第五章 第03話 大晦日 その2

上野原うえのはらさん、ずいぶん手慣れてるのね」

「はい、昔よく、お母さ……ははと一緒に手作りしてたんです」


 黒瀬くろせ先生にめられて、ちょっと嬉しい。

 人間、どこで何が役に立つか分からないもんだなあ、と思う。


 今、職員室はあちこちでにぎわっている。

 お料理作りで。


 私――上野原れい――と黒瀬先生は餃子ぎょうざ担当で、休ませ終わった生地きじを使ってさっきからあんを包み始めている。


 私たちの向かい側では、如月きさらぎ先生と加藤かとう先生が焼売しゅうまい作りに没頭ぼっとうしている。


 職員室の机の上は、もう大分だいぶ前からほとんど物が置かれていない。


 書類仕事の必要もなくなったし、むしろ机を広々と使ってやることばかりなので、要らないものはなるべく引き出しの中にしまい込むことになったのだ。


「それにしても、餃子の皮と焼売の皮が同じものだって、初めて知りました」

「そうねえ、私も花園はなぞの先生に聞いて、へえってなった」

「本当は形と厚さが違うだけなんだけど、今回は四角くするのが手間だし、違うのは中身だけね」


 向かいで作業している如月先生も話に加わってくる。


 ちなみに餃子の餡はメルガっていう動物のお肉を細かく切って叩いたひき肉と、リーキに似た太いネギみたいな野菜をきざんで作ったやつ。


 焼売の方で使ってるお肉は同じメルガだけどもっと粗挽あらびきにしてあって、それにタマネギみたいな野菜をみじん切りにして混ぜ込んである。


「打ちって、片栗粉かたくりこじゃなくてもいいんですねー」

 加藤先生の言う通り今回は片栗粉がないので、生地がくっつかないように小麦粉をまぶして使っている。


「加藤さん、さっきみたいに小麦粉をばふーって、吹き飛ばさないでよ?」

 如月先生がにやにやしながら言う。


 加藤先生はちゃんと不織布ふしょくふのマスクをしてるんだけど、さっきあまりに豪快ごうかいなくしゃみをしたもんだから、机の上を粉で真っ白にしてしまったのだ。


「やだなあもう、だいじょぶですってば。あ、そう言えば皆さん知ってます?」

「んん?」

「あら、また加藤さんのアレが始まったのかしら」


 加藤先生のアレ?


いきってですね、吸いながらでも言葉をしゃべれるんですよ」

「ええ?」

「どういうことですか?」

「えーと、こうしてまず息を全部吐いて……『ゴンディヂワ』ごほごほげほごほ!」

「ちょっと!」


 あーあー、また盛大せいだいにやっちまいましたなあ……。

 向かいにいる黒瀬先生に粉がぶっかかってます。

 他の先生たちもびっくりして見てるし。


「あ、いや、ごほ、ちょっ、す、すみませぐはっ」

「いいから、落ち着いてからしゃべりなさいよ」


 如月先生が加藤先生の背中をさすってる……苦笑いしながら。

 しばらくき込んだあとようやく落ち着いた加藤先生が続ける。


「いやあこれ、のどへのダメージが大きいのが玉にきずなんですよ……まあささやくみたいに無声音でやれば平気なんですけどほら、『ぁぃぅぇぉ』」


 私には本当にただささやいてるようにしか聞こえないんだけど、実際にやってみると確かに息を吸いながら話せた。


 ……でも――――だから何? みたいな。


 黒瀬先生たちも試してるけど、ホントだってつぶやいてから首をかしげてるから、私と同じ疑問にぶち当たってるんだと思われる。


「ちなみにですねー、この応用で口笛をって吹けるんですよ! ほら、ぴゅーぴゅーぴゅー」

「えー、それ本当に吸ってるの?」


「ふ、当然の疑問ですけどね如月先生。もっかい吹いてみますから、私の口の前に手のひらをかざしてみてくださいよ。はい、ぴゅーぴゅーぴゅー」


「あらほんと。息が吹きかかってこない」


 ……何だろう、吸いながら吹くとか、混乱してるのは私だけかな……。


「ねえねえ、上野原さん」

「はい?」

「加藤先生って、面白いね」


 黒瀬先生がそう言って笑いかけてくる。

「面白いって言うか何て言うか……面白いです」


 その時、ガラッと職員室のドアが開いて、壬生みぶ先生が入ってきた。


「うどんだね、上がったので持ってきました」

 そう言って室内をぐるっと見まわすと、応接コーナーに向かっていく。


 そこではうどんのつゆと具の担当である、不破ふわ先生と山吹やまぶき先生がネギらしきものをきざんだりゆで卵を作ったり、肉を甘辛く煮たりしている。


「あれ、八乙女やおとめさんは来ないのかな」

 再び餃子を包みだした黒瀬先生が言う。


「うーん、どうなんでしょうね」

 確かに、うどん種担当は壬生先生と八乙女先生の二人だったはず。


「それにしても」

 黒瀬先生が作業をしながらひとごとっぽくつぶやいた。


「全くの偶然とは言えなあ……あの二人がペアになるとかなあ……」

「黒瀬先生、あの二人って誰のことなんですか?」


 私としては何の気なしに聞いたつもりだったんだけど、黒瀬先生は「あ、やべ」みたいな顔をして手を止めた。


「えーっとね、んー、壬生先生と八乙女さんのこと」

「壬生先生と八乙女先生……そのお二人がどうかしたんですか?」


 今度こそ黒瀬先生の表情がはっきりと強張こわばったのが分かった。


 私の正面では、如月先生と加藤先生が不自然なくらいにうつむいて焼売を作っている。

 つむじ見えてますよ。


 ……あ、やべ。


 もしかしたらちょっとにぶめかも知れない私でも、さすがにこれ以上は踏み込んじゃいけないエリアだって分かる。


 私のつむじ……じゃない、うなじが警報アラートをびんびん発しているもんね。


「あ、ああ、やっぱりいいです。何か空気読めなくてすみません」


 あわてて言う私に、黒瀬先生は如月先生と加藤先生とで何やらアイコンタクトをわしてうなずくと、すすすと寄ってきて私にささやいた。


「ここじゃちょっとマズいから、後でちゃんと教えてあげるね。関係者かも知れないし」

「は、はい。ありがとうございます」


 返事してから気付いた。

 関係者って、なに?


 実習が始まってからの記憶をざーっと早送りシークしてみたけど、とりあえず思い当たるようなことはない。


 何だろ……こんなアンタッチャブルっぽい話の関係者とか、不安しかないぞ。


 ……こっそり壬生先生の方を見る。


 ラップのしんを持って、何やら三人で話している。

 あれって麵棒めんぼうの代わりなんだろうか。


 ふと窓の向こうを見ると、八乙女先生の歩く姿が見えた。


 外では校長先生たちが焼肉とか石窯いしがまの準備をしているから、そっちの手伝いをするのかな。


 何だか私もお手伝いに行きたく……いやいや、何を言ってる私。


 どうにも不安な気持ちをかかえながらも、気を取り直して私は餃子の餡を再びむにむにとつつみ始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る