第三章 第07話 ある母親の決意

 職員室と共に私たちがこの地にやってきてから、はや三ヶ月半が経った。


 元の世界のこよみによるのなら、今は秋。

 残暑の季節は大分だいぶ前に終わって、本格的な実りの時期になっているはずだ。


 しかしあくまで私――如月きさらぎ朱莉あかり――の体感ではあるが、ここに来た当初とあまり陽気が変わったようには感じない。


 作業をしていることもあってか、周りも上半身はTシャツ一枚の人ばかりだ。

 この地に四季はめぐっているのか、乾季かんき雨季うきのように二季にきしかない気候なのか、はたまた一年を通してこんな感じなのか。


 正直なところ、冬が来なければそれに越したことはないと思っている。


 何しろ転移時には初夏だったおかげで、冬支度したくというものが全く出来ていないのだ。

 情報委員会でもこのことは度々たびたび話題にのぼっていると聞いている。


 思い返してみると一、二ヶ月前の頃は、雨は降っても一時間くらいで、その後はからりと晴れることが多かった。


 これはいわゆるスコール的な降り方で、もしかしたら雨季と乾季を繰り返す土地なのかも知れない、と誰かが言っていた。


 ただそうすると、森の木々の植生しょくせいが若干おかしなことになるらしいが、それはあくまで元の世界の常識を元にした考えなので、無理に理屈を当てはめようとせず、あるがままを受け入れてその中で暮らしていくしかないと、私は思う。


「如月さん、ちょっと休憩しようか」

「あ、はい」


 校長先生の声に私はかまを動かす手をめ、ひたいの汗をぬぐいながら立ち上がった。


「あいたたた」

 腰がめりめり音を立てている気がする。


「如月せんせー、気張りすぎっすよ。もうずーっと黙々もくもくと草刈ってるじゃないすか」


 諏訪すわさんの聞きようによっては軽薄けいはくな物言いも、今は気にならなくなった。

 悪意がないのが分かるから。

 それに……集中すると周りのことが見えなくなってしまうのも、私の悪いくせだ。


 スマホで時刻を確認する。

 午前十一時ちょっと過ぎ。

 かれこれ一時間近くしゃがんでいたのか。


「そうね、それじゃちょっと休もうかな」

「如月先生、はい」


 そう言いながら私のペットボトルを差し出してくれるのは、六年生の天方あまかた君だ。

 教頭先生の車に積んであるバッグの横から、わざわざ持ってきてくれたらしい。


「ありがとう。気が利くのね」

 にっかりと笑う彼から、私は飲料水を受け取った。


 彼を見て思う。

(私も、大分慣れてきたものね……)


 ――私には娘がいる。


 なかなか出来なくて、やっとの思いでさずかった一人娘。


 今年度から幼稚園の年中ねんちゅうに上がった。

 私にとって、掌中しょうちゅうたまとか掌上明珠しょうじょうのめいしゅなんて言葉では生温なまぬるいほどに大切な存在。


 もちろん、愛多憎至あいたぞうしわきまえているつもりだ。

 紺屋こうや白袴しろばかまなどと言われないよう、夫と共に力を尽くす毎日だった。


 ――そして今、私はこうして愛娘まなむすめはるか遠くに離れてしまっている。


 ポケットのスマホには、彼女を撮って撮って撮りまくった画像が何千枚も収められている。


 この何があっても失ってはならない宝物は、自宅のPCはおろか、クラウドにも保存されているし、ブルーレイディスクにも定期的にバックアップを取っている。


 おまけにディスクをダビングして、実家にも送り付けて保管してもらっているほどの念の入れようだ。


 我ながらやまい膏肓こうこうると言うか、よく言えば胆大たんだい心小しんしょうなのかも知れないが、そうまでしても絶対に失いたくない大切なものなのだ。


 今の私にとって、それはかけがえのないよすがであるが、転移してきた当初、私はそれらの画像を一切見ることが出来なくなってしまった。


 写真を見た途端、感情がコントロール出来なくなり、人目をはばからず慟哭どうこくしてしまうようになったのだ。


 見たいけど見られない、見られないけど見たい――自分でもよく分からない情動を持て余す私をこそ、周囲の人たちは持て余してしまっていただろう。


 でも、みなはそんな私をちょうどいい塩梅あんばいに放っておいてくれた。

 恐らく当時の私は、どんな言葉を掛けられても救われることはなかっただろう。


 考えてみれば、私だけじゃない。

 私だけが大切な人たちと離れてしまったわけでは、ないのだ。


 それなのに、夜のあいだめそめそと忍び泣いていた私に、翌朝、何事もなかったかのように接してくれたみんなには、感謝しかない。


大分だいぶ出来てきましたね、この道も」

「そうですね」


 私の横で、教頭先生がそう言って目を細めた。

 その視線の先には、青々とした森が広がっている。

 私たちが、東の森と呼ぶようになった場所だ。


「道を作るなんて、途方とほうもない作業だと思ってましたけど、何とかなるもんですね」


 壬生みぶさんが汗をきながら、会話に加わる。

 向こうでは、神代かみしろ君が水路の水で顔を洗っている。


「道路って言っても、草を抜いて土をかけて、上から踏み固めただけですけど、一輪車ネコを走らせやすいし」

 加藤かとうさんも相変わらず飄々ひょうひょうとしてるけど、いい子なのよね。


 この道はいずれ、あの森につながる。


 そして、いつかは悠遠ゆうえん彼方かなたにいる娘と夫にも。


 ――そのためには。


「どんなことだってやってやる。絶対に生き延びて、元の世界に戻ってやる」

「え?」

「ん-ん、何でもない。それよりもうひと頑張りしたらお昼にしませんか?」

「お、いいっすね」


 私は鎌を手に取り、立ち上がった。


 我が道を、この手で切り開くために。



――――――――――――――

2023-01-25 表記について一部修正しました。

話題に「上が」っていると聞いている。。 → 話題に「上(のぼ)」っていると聞いている。

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