第五章 第05話 大晦日 その4

 異境いきょうの地で忘年会。


 学校側のこよみ大晦日おおみそかに当たる日、たまたま一人になった俺は果実水をちびちびやりつつ、人間観察的なことをしていた。


 静かに食事を楽しんでいた俺に、声を掛ける者がいた。


    ☆


「八乙女せーんせ」


 ――ほーら来た。


 外のたたきのところで天方あまかた君と神代かみしろ君をいじくり回していたはずの二人が、いつの間に移動してきたのか、後ろから声を掛けてくる。


 いや……いじってたのは芽衣めいだけだな。


「何で一人でぼっちしてんの?」


 焼肉を山盛りにした皿を手に、芽衣が言う。

 澪羽みはねはその後ろで、にっこにこしている。


「いや、たまたまそうなってるだけだけど?」

「ふーん……ほら、お肉持ってきたげたよ。澪羽がせんせーにって焼いてくれたんだから、感謝して食べてよね」

「え、ちょっと芽衣ちゃ――」

「何? ホントのことでしょ?」


 澪羽が両手を前に出してあわあわしている。

 何でか知らないけど、俺に気をつかって持ってきてくれたんだろう。


「あの……前に干し肉を焼いてくれたから、その……」

「干し肉? ――――あ、ああ、そう言やそんなこともあったね……ありがとな」

「は、はい……」


 そう言ってうつむいて赤くなる澪羽。


 干し肉を焼いてって……言われて思い出したけど、結構前のことだよな。


 ――あの、き火になかなか火をつけられないでいたところを、瓜生うりゅう先生と俺でヘルプしてあげた時――。


 特別なことをしたつもりなんてなかったのに、律儀りちぎに覚えててくれたのか……ちょっと嬉しい。


「ずいぶんたくさんってきてくれたから、二人も一緒に食べようよ」

「いいの? せんせー。ホントに食べちゃうよ?」

「い、いただきます……」


 俺がうなずくのを見るやいなや、芽衣は箸でひょいぱくと口に運び始める。


 澪羽は何だか迷っているようだったが――俺用にわざわざ持ってきてくれたのをすすめたの、まずくなかったよな?


 厚意を無にしたとかデリカシーがないとか、思われないよな?


 俺もありがたく肉をつまんでいると、石窯いしがまのところにいた校長先生が飲み物を片手に職員室に戻ってきた……が、そのまま校長室に入っていってしまった。


 ――実のところ、校長先生についてはちょっと心配なことがある。


 一昨日おととい、ザハドから戻ってきて以来、何だか元気がないような気がするのだ。


 瓜生うりゅう先生や上野原さんに話を振ってみても、「そうかな?」「特に変わったようには……」と言われてしまうし、俺の気のせいかとも思ったけど……どうも校長室にひとりでいるのを見かけることが増えた気がする――今みたいに。


 それまではどちらかと言うと、自分の班はもちろん、他のところにも積極的に顔を出して、あれこれ手伝ったり、話したりしていることが多かったように思うんだけどな……。


 何と言うか……らしくない。


「なあ、芽衣、み、澪羽」

「ん?」

「?」


 口をもぐもぐと動かしながら、二人が俺の顔を見た。


「校長先生さ、何か元気がないように思わないか?」


 言ってしまってから、あんまり子どもに話すようなことじゃなかったかなと、少し後悔こうかいする。


「そう? 別にそんな風には見えないけど。あたしには」

 芽衣は大して気にした様子もない。


 しかし、澪羽は、


「実は……わたしもちょっとだけ、おんなじように思ってました。瑠奈るなちゃんも」


 突然、瑠奈の名前が出てきて、ちょっと驚いた。


「瑠奈が……口をひらいたってわけじゃないよね?」

「はい。一昨日おととい皆さんが帰ってきて、ここの机を使ってお土産を広げてましたよね?」


 俺たちはザハドから帰還きかんした後、迎えてくれたみんなと一緒に、職員室の机いっぱいを使ってもらったたくさんのお土産をお披露目ひろめしたのだ。


「その時に、瑠奈ちゃんがわたしのところに来て、わたしの腕を引っ張りながら校長先生を指さしたんです」


「何で瑠奈は澪羽のところに?」


「――それはわたしにもちょっと……。でも、瑠奈ちゃんにうながされて校長先生を見たら、にこにこしてるのに、顔が真っさおに見えて……」


「そうか……」


「わたしは、きっといろいろ気も張ってただろうし、森の中を長時間歩いたんだろうしで疲れてるのかな、と思いました」


 確かに結構疲れてはいたけど、帰ってきた直後で俺たちも興奮してたから、ちょっと気付かなかったな……。


「ふーん……そんなことがあったんだね。でもさあ、せんせーってば、まだ澪羽のこと呼び捨てにするの、慣れてないの?」


「え、いや、そんなことは……ないよ?」

「さっき呼ぶ時、ちょっとどもってたくせに。ふふ」

「ちょっと芽衣ちゃん」


 全く……変にまぜっかえすなっての。

 実際まだ慣れてないんだよ。


「それよりもさ、そんなに気になるんだったら、直接聞いちゃえば?」

「直接って、校長先生に?」

「そう。具合悪そうですけど大丈夫ですかって聞くの、そんなにおかしいことじゃないでしょ?」

「ふーむ」


 ちょっとストレート過ぎとは思うけど、確かに芽衣の言うことにも一理あるか……。


「よし、じゃあちょっと校長室、行ってくるよ」

「はい」

「うん、頑張ってー」


    ◇


「失礼します」


 ドアは元々ひらいている。

 ノックをしながら一応そう断って、俺は校長室に入った。


 もう既には落ちて外は真っ暗なのに、LED照明はいていない。


 暗いやみの中、校長先生は椅子を外に向けて座り、窓の向こうをぼんやりとながめているようだった。


「おや、八乙女さん、どうしました?」


 俺の入室に気付いてこちらを振り向く顔が、校庭で燃えている土竃つちかまどの光でわずかに赤く照らされている。


「いやいや、校長先生こそどうされたんです? こんなところで明かりもつけないで」


「ああ」


 マグカップの中身を一口すすってから、彼は続ける。


「ちょっと疲れたものですからね……かまど番を免除してもらったんですよ」

「そうでしたか、お疲れ様です。えーっとですね」


 どう切り出したものか……芽衣めいのシンプルさがちょっとうらやましい。


「かまど番もそうなんですけど、ここのところ校長先生、ちょっと元気がないように思いまして……」


「……私が、元気がない?」


「ええ、一昨日おととい帰って来た時に顔色が悪かったとも聞きました」


「……」


 沈黙が落ちる。

 しばらくの間、窓の外に視線を向けたまま、校長先生は微動びどうだにしない。


 そして、俺が次に掛ける言葉を考えていると、


「そうでしたか……ご心配をおかけしてしまったようですね。すみませんでした」

 ささやくように、校長先生は口を開いた。


「恐らく、ザハドに行って疲れがたまったんでしょう。なかなか出来ない経験をたくさんしましたからね」


「確かにそうですね。それじゃあ、体調がすぐれないってわけじゃないんですね?」


「ええ……大丈夫です」


「それならいいんですけど……無理しないでくださいよ。俺たちのリーダーなんですから」


「……リーダー、か」


 そうつぶやくと、そのまま黙ってしまった。


 ――何か俺、マズいこと言ったかな?


 さっき、芽衣と澪羽みはねのとこでもそうだったけど、言ってから心配になることが立て続けにあるから――気が抜けてんのかな、俺。


「八乙女さん」


 頭の中であたふたしてると、突然声を掛けられた。


「は、はい?」

「……もし、リーダーが道に迷ってしまったら、どうしたらいいんでしょうね……」

「え、ええ?」


 唐突とうとつな問いに、戸惑とまどう俺。

 しかも結構な難問。


「ま、まあリーダーだって万能ってわけじゃないんですから、誰かに相談すればいいんじゃないですかね」


「相談、相談か……そうですね。その通りだと思います」


「あの……」


 俺は恐る恐るたずねた。

「もしかして何か、迷ってらっしゃるんですか?」


 すう呼吸のあと、校長先生は再び窓の外に目を向けて、


「――もしも、の話ですよ」


 と呟いたきり、口をつぐんでしまった。


 俺は、そのまままるで人形のように動かなくなってしまった校長先生を前にしばらく佇立ちょりつしたあと、静かに退出するしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る