第二章 第24話 情報委員会の裏で その2

 午後八時半すぎ。


 御門みかど芽衣めいが自分の「部屋」に戻ってほどなく、久我くが母娘おやこが戻ってきた。


 夕飯をとり、後片付けまで済ませたところで、夫をじえての一家団欒いっかだんらんを楽しんでいたのだ。

 職員室の応接コーナーで雑談にきょうじたり、校舎から少しだけ離れたところで夜空をながめたりしていた。


 校長室で情報委員会が始まり、少しずつ人気ひとけの減っていく職員室を後にして、寝床ねどこである三年一組の教室に戻ってきたのだった。


 久我母娘のスペースは二人分だけあって、他より多少広くなっている。

「さ、ちょっと早いけどパジャマに着替えましょう」


 パジャマと言ってももちろん私物ではない。


 備蓄物資には、支援物資が届くまでの数日間分の衣類として、肌着や靴下、長袖ながそでのポロシャツやジャージ等が含まれていた。

 それほど多い数ではなかったが、幸いなことに二十三人に行き渡る程度はあったので、洗濯事情が改善するまで間、それらでしのぐことになっていたのだ。


 時計が午後九時を回る頃には、瑠奈のまぶたがとろりとしてくる。

 英美里えみりは寝床を準備し、二人で身を横たえる。


「ねえ、瑠奈るな?」


 母親の声に、娘は目を開く。


「今日、何かあったらしいけど、大丈夫だったの?」


 瑠奈がこくりとうなずく。


「そう。大丈夫ならいいんだけど」


 英美里は黒瀬真白くろせましろや御門芽衣から、事のあらましは聞いていた。


 ここでは瑠奈がほとんど話せないので、今ひとつ状況がつかめないでいる。


 しかしそれ以降特に何事なにごともないし、何よりとなりで今にも眠りに落ちそうなあどけない顔を見ると、何だかどうでもよくなってしまった。


「今日は、瑠奈もお仕事頑張ったもんね」

 わずかに首を縦に振る瑠奈。


「もう寝ましょうか。おやすみ、瑠奈」

 娘は返事の代わりに、小さな体をぎゅうと丸めた。


 英美里は、静かに目をつぶると考えた。


 家族三人、確かに一緒にいることは出来ている。

 しかし、今後のことを考えると不安しかないのもまた事実だ。


 彼女自身は専業主婦なので、仕事のことで頭を悩ませる必要はない。

 それでも、家を預かる者として完璧に家事を回していると自負じふする英美里にとって、何日も自宅を放置しておくことはなかなかにがたいことだった。


 それでも、無闇むやみあせったところでどうしようもないことも分かっていた。

 例え不本意であっても、まずは現実を直視してやるべきことを定めなければならない。


(私にとって、一番大事なのは)


 目を開ける。


 それはもちろん、可愛らしい寝顔をこちらに向けている、眼前がんぜん掌中しょうちゅうたまだ。


(守らなきゃ。何があっても)


 そうして静かに、もう一度まぶたを閉じた。


    ◇


 約三時間に及ぶ情報委員会が終わって、真白ましろはLEDランタンの光を頼りに書類の整理をしていた。


 現時点で保健室にある備品や薬品をしるしたものだ。

 保健室内の物品ぶっぴんについては食料物資班ではなく、真白にその管理が任されていた。


 そろそろ寝ようかと思っていたところに、扉がガララと開いて山吹やまぶき葉澄はずみが入ってきた。


「お疲れ様、黒瀬さん」

「あら、お疲れ様です、山吹さん」

「会議、随分ずいぶん長引いたんだね」


 そう言うと葉澄は手近にあったスツールに腰かけて、頬杖ほおづえをついた。


「うん。でも有意義だったよ。毎日この調子だとちょっと困っちゃうけど」


 ふふ、と真白が微笑ほほえむ。


 葉澄の方がひとつ年上だが、本校には真白の方が一年先に赴任ふにんしてきている。

 年齢ねんれいが近いこともあって、この二人はプライベートでもたまに食事に行く程度には仲が良い。

 偶然同じソシャゲをプレイしていたことも、お互いの好感度を高めることに一役ひとやく買っていた。


「それにしても、今日は大変だったね、山吹さん」

「ホントだよ、もうクタクタ。分かってはいたけど、男の人って重いんだね」

「私、八乙女やおとめ先生の体重知ってるけど、十キロの米袋七つ分はあるよ」

「えぇ……重いわけだよ。我ながらよく運んでこれたな、私」

「そりゃまあ……ねえ?」

「な、何よ……」

「別に~」


 にやりと笑うと、真白は話題を変えた。


「上野原さんも頑張ったみたいね」

「うん、そう。あの子すごいんだよ? とうとう一度も弱音を吐かなかった。重いとか、暑いとか、疲れたとか」

「へえ、すごいね」

「実際、重かったし暑かったし、めちゃめちゃ疲れたけど、そんな訳で泣き言なんてとても言えなかった」

「ふうん。もしかしてあれかな? ――――愛の力とか」

「なっ」


 突然ガタンとスツールから立ち上がる葉澄。

 その顔には困惑の色がありありと見えた。


「や、やっぱりそういうあれなのかな、彼女」

「さあどうかな。教育実習生と指導教諭なんて、シチュエーションとしてはありきたりだしね」

「……」

「仮に上野原さんがそういう感じだとしても、さすがに八乙女先生の方で自制するんじゃない? そこまで節操せっそうがない人には見えないし」

「そ、そうよね。そうだよね」

「まあそれはそれとして」


 傍目はためから見ると、真白の方が年上に思えることも多々あるようだが、それがこの二人の自然体であり、いつもの姿なのだ。

 残念ながら仕事中にそれを見る機会はほとんどなかったが。


「山吹さんと上野原さんがすごく頑張ったのはいいとして、問題はあれよね」

「あれって?」

「そもそも、八乙女先生はどうして気絶したりしたのかってこと」

「うん、確かに」

「何か変な石みたいなのを見てたら突然に、だっけ?」

「そうね。八乙女先生は私たちに背中を向けていたから、表情とかは分からないんだけど、そんな感じだった」


 当時の状況を思い出しているのか、指をあごに当てる葉澄。


「石から変なものが出てたとか」

「変なものって、だったら私や上野原さんが何ともないのはおかしいんじゃない?」

「そうだね。八乙女先生も目を覚ましてからはピンピンしてるから、毒とかでもなさそうだし」

「変なものって言えばさ」


 葉澄が思い出したように手を叩く。


「私たち、びっくりしたんだよ」

「何が?」

「だって、学校に近づいた時に早見はやみさんと瑠奈るなちゃんが走って迎えにきてくれたじゃない。呼んでもいないのに。あれは本当に助かったよ。後ろから御門みかどさんや黒瀬さんまで来てたし……どうして分かったの?」

「あー、あれね……」


 額に手を当てながら、大きなため息をつく真白。


「正直、私にもよく分からないのよね。大体当の本人たちからして分かってないようだから」

「え、そうなんだ」

「あの時にも言ったけど、私と御門さんは二人をそれぞれ追いかけていっただけ。まさか山吹さんたちがいるとは思わなかった」

「そうかあ……。でもまあ何ともないならそれでいいかな……私としては。分からないって言えば、今のところ分からないことだらけだしね」

「そう言えば、壬生みぶ先生も後から来たでしょ?」

「え? ああ、うん……」


 壬生魁人かいとの名を耳にして、明らかにテンションが下がる葉澄。


「やっぱりああいう時男手おとこでがあると助かるよねー」

「ちょっと、分かってるくせにめてよね。そうだ、私くたくたに疲れて死ぬほど眠かったのに、変な時間に寝て夜寝られなくなると困るから、我慢してたんだっけ。もう今眠い。すごい眠い。すぐ寝たい。じゃ寝るね。おやすみ!」


 そう畳み掛けるように言うなり、葉澄はさっさと保健室を出て行ってしまった。


 あとに残された真白は微苦笑びくしょうすると、ランタンを手にして葉澄の後を追うのだった。


    ◇◇◇


 こうして、彼らのサバイバル初日は幕を下ろした。


 希望も不安もぜにして。

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