第五章 第23話 学校訪問 二日目 その3

 俺たちの空手の紹介が終わり、休憩やら準備やらで三十分ほどったあと、場所を音楽室に移して次のイベントが始まった。


 山吹やまぶき先生による、ピアノリサイタルだ。


 ちなみに音楽室は普段、女子部屋の一つになっていて、今日この時のために荷物等は一旦いったん図書コーナーのすみほうに移動されている。


 空手の時は危なそうだったから椅子を使わなかったけれど、こっちの人たちは地べた・・・に座る習慣があんまりないようなので、パイプ椅子を用意。


 案内役も山吹先生から俺にバトンタッチしている。


 ――客席にはお客さんたちだけじゃなくて、手のいている学校側メンバーもいる。


 さっきの演武の時も、廊下から見てる人は何人かいた。


 今いるのは……芽衣めい澪羽みはね壬生みぶ先生、英美里えみりさんと瑠奈るな上野原うえのはらさん、諏訪すわさんくらいかな。


 残りの人たちは、恐らく昼食の仕込みでてんてこ舞いなんだろう。


 ――そう言えば、この国の音楽事情とか全然分かっていない。


 ザハドに行った時も、かね以外それっぽいものを聞いた記憶がないのだ。


 ラッパを吹いたりギターを爪弾つまびいたりするジェスチャーで、それらしい言葉を一応「音楽メイラット」と訳してるけど、まだ「楽器」とか「演奏」って可能性もある。


 ――ガラリ。


 ドアがひらく音がして、音楽準備室から山吹先生が出てきた。


 白いブラウスに、黒いミモレたけのスカート……昨日も似たような恰好かっこうだったし、さっきも見てるはずなのに、背筋をピンと伸ばして優美ゆうびに歩く彼女は、俺の眼に何だか新鮮にうつった。


 皆の前に出て一礼。


 拍手を浴びながら、中央に置いてあった椅子には座らず、そのままトムソン椅子に座る。


 そして無言のまま、いきなり一曲目に入った。


 ――ショパンの練習曲エチュード四番。


 構成としてはよくある曲順なのかも知れないが、最初にこれを持ってくるのはなかなかに効果的だと思う。

 初めて聴く人は大抵、度肝どぎもを抜かれるんじゃないかな。


 この曲に対する俺の感想は、幼稚ようちで悪いが「とにかくかっこいい」だ。


 こっそり皆の様子を見渡してみる。


 ……自分たちのことをどう呼んでいいのか分からないから、取り敢えず学校勢としとくか。


 まず、俺たち学校勢はお客さんたちの後ろに座っているんだが、隣にいる芽衣や澪羽は目をつぶって聴き入っている。


 まあ普通の鑑賞かんしょう仕方しかただな。


 一方いっぽうザハド勢は、案のじょう聴き入ると言うよりは瞠目どうもくしてるというか、山吹先生の驚異きょうい的な指の動きと、そこからつむぎ出される音の奔流ほんりゅうを前にすべなしといった様子だ。


 目の前のパフォーマンスを「聴いて楽しむもの」とは、まだ認識できていないような、そんな感じがする。


 まあ実際のところ、音楽だから聴くもんではあるけど、生演奏なら奏者そうしゃの動きも楽しみのうちだよな。


 ――おーきたきた。


 最後のとこコーダの超かっこいいところ。

 ホントにたまらん。


 ……なんか感想がバカカダグラーヴァみたいになってしまうのは勘弁かんべんしてほしい。


 俺はきっと食レポとかも「このお肉の美味しさは、とっても美味しいです」とか「歯ごたえが、すげえすごいです」レベルでしか出来ないタイプだから。


 ……終わった。


 いやいや、ホントにすごいな……。

 すごいとしか言えなくて、申し訳ないくらいすごい。


 こんな演奏をする山吹先生もすごいし、こんな曲を作ったショパンも凄いし、作ったのが明治維新より三十五年も前だってのも凄い。


 ――何か聞いた話によると、この練習曲四番の前の三番――「別れの曲」ね――の譜面ふめんの最後に、この三番をいたらそく、次の四番を弾けみたいな、ショパン自筆の指示が書かれているはんがあるんだとか。


 その指示の理由とか意図いとは俺には全然分からないけど、実際にそうやって弾くのを聞いたとしたら、確かに演奏効果とかばく上がりすると思う。


 ――お、そのまま次の曲が始まった。


 最初の二音におんでもう、誰でも何の曲か分かるってくらい有名であろう――夜想曲ノクターン第二番。


 んー……何て言うか、ショパンのメロディメイカーとしての才能、ヤバぎん?って思う。

 どうやったらこんなに美しい旋律メロディを思いつけるんだ?


 俺はあんまり簡単に「神」って言葉を使いたくない派なんだが、同じ夜想曲の八番なんか、まさに「神がかっている」としか表現できない極上ごくじょう至高しこう甘美かんびさなんだよね。


 ……二曲目がもうすぐ終わる。


 ティルリルティルリルティルリル……って繰り返しがはかなげに終わって、余韻よいんたっぷりに最後の音が響くと、ゆっくりとくうに溶けていった。


 そこでゆっくりと立ち上がり、前に出てきて一礼する山吹先生。


 ――雷鳴のような拍手が彼女に贈られた。

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