第二章 第23話 情報委員会の裏で その1

 少し時は戻って、午後八時頃。

 

「今日は疲れたなー」


「うん」


 ここは三年二組の教室。男部屋である。


 男部屋も女部屋も、災害時用段ボールパーティションを使って、一人一人にパーソナルスペースが確保されている。


 教室サイズの問題から、本来の広さより若干手狭てぜまだが、人一人ひとひとり起居ききょし、多少の私物を置くぶんには十分な広さがある。


 そんなプライベートエリアのうち、ここは神代朝陽かみしろあさひの「部屋」である。


 食事の後片付けを手伝った後、「自室」に戻るやいなや、天方あまかた聖斗せいとが訪ねていったのだ。


 ――聖斗が両手をわきわきさせながら言う。


「オレ、まだ何か手に力が入んない感じがする」


「僕も汗ダラダラになったし」


「あー、シャワーびてー」


「うん」


 二人の少年は、ひざかかえて向き合っている。


「なあ朝陽」


「なに?」


「何か、ごめんな」


「また……もういいって昨日も言ったじゃん」


「そうなんだけどさ」


 二人の間に、沈黙がただよう。

 それを先に破ったのは、朝陽だった。


「だって聖斗は、僕のためにやってくれたんでしょ?」


「そりゃあな」


「それに、こんなことになってるのは、別に聖斗のせいじゃないしさ」


「うーん、まあそうだけど、オレが無理に先生のところへ行こうなんて言わなきゃさあ」


「それにさ」


 聖斗は壁に寄りかかり、上を向いた。


 各個人に配られている非常用LEDランタンの光が、二人の影をくっきりと映し出している。


 ちなみにこの防災ランタンは、最大で三週間近く連続点灯が可能で、四色切替きりかえ無段階調光ちょうこう機能、スマホ充電まで出来るすぐれものである。


「ちょっとほっとしてるんだ」


「……」


「もし帰ったら、また……」


「……お前、帰りたくないの?」


「どうだろ」


 朝陽の視線が窓の方に移る。

 彼のスペースは、窓際にある。


「家には帰りたいけどさ、会いたくない奴らにも会わなきゃならないし……」


「なあ、やっぱり相談した方がよくね?」


「ダメだよ。先生たち、忙しそうだし。それにここにいられるんなら、解決したようなもんじゃん」


 すると、聖斗が声のトーンを落として言った。


「あのうわさは?」


「……」


「だからわざわざ、職員会議の時を――」


「もういいってば」


 聖斗の言葉をさえぎるように、朝陽がささやく。


「僕さ、どっか知らないところに行きたいなあってずっと思ってた」


「え?」


「だから今って、僕の願いがかなったようなもんじゃない?」


「朝陽……」


 朝陽は黙って、ランタンの光量を落とした。


「疲れたからそろそろ寝るよ。聖斗も寝た方がいいんじゃないの?」


「あ、ああ」


 聖斗はかたなさげに立ち上がると、


「そんじゃおやすみ、朝陽」


「うん、おやすみ、聖斗」


「また明日な」


「また明日」


    ◇


 午後八時二十分頃。


 女部屋として、三年一組の教室と音楽室が割り当てられたが、二人の少女の「部屋」は三年一組の方にある。


 同教室には久我くが母娘おやこ山吹やまぶき黒瀬くろせ上野原うえのはらがいる。


 この時間、どこに行ったのか三人の教師たちと母娘おやこの姿は見えず、部屋にいるのは彼女たち二人だけだった。


「ねえねえ澪羽みはね


「ん?」


 そこは早見澪羽のスペース。


 夕食の後、彼女は後片付け等を手伝っていた。


 全ての仕事が終わって自由時間になり、あらかじめ図書コーナーで選んでおいた本を自室で読んでいたところに、御門みかど芽衣めいが情報委員会を抜けてやってきたのだ。


「どうだった? 保健衛生班の仕事」


「うん……面白かったよ」


「黒瀬先生は?」


「うん……優しい先生だった」


「そっかあ」


 ――しばし、会話が途切とぎれる。


「あたしさあ」


「うん」


「澪羽もあたしと同じ班に入るって思ってた」


「……うん」


「あー、別に怒ってるとかじゃないからね、ちょっと意外だっただけ」


「うん……ごめんね」


「もー、何で謝るの。むしろ少しうれしいくらいだよ!」


「……嬉しい?」


「そうよ。だってさ」


 芽衣は、頭の後ろで手を組んで言った。


「澪羽って、今までどっちかって言うとさ、何かする時いつもあたしの方に来て、同じことを選んでたじゃん」


「うん……」


「だから時々思ってたんだ。澪羽って本当にこっちでいいのかなって」


「……」


 澪羽はわずかに微笑ほほえんだまま、その表情は変わらない。


「あたしのやりたいことに合わせてくれてるんだったら悪いなって」


「……そんなことないよ。私が芽衣ちゃんの横にいたかっただけだし」


「それじゃあさ、ちょっと意地悪なこと言っていい?」


 芽衣のりょうまなこが澪羽を正面から射抜いぬく。


「今回はあたしのそばにいたくないって思ったってこと?」


 ――澪羽の瞳がわずかに大きくなる。


「ううん、そうじゃないよ。……そんな風に思うわけない」


「そ、そうなの?」


「うん」


 澪羽の答えに芽衣の表情がふっとゆるみ、小さく息がれた。


「やってみたいと思ったの。治したり手当してあげたりする仕事を」


「……ふうん」


「今日やってみて、ちょっと思ってたのと違ってたけど、面白かったよ」


「そうなんだ。よかったじゃん」


「うん」


 組んでいた手をほどき、芽衣が澪羽に向かって身体を乗り出す。


「それよりさ、ちょっと聞きたいことがあるの」


「聞きたいこと?」


「そう。小耳にはさんだんだけどさ、澪羽ってば急に保健室から出て行ったんだって?」


「え?」


「それで、調査班の、えーと……八乙女やおとめ先生だっけ? その人たちのことを迎えに行ったって」


「うん、そうみたい」


「そうみたいって、自分のことじゃん」


 小首をかしげて、若干困ったように澪羽は答える。


「黒瀬先生にも聞かれたんだけどね、別に覚えていないわけじゃないんだけど、急にそんな気になったって言うか……自分でもよく分からないの」


「あのね」


 澪羽の横に、芽衣は腰を寄せた。


「あたしさ、食料物資班の仕事が一段落いちだんらくついて、瑠奈るなちゃんとグラウンドで遊んでたの。で、バドミントンをやってたんだけど、突然瑠奈ちゃんがピシッと固まっちゃったのよ。あたしの打ったシャトルが頭に当たっても動かなくて」


「……」


「そしたら突然、ラケットを落っことして走って行っちゃってさ、あたしもあわてて後を追ったら、あんたたちと八乙女先生たちに出会ったってわけ」


「そうだったんだ」


「いや、だから他人事ひとごとじゃ……んー、まあいいや。つまり何が言いたいのかって言うと、澪羽と瑠奈ちゃん、どうしちゃったのってこと」


 澪羽がすまなそうに瞳を伏せて言う。


「ごめんね、さっきも言ったけどよく分からないの。瑠奈ちゃんのことも私には」

「むぅ……」


 腕を組んでしばらくの間うなっていた芽衣だが、どう考えても答えが出ないと踏むと、突然立ち上がって言った。


「まあいいわ。もし何か分かったら教えて欲しいけど……とにかく困ったことがあったら相談してよね」


「うんわかった。ありがとう、芽衣ちゃん」


「それじゃあたしはそろそろ寝るね。おやすみ、澪羽」


「おやすみ」


――――――――――――――――――――――

2023-01-21 一部修正、段落配置を見直しました。

2023-01-22 誤表記を修正しました。

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