、ピアノ協奏曲コンチェルトの第二番と第三番も俺の大好物だ。


 私事わたくしごとで済まないけど、ショパンとラフマニノフ――この二人は俺の好きな作曲家の同率一位なのだ。


 ――それにしても、ショパンの曲とは、同じ美しさでもおもむきがまた違っていいなあ……。


 この曲は「美麗びれい」とか「流麗りゅうれい」って印象だ。


 ――――――

 ――――

 ――そして、四曲目が終わった。


 ……ん?


 終わったのに……山吹先生はそのまま動かない。


 ――プレイヤーの中には、しばらく鍵盤けんばんをじっと見つめてからおもむろに弾き始める人がいるけど、そういう感じでもない。


 ……三十秒ほどして、少しざわざわし始めた時、


 ――ガラリ。


 音楽準備室のドアが開いた。


 出てきたのは何と――――校長先生だった。


 左手に大きな楽器を持ってる――あれは……チェロか。


 俺、こんなの全然聞いてないぞ……?

 サプライズというか、演出なのだろうか。


 校長先生は正面までゆっくりと歩き、置いてあったパイプ椅子の前で一礼すると、そのまま座った。


 なるほどそうか、椅子はこのためだったのか。


 すると突然、校長先生がボウを落とした。

 一瞬はっとした様子だったが、すぐに苦笑いしながらひろう。


(大丈夫かな……)


 体調が万全ではない状態が続いているみたいだから、ちょっとしたことでも心配になってしまう。


 二人は軽くうなずくと、それぞれの楽器に向き合った。

 そして、山吹先生の方から演奏を始めた。


 ラフマニノフのチェロ・ソナタト短調第三楽章。

 ラフマニノフが一曲だけ書いた、チェロ・ソナタだ。


 途中からチェロが入って、一旦いったんメロディをピアノから受け取る。


 ――調和ハーモニーが美しすぎる……何だこれ。


 ただでさえ美麗びれい旋律メロディが、旋律と伴奏という単純な構図だけじゃなくて主旋律と裏メロみたいにからみ合うと言うか……。


 ……いやいや、やっぱり俺の貧弱ひんじゃくなボキャブラリーで魅力を語るのは無理すぎて、もう野暮やぼきわみだな。


 しかもよく見ると、二人とも、何と目をつぶって演奏してる!


 すごいな。

 どのくらい練習したんだろうか。


 山吹先生なんて、仕事がら俺と一緒のことが多かったってのに、一体いつの間に……。

 息ぴったりだ。


 ――それに、校長先生にこんな特技があったなんて、ついぞ知らなかった。


 後で聞いたら、本校に俺が赴任ふにんする前には放課後とかに時々披露ひろうしていたらしい。

 どうしてやらなくなってしまったんだろうか。


 ――演奏が終わった。


 再び万雷ばんらいの拍手だ。

 澪羽が涙ぐんでいる。


 不思議だよな……かなしいわけでもないのに、感動すると何故なぜ泣けてくるのか。


 拍手の中、二人が立ち上がり、その場で一礼する。

 校長先生はそのまま、音楽準備室にけていった。


 もしかして、このまま戻ってこないのだろうか……。


最後のクォラリージェです」


 山吹先生が、静かな声で告げた。


 本当は「リージェ」は「歌」の意味のはずなんだけど、「曲」に相応ふさしい語が分からないのだ。

 でもきっと通じるだろう。


 椅子に座り直すと、軽く首を回す山吹先生。

 ゆっくりと鍵盤けんばんに手をかざし、弾き始めた六曲目は――


 ――ショパンの前奏曲プレリュード第二十四番ニ短調。


 一曲目の練習曲エチュードとはまた違う意味での激烈さを感じる。

 イントロの重々しさに一発で意識を持っていかれてしまった。


 荘厳そうごん? 荘重そうちょう


 いずれにしても「最後を締めくくる」のに相応ふさわしい曲であることに間違いはない。


 ――終結部コーダに入った。


 もうここについては、何と言ったらいいのか分からない。


 一体どういう奇跡が起こって、こんな激情が爆発したようなオクターヴの旋律メロディが生まれたんだろうと思うほどのすさまじいフレーズ。


 そして最後に、高音部から下がっていった後の、一番低いDの音を右手で三回、ダン――ダン――ダン――と強打して……曲が終わった。


 ――それから数秒間、音楽室は時間が止まったかのようだった。


 山吹先生も打鍵だけんしたまま動かず、俺たちも身動みじろぎできず、音のない余韻よいんだけが殷々いんいんと部屋を埋め尽くしていた。


 ――もちろん、そのあとに今度こそ、音楽室がこわれんばかりの拍手が巻き起こったことは言うまでもない。

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