第五章 第12話 花咲む君

 僕――久我くが純一じゅんいち――は今、見知らぬ土地にたった一人で立っている。


 学校にいる英美里瑠奈が一緒じゃないことは寂しいような、少しだけ解放されたような、なかなかに複雑な気分だ。


 いやいや別に、邪魔だとか思ってるわけじゃない。


 言うまでもなくかけがえのない大切な存在だし、学校の仲間の多くはそういう大事な人たちと離れ離れになっている人ばかり。


 そう言う意味で僕がずいぶん恵まれてるってことは、十分に理解してるさ。


 ――それでもやっぱり、こうして異国の地を一人でフラフラと彷徨さまよってると、言いようのないワクワク感で興奮が止まらない。


 見慣れない様式の建物も、日本人とは全然違う容姿ようしの人たちが道を行きう様子も、ちょっと子どもじみた言い方をすれば、全てが宝物みたいに僕の眼にはうつってる。


 少しだけ心配していた言葉の問題も、案外どうにかなるもんだ。


 事前にある程度は、八乙女やおとめさんたちからレクチャーされていたし、さっきだって屋台で問題なく串焼きを買えた。


 声を掛けてくる人までいるんだ。

 サリエーテこんにちはってね。


 小遣こづかいは、あの動画でも見たサブリナって子からもらった。

 と言っても、彼女のポケットマネーじゃなくて、僕ら用にあずかっていたお金だろうね。


 銀色の硬貨こうかを十枚ほど……銀貨ってやつだろうか。

 さっき串焼きを買う時に一枚出したら、くすんだ赤銅色しゃくどういろの硬貨三枚になって返ってきた。


 ――そうそう。


 サブリナって動画で見た時も思ったけど、実際に顔を合わせて見るとあれ、結構な美人だろ。

 まだ十一歳だと聞いてぶったまげた。


 一緒にいたドルシラって子は、更に大人っぽかった。

 きっとそういう民族って言うか、人種なんだろうな。


 ……いや、子どもだし、別に何する気もないよ。


 ただ、老若ろうにゃく関係なくきれいなものはきれいだって言いたいだけ。


 ――ふう、流石さすがにちょっと疲れたか。


 午前中ずっと、気の向くままに歩き回ってたからね。


 さっき串肉食べて、腹ペコってわけじゃないけどもうちょい何か入れたい気もするし……でも店が分からない。


 現状ちょっとした挨拶あいさつくらいは出来ても、文字を読むとなると完全にお手上げだ。


 何しろ、僕の知ってる文字とは似ても似つかないから。


 キリル文字ですら読めないってのに、看板に書かれている文字らしきものは、アラビア文字とかヒンディー語のデーヴァナーガリー文字なみに意味不明だ。


 どうしたものかな……。


 目に付く店を片っぱしからためすのも恥ずかしいし面倒だし、泊まる予定の宿屋に集まる時刻にはまだ早すぎるし……待てよ?


 夕飯は宿屋でって言ってたな。


 ……ってことは早めに行って、いろいろつまんでのんびり飲んだくれながら、みんなを待つのもアリか?


 アリだな!


 早速さっそく向かうことにしよう。

 確か、あの広場につながる大通り沿いだって聞いてたから――あれか?

 結構大きい建物だな。

 よし、入るか。


 ギィ。


「サヴァート!」


 おう……元気な声が飛んできた。

 これはあれか? いらっしゃいませ的な意味か?


 店の中を見渡してみると……おお、何でか分からないけれど「酒場タヴァーン」という言葉が自然と脳内に浮かび上がってきた。


 僕の記憶の中にある、西洋の薄暗うすぐらくて古めかしい酒場。


 昔読んだ何かの冒険小説でえがかれていたやつか、ずいぶん前にレトロゲーでいち時期ハマっていた、ワイヤーフレームで描画びょうがされるタイプの元祖的ダンジョンRPGに出てくる、古代メソポタミアの伝説的な王の名をかんしたあの酒場のイメージか。


 とにかく、そいつがそのまんま目の前に現出げんしゅつしたって感じだ。

 これはいい!


 僕は適当にいた席を探し、おもむろに腰かけた。

 ファミレスじゃないんだから、当然メニューなんかないだろう。


 すると、さっきの元気な声のぬしであろう人物が、

「ヴォダッセ?」

 と言いながら、こっちに歩いてき――


「!」


 ――僕の視線は、一瞬でその女性の顔にい付けられてしまった。


 いちフェムト秒の時間ですら、らすのがしいほどに。


 ――女神……?――


 目の前の女性は軽く首をかしげて、無言のまま凝視ぎょうしする失礼な僕を微笑ほほえんで見ている。


 いかんいかん。


 こんな不躾ぶしつけな態度はデリカシーがなさ過ぎる――でも、分かってるんだけど、分かってるのにどうしても目が離せない。


 僕の口元はあわあわと情けなく動くだけ――意味のある言葉をつむぎ出すことが出来ないでいるというていたらく。


 そんな不審者感丸出しの僕をしばらく見ていた彼女は、何かひらめいたかのように手を打つと、


「タユニハーブルヌノス……りょーすき?」


 と、言葉の最後で聞きなれた名前を口にした。


 全体として何を言ってるのか不明ではあるけど、きっと僕の風貌ふうぼうを見て八乙女さんの連れだと分かったのではないだろうか?


 確かに八乙女さんは、サブリナからしばしば「りょーすき」と呼ばれていた。


 りょーす「き」? と若干じゃっかん引っ掛かりをおぼえたから間違いない。


「そう! いや、えーと……ヤァ! 純一。じゅ・ん・い・ち」


 僕は親指を自分に向けてサムズアップして、たどたどしくも必死で名乗った。


「オウ、エグラ。ジュニチ」

 彼女はうなずき、次に自分を指して、


「セリカ。リユナスセリカ」

 そう言って、にっこり笑ったのだ。


 ――花咲はなえきみとは、こういう人のことを言うのではないだろうか――


 ……その後の記憶は、ところどころ定かじゃない。


 忙しそうに立ち働く彼女を、あまり迷惑にならない程度にひたすら目で追ううちに、いつの間にか教頭さんや八乙女さんたちが来ていた。


 その頃には、気が付くと彼女の姿は見えなくなり、代わりにサブリナが飲み物や食べ物を手にくるくると店内を動き回るようになっていた。


 何を食べて飲んで、話したのか、まるで覚えてないがどうでもいい。


 脳内を占める言葉を図示ずじする例のジョークアプリがここにあれば、僕の場合ただ一つの単語でいっぱいになっていることだろう。


 ――セリカ、さん…………――――

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