第五章 第02話 大晦日 その1

 時は半月ほどさかのぼって――

 ――――――――

 ――――――

 ――――

 ――ふみふみ、ふみふみ。


「……」

「……」


 ふみふみ、ふみふみ。


「……」

「……」


 ふみふみ、ふ――


「時間ですよ。八乙女さん」

「あ、そう」


 俺はビニールの上から降りる。


「これ、何回目だっけ?」

「三回目です」


 壬生みぶ先生が淡々たんたんと答える。


 スマホの時計を見ると、午後二時半。


 俺と壬生先生は、他の誰も来なそうな職員玄関付近で、うどんだねんでいる。


 三分間踏んだら三分間休ませて、また三分踏む。

 これを五回繰り返せと言われているのだが……。


 今日はうちの学校のこよみで言うところの、十二月三十一日、大晦日おおみそかなのだ。


 ここの世界にだって、年末や年始の祝い事はきっとあると思うんだけど、多分今日じゃないんだろう。


 暦の違いについてはまだ確認していなかった。


 だけど、やっぱり俺たちは日本の民なので、アイデンティティの維持のためにもそれらしく過ごしてみようと言うことになったのだ。


 幸い、一昨日おとといまで訪問していたザハドから、お土産みやげをたくさんいただいている。


 いつもの小麦粉や肉はもとより、生鮮野菜や乳製品や卵、食料以外にも石窯いしがま用の耐火レンガとか、パン作りのための酵母こうぼとかね。


 ま、パン作りには花園はなぞの先生が異常に気合いを入れてるんだけど、かなり手こずってるみたいで、残念ながら今日のイベントには間に合いそうもないらしい。


 その代わりにピザ生地きじ――ドウとか言ったかな?――は何とか形になったということだし、耐火レンガが手に入ったことで石窯いしがまも無事に完成したから、久しぶりのピザが今日の食卓をにぎわせてくれる予定だ。


 チーズも手に入ったしね。


「八乙女さん、時間ですよ」

「はいはい」


 で、年越しと言えば当然蕎麦そば、と来るわけだ。

 でも、残念ながら今回、蕎麦粉そばこは手に入らなかった。


 この辺りには出回っていないだけなのか、そもそも蕎麦自体がないのか――そんなわけで代わりに年越しうどんを、となったのはいいんだけど……。


 ふみふみ、ふみふみ。


「……」

「……」


 何だかんだで仕事からあぶれた俺たち二人が、こうしてコシの強いうどん作りにいそしんでいる。


 ――それにしても……こうして足で踏み踏みしている間、会話が一切ない。


 まあ転移してくる前から何となく俺、嫌われてる? みたいなのはあった。


 壬生先生の名誉のために言っておくが、無視されたり意地悪されたりとかは全くない。


 それに、転移後に班決めをする時、本当は山吹やまぶき先生のいる調査班に入りたかっただろうところを、人材のバランス的な理由で自分からカイジ班に移ったことから考えても、立場を客観視できる冷静さをあわせ持っている人だと言えるだろう。


 少なくとも、俺への感情を日々の業務に持ち込まない程度には、プロ意識のある男だと思っている。


 ――だけど……そういう負の感情って、別に面と向かって言われなくても何となく分かるよね。


 そもそも彼は、仕事に影響させはしなくても、こいつ気に食わねえオーラみたいなのを特に隠そうともしてなかったから。


 ただ……最近は何か、彼のそういう感情がエスカレートしてきたんじゃないかと思えるふしがあるのだ。


 その原因と思われるものに、残念ながら俺は心当たりがある。


「時間ですよ。八乙女さん」

「あ、了解」


 返事をしながら、壬生先生の顔をチラと見る。


 れ聞くところによるとこの人は、どうも山吹先生に好意を持っているらしい。

 そして、山吹先生の方ではそれを迷惑がっているとも。


 ――俺は昨年度、山吹先生と同じ三年部で仕事をしていた。


 その時の彼女の印象は、容易よういにプライベートを明かさない、一線いっせんを引かれた向こう側にいるクール系女子、というものだったのだ。


 だから、もしかしたら俺に好意を持っているかも、なんて自惚うぬぼれがしょうじる余地などなかった。


 実際のところ、俺の方も彼女に特別な思い入れがあるわけでもなかったしね。


 ――それが、転移してからこっち、山吹先生とは同じ班の同じ隊に所属することになり、一緒に過ごす時間が激増した。


 特にザハドの町関連のことでは、俺たち二人が中心だったとも言える。

 そんなこともあって、確かに親密度は上がったかなと思う。


 その程度の距離感の変化くらいは分かる――俺は鈍感どんかん系主人公じゃないので。


「……」


 壬生先生は無言のまま、平べったくなったうどん生地きじ丁寧ていねいに折りたたんでいる。


 俺もそれにならうが、彼は俺の方を一瞥いちべつすらしようとしない。


 ……まあ要するに、壬生先生は俺に嫉妬心ジェラシーいだいているのだろう。


 別に山吹先生とお付き合いしてるわけでもない俺にしてみれば、はっきり言ってはた迷惑な八つ当たりではあるけれど、同じ男として気持ちは分からんでもない。


 だからと言って、俺の方で自主的に山吹先生との距離を調節してやろうみたいな気もさらさらないが。


「八乙女さん、時間ですよ」

「了解。これが最後だね?」

「……」


 やれやれ……。

 彼は不要な会話などする気はない、とばかりに無言でビニールの上に乗る。


 ふみふみ、ふみふみ。


「……」

「……」


 ふみふみ、ふみふみ。


「八乙女さん」

「……」


 ふみふみ、ふみふみ。


「八乙女さん!」

「……えっ?」


 思わず足を止めてしまった。

 俺、呼ばれた?


「足は休めなくていいです」

「あ、ああ」


 ふみふみ、ふみふみ。


「……」

「……」


 ふみふみ、ふみふみ。


「……」

「えーと、呼んだ?」


 ふみふみ、ふみふみ。


「ええ、呼びました」

「あ、そ、そう」


 ふみふみ、ふみふみ。


「……」

「……」


 ふみふみ、ふみふみ。


「聞きたいことがあります」

「……」


 ふみふみ、ふみふみ。


「山吹さんのことですが」


 そら来た。

 面倒ごとの予感。


「八乙女さんは、山吹さんと交際してるんですか?」


 ほう。

 ド直球で来たか……。


「いや、してない」

「……」


 ふみふみ、ふみふみ。


「その予定は?」

「今のところ、特には」


 ふみふみ、ふみふみ。


「本当ですか?」

「本当だよ」

「それなら」


 ふみふみ、ふみふみ。


「私が彼女にアプローチするのに、何の問題もありませんね?」

「ないね」

「分かりました。言質げんち取りましたよ」

「言質って……それ何か意味あるの?」


 ずんずん、ずんずん。


 ……うどんのみ方で返事すんなや。


「意味は、ありますよ」

「あるならいいけどさ、俺たちが変にぎくしゃくすることもないんじゃない?」

「ぎくしゃく? 別にしてませんね」

「あ、そう」


 円滑えんかつな人間関係とはとても言えないと思うけど……要するに改善の必要などないと言いたいんだろうな。


「時間です」


 そう言うと、彼はビニールからりて生地きじを丸め始めた。

 とりあえず俺も同じようにする。


「じゃあ調理担当のとこへ持っていこうか」

「ああ、いいです。私が持っていきますから」


 と言いながら、俺の手からビニールで包んだうどん種を取り上げると、振り返りもせずさっさと職員室へ向かって歩き去っていった。


 あー……そう言えば山吹先生、うどんの担当だっけ。


 今頃職員室では、それぞれが担当の仕込みや調理をしているはずだ。


 ――一瞬いっしゅん、手伝おうかとあとを追いかけたが、何かアホらしくなって足をめた。


 ま、俺には関係ないやね。


 ……このあとどう展開しようとも。

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