第三章 第06話 水

「そう。それなら感謝しなきゃね」

「いえ……お仕事ですから」


 山吹先生と私――早見はやみ澪羽みはね――は教壇きょうだんに腰かけて、先生がピアノを弾き終わった後も何となくお話を続けていた。


 瑠奈ちゃんはさっきお母さんに呼ばれていったので、今ここには私たち二人だけだ。


「水のことをあまり心配しなくてもよくなったのは、すごく助かると思うよ。カイジ班と保健衛生班には、本当に感謝だね」


 カイジ班――施設維持いじ班――を中心に頑張って作っていた水路まわりの大工事だいこうじは、大体のところが完成していた。


 今は水路に延々えんえんと石を敷き詰めたり、森までの道路を通したりする作業に移っているって聞いた。


 私たち保健衛生班は、蛇口じゃぐちから出る水――びっくりしたことに、地中で途切れていた水道管にホースをつなげたそうだ――を毎日煮沸しゃふつ消毒したあと、個人個人の名前を書いたペットボトルに詰める仕事をしている。


 蛇口まで水が通るのが不思議だけど、サイフォン?の原理っていうのを使ってるって言ってた。


 飲料用の水に、漂白剤ひょうはくざいから作った消毒薬をちょびっとらすのも私の仕事だ。


 漂白剤は元々、誰かが教室で吐いた時に消毒するための「教室衛生セット」を作る用に、保健室にまとまった数が保管されていたみたい。


「でも、一日百リットルを煮沸しゃふつってすごい量に思えるけど、二十三人分ともなればそんなものなのかな」


「はい。黒瀬くろせ先生は一人当たり一日三リットルのところを、少し多めにして四リットルって言ってました」


「そっかあ。でも、四×かける二十三は九十二だから、残り八リットルは何に使うの?」


「はい、洗濯とかの洗剤を作ったりすすぎ用の水に使ったりしてます」


 洗濯をどうするかってことも、結構問題になった。


 先生たちは学校にジャージとか着替えを置いてあったりするけど、私たちみたいなのは着のみ着のままで来ちゃったから、着たきりスズメ(多分私の聞き間違いじゃない)になってしまうって、八乙女先生が言ってた。


 備蓄物資の中にはジャージも含めてTシャツとか下着とか、ある程度の数があったので、私たちは初日からパジャマ代わりにもらった。


「そうだね。季節も季節だし、着替えは何着かロッカーに入れてあったのがよかった……水着も」


「あ、プールの授業がありますもんね」

「うん」


 黒瀬先生もそうだけど、山吹先生はとっても優しい。


 私は口下手くちべたで、なかなか思ってることを上手うまく言葉に出来ないことが多い。


 でも間違ったことは言いたくないから、ちゃんと考えてからしゃべりたいのに、そういうところがイライラするって言われたことがある。


 何度も。


 はきはきしゃべれない私も悪いと思うけど……。


「洗剤も、元の世界のがあるんだよね。保健室には」

「はい、でもいざという時のために、なるべくとっとこうって」

「なるほどー。でも、洗濯の『いざという時』てどんな時だろうね。ふふ」

「確かにそうですね。ふふふ」


 ちなみに、洗濯用洗剤は木の枝とかを燃やして出来た灰から作ってる。


 灰だけを集めて水に沈めてふたをして、何日か置くだけで出来上がり。

 黄色っぽい上澄うわずみが、洗濯にも食器洗いにもお掃除そうじにも使える洗剤になる。

 指で触ってみたらぬるぬるしてて、黒瀬先生に「指紋しもんが溶けるよ」って言われた。


「洗濯って言えば、ルールを決めるのが大変だったね」

「はい」


 問題になったのは、誰が、いつ、どこで洗うか、どこに干すか、ということ。


 洗濯当番を決めて、なんて意見も出たけど、やっぱり自分の洗濯ものを誰かに洗ってもらったり干してもらったりするのには、私は抵抗があった。


 結果的に、個人個人で好きな時に洗うことになった。


 そもそも一気に大量の洗濯ものを洗う場所がないし(保健室に洗濯機はあるけど使わない方針)、汚れ方によって洗う頻度ひんどだって変わってくる。


 元の世界みたいに毎日洗濯機を回して、常に清潔なものを身に着けるってふうには、ここではいかない。


 ――だから、個人の裁量さいりょうってものにまかせることに決まった。


 それで、洗剤は保健衛生班で用意することになった。

 お湯も頻繁ひんぱんかすし、衛生関係だから。

 ただ、灰の用意が少しだけ困った。


 キャンプとかだと火熾ひおこしは定番なんだろうけど、ここだと火を使う機会が全然ないみたい。


 お湯沸かしも調理も、IHクッキングヒーターや電子レンジを使ってるから、全然サバイバルっぽくない。

 だから、調査班の人たちに木の枝を取ってきてもらって、灰汁あくを作るためだけに火をおこすことも度々たびたびある。


 前に一度、私たちが火をつけようと枝の山の前で悪戦苦闘あくせんくとうしていた時、八乙女やおとめ先生と瓜生うりゅう先生が来て手伝ってくれたことがあった。


 無事に火がついたら、保存食のはずだったビーフジャーキーを、八乙女先生がポケットから出してあぶってくれた。


 私たちがびっくりして八乙女先生の顔を見たら「ちゃんと花園先生に許可もらったから!」ってあわててた。


 ……あれ、美味しかったな。


「でもあれね、昔は洗濯するのに井戸の周りに女の人たちが集まって、ぺちゃくちゃしゃべりながらやってたって話、本当だったのね」


「はい……そうなっちゃってますね」


 洗濯する場所は、結局職員室前のグラウンドにある足洗い場に落ち着いた。

 そこなら水を溜められるし、そのまま排水溝はいすいこうへ流せるから。


 もちろん、排水こうの先も地面の中で途切れているはずだけど、洗剤も汚れも自然由来のものなのでいいだろうと……とりあえずやってみて様子見だって言ってた。


 初めはそれぞれで洗濯していたのが、何故かだんだん集まって一緒にやる人が増えてきている。

 別に強制されてないから、無理に加わる必要もない。


 ――最後に、干す場所。


 結果を先に言うと、のぼれるようになった三階の、六年一組の部屋を使うことになった。


 ここは女性だけ。


 男性の皆さんは、一応六年二組の部屋ってことになっているんだけど、何故かそこに干している人はあまりいない。


 どうしてなのか、理由は私には分からない。


 可愛いのが小学生の男子二人で、手洗いの洗濯なんてあんまりやったことないだろうに(私もだけど)、一生懸命ごしごし洗ってて。


 で、それを私と見ていた芽衣ちゃんが「一緒に洗ってあげようか」って言ったら、あの子たち顔を真っ赤にして「い、いいよいいからいいって!」だって。


 やっぱり恥ずかしいのかな。


「何か、お腹減ってきちゃったな……ちょっと早めだけど、夕ご飯作ろうかなあ」


「あ、芽衣ちゃんが言ってたんですけど、今日のお夕飯には『豚肉の塩麹漬しおこうじづけ』を使っていいそうですよ」


「え、ホント? これは楽しみだね」


「はい」


 休日の食事は、各自食べたい時に調理することになってる。


 主食は相変わらずアルファ米とどんぐりの粉だけど、おもに諏訪さん提供の日持ちする食べ物の中から「おかず」が支給されることもある。


 まあ芽衣ちゃん情報ではそれも大分だいぶ減ってきたらしいけど、その辺のことはいろいろ考えているらしい。


 飲み物だって、初めの頃はただの水だけだったのが、マツの木に似た葉っぱとか、アシタバに似た葉っぱとか見つかって、それらでお茶を作ってる。


 ほんのちょっとだけ苦いけど、どういうわけかそれがとっても美味しく感じる。


 少しずつ、自給自足体制に近づいているのかな。


「それじゃ、私は早速作りに行くけど、早見さんはどうする?」

「あ、すみません。私、芽衣ちゃんたちと食べる約束をしてて……」

「そかそか。いいよいいよ。それなら私も黒瀬さんとか誘ってこよ」

「あ、あの……あ、ありがとうございました」

「ん? 何が? ……ああ、ピアノ? 私も好きで弾いてるだけだから、いつでも聞きに来てね」

「はい」


 そう言って私の肩をぽんと叩くと、山吹先生は音楽室を出て行った。


 ――優しい先生ばかりで、よかった。


 心の底から、私は思った。

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