第三章 第05話 ピアノ

 この草原に私たちが転移してきて、もう二ヶ月以上がつ。


 他のみんなはもうここを「異世界」って普通に呼んでる。


 それが本当なら、つまり私たちは「異世界転移」というものを体験したことになる。


 ――マンガやアニメみたいに。


 クラスでも、そんな話をしている人たちがいた。


 確かにそう思うしかない。


 ――でも、八乙女やおとめ先生が言っていたように、ちょっと都合がよすぎるようにも感じる。


 地球そっくりなのに地球じゃない惑星ほしなんて、そんなものがあるのかな。


 時々芽衣めいちゃんとも話すんだけど、こういう話になると決まってあの子は言う。

 考えてもどうせ分からないんだから、もう気にするのやめたよって。

 そんな風にすっぱりと切り替えられる彼女がうらやましい。


 私――早見はやみ澪羽みはね――はどうしても、いろんなことをいつまでもグズグズと引きずってしまうから。


「♪~♪♪♪♪~」


 ……音楽室から、ピアノの音が聞こえてくる。

 きっと山吹やまぶき先生だ。


「よいしょ」


 私は立ち上がって、音のする方に向かう。


 今日は日曜日なので、基本的にみんなお仕事はお休みだ。


 お休みの日の過ごし方は様々さまざま

 小学生の男の子たちは空手の練習をしたりしてる。


 芽衣ちゃんは私とおしゃべりもするけど、先生たちのお手伝いもよくしてるみたい。

 大人の人たちのことは……よく分からない。


 八乙女先生が瑠奈るなちゃんたちと一緒に空手の練習をしてるのは、知ってる。

 いつだか鳩尾みぞおちにすごいパンチをもらって轟沈ごうちんしたって、笑って話してくれた。


 瑠奈ちゃんとは……一緒にいることが増えた。


 お話しできないのは残念だけど、不思議なことにあの子がどんなことを考えてるのか、何となく分かるような気がする。


 どうしてだろうね。

 どっか似てるところがあるの、かも。


「♪♪~♪~~♪♪♪」


 軽く会釈えしゃくをして音楽室のとびらをくぐると、山吹先生は手を止めずに私をちらっと見て、にこっと微笑ほほえんだ。


 私は邪魔にならない場所にそっと移動して、静かに座って目をつぶる。

 そして、流れてくる旋律メロディに耳を傾ける。


 この音楽室も「女子部屋」の一つとして使われているから、こうして日中の誰も居ないお休みの日、いつからか山吹先生はピアノを弾くようになった。


 だから私も、先生の弾くピアノをこんな風に聞くのが習慣になった。

 今、私の横に一緒に座っている瑠奈ちゃんみたいに。


「瑠奈ちゃんも来てたのね」

 そっと耳元でささやくと、彼女はこくこくとうなずいた。


 ――私もピアノを小さい時から習っている。

 もう十年くらい。


 去年の発表会の時に、ピアノの先生からもらった楽譜がベートーヴェンの「悲愴ひそう」だった。

 その前はモシュコフスキーの……何だっけ。

 腕前は自分ではよく分からないけど、普通だと思う。


 ベートーヴェンも嫌いじゃないけど、私はきれいな曲が好き。

 美しいメロディが一番好き。


 別にピアノ曲じゃなくても、美しければロックでもジャズでもシンフォニックメタルでも、J-POPでも洋楽でも、ゲーム音楽でも何でも。


 だから今、先生が弾いてるショパンのエオリアンハープも大好き。

 ゆっくり目に弾いても三分もかからないくらいの曲だけど、特にサビから――あ、ここ……。


 ……何か涙が出てくる。


 盛り上がる中間部サビの最後、終奏コーダに続く直前のコード進行までが美しすぎて……。


 サビとかコード進行なんて言葉は、ショパンが生きていた頃にはなかったかも知れないけれど、私にとっては宝石みたいな音のつらなりに思える。


「ふう――自分で弾いておいて何だけど、本当にいい曲よね、これ」

「はい……本当に」

 こくこく。


「リクエストあるなら聞こうか? ショパンが好きなんだよね、早見さん。またバラード第一番バラいちでも弾く? それともスケルツォ第二番スケに?」

「えーっと……それじゃ、ショパンじゃないけど、リストの『ため息』、いいでしょうか?」

「ため息ね、うん。いいよ。分散和音アルペジオつながりって感じでいいかもね」

「はい」

 こくこく。

 

 ――目を閉じる。


 メロディがひとつひとつ、き通った水面みなもを指でそっと触れてひびかせているように聞こえてくる。


 ――もう、何て言ったらいいのかな……山吹先生にはピアノと一緒に十六くらいに分身してもらって、四方八方しほうはっぽうから私を音で包んでほしい。


 リストのピアノ曲って、そんなにたくさん知ってるわけじゃないけど、第三番にきれいなのが多い気がする。


 この『ため息』もそうだし、『愛の夢』も『コンソレーション』も。


 あ、でも超絶技巧ちょうぜつぎこう練習曲集だと『狩り』とか『夕べの調べ』が好きかな……『マゼッパ』みたいに激しいのもいいけど……。

 

 ――曲に集中しなきゃ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る