第五章 第17話 ヴァルカ!

「やっぱり三階は、汚れがひどいですね」


 あっという間に真っ黒になる雑巾ぞうきんを見て、俺――八乙女やおとめ涼介りょうすけ――はうんざりする。


 バケツの水でゆすぐの、もう何回目だ?

 汚れた水をえるのに一々いちいち一階にりなきゃならないのが、地味にだるい。


「仕方ないよね、東側に壁がないんだから」

 北側の壁を根気強くきながら、瓜生うりゅう先生が疲れた笑顔で言う。


 一階や二階と比べて壁面積の少ない三階は、ほこりまり方が流石さすがに違う。


 これでも一応、定期的に掃除はしているのだ。

 けれども、し場とか空手の練習に使うところ以外は、やはり汚れやすい。


 ――明日のリューグラムさん御一行ごいっこうの学校訪問をひかえて、今日はみんなして準備にバタバタしている。


 こないだザハドに行った時の会食で、ここを訪問したいと打診されたのだ。


 どうしたものかと教頭先生とその場で相談した結果、こっちが行かせてもらってるのにあちらさんはNGというのは如何いかにも不誠実ふせいじつだろうと。


 ……ま、そりゃそうだ。


 日時とか訪問予定者なんかの詳細しょうさいは、十日ほど前に連絡が来た。


 ――で、いなやはなし・・ってのはしゃーなしとして、何しろ学校の一部だけしかない状態だから、宿泊できるようなき教室がない。


 まとまって会食できるような場所もグラウンドしかない。


 屋内おくないじゃあせいぜい職員室だけど、応接スペースを使っても今いる二十三人でいっぱいいっぱいだしね。


 体育館も転移してきてくれればよかったのかも知れないけど、雰囲気的にそれも微妙か……いや、アリかな。


 どっちにしろないものねだりだ。


「三階はあんまり使ってないんすから、お見せしなくていいんじゃないすかね」

「まあ俺も同感だけど、見たいって言われたら断れないでしょ」


 廊下をほうきいている諏訪すわさんが泣きを入れてくる。


 準備の分担は、大まかに二つだ。

 料理と、場所の整理。


 何しろ俺たち二十三名プラスお客さん十三名様の、計六食分だ。

 生半可なまはんかな量ではない。


 それに、俺たちは十分じゅうぶんすぎる歓待かんたいすでに二回も受けている手前、可能な限りのおもてなしをしなければ人道にもとるとも言える。


 とにかくそれだけの質と量を、当日ちまちまと作っていては間に合わないということで、材料上どうしても限界はあるけれども、全力で用意しようとなったのだ。


 ……ちなみに、前回ザハドから提供してもらった物資は、いつもの倍以上あった。


 今回の訪問のことを見越してのことだろう――気をつかってくれてるのが分かる。


「多目的室と家庭科室は……やっぱりやらなきゃだめすかね」


「んー、多目的室は倉庫扱いになってるから、さっとやる程度でいいんじゃないかな。家庭科室は興味を引きそうだから、ちゃんとやろう」


「うへえ、了解っす……」


 そんな感じで、料理の方は女性陣を中心にして、腕に覚えのある人たちが気合いを入れて取り組んでいる。


 そっちの方では全くの戦力外である俺たちは、必然的に校内を掃除して回ることになったというわけだ。


 ――いや、俺だって独り暮らししてたんだから、家事だってそれなりに出来るし、手伝うって言ったんだけど、「せまいところにデカいのがうろうろしてると邪魔」と辛辣しんらつなお言葉を頂いてしまったのだ。


 ま、花園はなぞの先生と不破ふわ先生が綿密めんみつ段取だんどってやってるみたいだから、船は船頭せんどうにってことで任せよう。


 それに……俺には肉体労働以外でも果たさなきゃならない役目がある。

 もちろん、いつもの通訳だ。


 ――ザハドの人たちとの交流が始まって、結構つ。


 なかば成り行きのような形で、俺と山吹やまぶき先生は窓口的な役割をになうことになったわけだけど、やるからには意思疎通をより正確におこないたいという気持ちがある。


 特にこの世界、と言っていいのかまだ分からないが、とにかくここの社会のことをある程度知らずに、元の世界に戻る方法を見つけることは困難こんなんだと思うのだ。


 多分それはリューグラムきょうほうも同じで、まだ子どもに過ぎないリィナやシーラを毎回通訳として帯同たいどうさせているのは、こちらに対する理解度をなるたけ上げたいと言う思いの表れだと俺は考えている。


 そうした両者の利害の一致もあって、こないだの二回目の訪問以来、週に二度か三度くらいの頻度ひんどで勉強会のようなものをひらくようになった。


 場所は、東の森の中にある建物だ。

 恐らく狩猟しゅりょう小屋か何かじゃないだろうか。


 向こうの参加者は大抵はカルエリックに連れられたリィナとシーラ、たまにシーラの兄だと言うロヨラスが引率いんそつしてくることも。


 まあ流石さすがに、子どもだけでってわけにはいかないようだ。


 ――更に、学舎で読み書きを教えているオズワルコスという男性教師も参加するようになった。


 彼の参加によって、子どもだけではカバーし切れない知識や概念がいねん翻訳ほんやくが大きく進むことになったのは僥倖ぎょうこうだった。


 こちらの参加者は、俺と山吹先生。


 芽衣めい瑠奈るなたちが参加したがったけれど、一応遊びではないのである程度の成果が出るまでは遠慮してもらっている。


 スケッチブックを駆使くししながら昼をはさんで数時間、かなりがっつりと取り組んでいるため、結構な数の名詞や形容詞、基本的な動詞、慣用的な言い回しなんかは分かってきた。


 リィナたちも結構日本語が上達しきてる……んじゃないかな。


 一定時間、日本語だけ、あっちの言葉だけってのをやってると、日常会話で知りたい言葉や表現が浮きりになってくるんだよね。


 ただし、文字についてはお互いほとんどノータッチのままだ。

 ヒエログリフ並みに分からん。


 まあ……今はとにかくコミュニケーションが最優先だからね。


 ペラペラのスラスラになるまではまだまだ先が長いだろうけど、地道に続けていきたいと思う。


「お掃除の人たちー! 誰か一人ひとり、ちょっと手伝ってー!」


 階下かいかからだ。

 如月きさらぎ先生の声だな。


 ちなみに掃除にいそしんでるのは、俺と瓜生先生と諏訪さん以外に壬生みぶ先生と久我くがさんもいるんだが、後者こうしゃ二人は裏の駐車場のとことか外回りを担当している。


 だから、呼ばれているのは俺たちだ。


「誰が行きます? 俺は行きたいですよ」

「もちろん、僕も行きたいよ」

「僕だって行きたいっすよ」


 さて困った。

 ここは定番のジャンケンで決めるか。


「んじゃ、ジャンケンで決めますか」

「いいっすね。なら、こないだ教頭せんせーたちに教わった『ザハド式』でどうっすか?」

「あれかー、一応説明は聞いたけど、どんなのだっけ……」


 驚いたことに、こちらにもジャンケンがあったのだ。


 こないだのザハド訪問のおりに、教頭先生と不破先生が現地の子どもたちに教わってきた。


 普通、ジャンケンは三竦さんすくみが基本なところ、ザハドでは四すくみ方式だった。


 ――すなわち「ベルツェル」「ペイル」「ターオ」「ギーリア」の四つ。


 一つは「あいこクルタート」の組み合わせだから、正確には「三竦みプラスあいこ」だけど。


 最初の合図は、「イシウスヴァルカ!」


 ――剣は、弓に勝ち、槍に負け、盾とはあいこ。

 ――盾は、槍に勝ち、弓に負け、剣とはあいこ。

 ――槍は、剣に勝ち、盾に負け、弓とはあいこ。

 ――弓は、盾に勝ち、剣に負け、槍とはあいこ。


 もちろん、同じものを出してもあいこなので、あいこは二種類。


 同じ手であいこの場合、お互い一旦いったん手を引いて「イシウス」から仕切り直し。

 違う手であいこの場合、手を出したまますぐさま次の手に変える。

 この時「オー!」と声を出す。


 後出しは問答無用で負けなので、なるべく早く手を変える。

 戦闘中に躊躇ちゅうちょする奴は、命を落とすのだ。


 ちなみに、この「あいこ処理」は、一対一タイマンの時だけのルール。

 三人以上でやる時は、いわゆる「グーパー」方式だ(分かるかな?)。


 手の形だが、


 ――剣は、人差し指を一本、上に向けて立てる。

 ――盾は、手の平を開いて相手に向ける。

 ――槍は、サムズアップの形で親指を相手に向ける。

 ――弓は、チョキの形を両目潰しサミングのように相手に向ける。


 ……目つぶしは、本来親指サムってのは分かってるから、突っ込まないでね。


「せーの!」

「イシ、ウス、ヴァルカ!」


 俺は「ターオ」。

 瓜生先生と諏訪さんは「ベルツェル」。

 遠い間合いから、一撃でぶっしてやったぜ。


「よっしゃ!」

「あれ、これ負けっすか?」

「いまいち分からないなあ、これ」


 ま、勝ちは勝ちなので。


 掃除の方、後はよろしく!

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