第二章 第12話 第一回情報委員会 その4

  ◇保健衛生班編2◇


 ふう……ちょっと暑いな。


 窓から差し込む陽光は、まだゆるみを見せてはいない。


 早見はやみさんは戸棚とだなとメモ帳との間で視線を行き来させながら、指差喚呼しさかんこしている。

 そしてそんな彼女を、私は何となくぼんやりと眺めている。


「ねえねえ早見さん」

「はい」


 顔だけを私――黒瀬くろせ真白ましろ――に向けて彼女が答える。


「ちょっと一息ひといきいれようよ。なかなかいっぺんには覚えきれないしね」

「分かりました」


 メモ帳をぱたりと閉じてポケットにしまうと、早見さんは少しきょろきょろしてから先ほど座っていたスツールに腰かけた。「ふう」


「お疲れ様。頑張るね」

「……早く覚えた方がいいと思って」


 ちょっとうつむき加減で答える早見さん。

 

「まあそうなんだけど、ここで使いそうなものはあんまり多くなさそうだからね」

「はい。もっと薬とかたくさん覚えなきゃいけないかと思っていました」


 実際、使うとしたら消毒絡みの消耗品とか、捻挫ねんざや万が一骨折した時の副木ふくぼくくらいかな。


 あとはベッド。


 保健室で薬をもらえるってイメージがあるようだけれど、私たち養教ようきょうは薬を処方できない。

 お医者さんがいないとね。


 前に八乙女やおとめ先生が「あったま痛いんだけど、何か薬ない?」とか言ってきた時に渡した頭痛薬は、あれは私の私物しぶつだし。


「そうだね。あとは……実際に私が処置するのを見てもらって、覚えることかな。一番大事なのは的確に状況判断をして、最適な処置をほどこすことだけど、これはもう場数ばかずを踏むしかないからね」


「はい、頑張ります」

「とは言え……」


 窓の外では……あれは食料物資班かな。

 不破ふわ先生と御門みかどさん……だったっけ、二人が何か話しながら移動している。


「処置が必要になるような事態にならない方がいいんだけどね」

「……はい」


 返事をしながら、通り過ぎる御門さんを見つめている。

 その表情から彼女の心のうちは読み取れない。


 私は、少しだけ突っ込んだ質問を投げかけてみることにした。


「ねえ、早見さん」

「はい?」

「御門さんと同じ班じゃなくてよかったの?」


 彼女の肩がわずかに動いたような気がする。


「……」


「ああ、あのね。別に深い意味があって聞いたんじゃないの。答えたくなければ答えなくていいよ」


「……はい」


 そう言ったきり、彼女はうつむいてしまう。

 あちゃあ……いきなり踏み込みすぎちゃったかな。


 最初の質問でいきなり地雷を踏み抜いちゃうなんて、私もまだまだだなあ……。


 早見さんと一緒に過ごしてまだ丸一日程度だけれど、御門さんとの関係に特別な問題があるようには見えない。


 でも、元々多感な時期の彼女たちだし、活発な少女とその後ろに隠れがちな、物静かな子が親友同士なんて、何かあるお決まりのパターンと言えばパターンかも知れない。


 何度も言うように、先入観は禁物だけどね。


    ◇


 あれから、症状や状況に応じた簡単な処置の練習をしたり、施設管理維持班からゴミ用の穴が出来たからと連絡があって、トイレやその他の場所で出たごみを運んで埋めたり、あとは……他愛たわいない話をしたりした。


 何となく沈んでいた早見さんの表情も、大分だいぶ戻ってきたように見える。

 よかった。


 時計を見ると、午後四時四十五分。

 窓から差し込む日差しはまだ明るいけれど、少し黄色味きいろみが増した気がする。

 そろそろ夕方だもんね。


 まだ夕ご飯には早いけど、うちの班で今日やれることは大体終わっている。

 早見さんはさっきから、保健室に置いてあったいろんな本や資料を片っぱしから読んで……え?


 ――読んでなかった。


 本を手にしたまま彼女は微動びどうだにせず、ぼーっとちゅうを見つめている。


「ちょ、早見さん、どうしたの?」

「……」

「早見さん、早見さんってば」


 背中に触れるとびくりと肩を揺らして、ようやく彼女はこちらを見た。


「あ……黒瀬先生」

「ねえどうしたの、ぼうっとして。何か考え事?」


 いまだ心ここにあらずと言った様子の早見さんに、私はつとめて明るく声を掛ける。


「えと、あの……」

「ん?」


 すると彼女は突然立ち上がった。


「すみません、先生。私、ちょっと出てきます……」


 そして、そうつぶやくように言うと、そのまま保健室を出て行ってしまった。


「え、え?」


 私は、開けはなたれたままのとびらに向かってひとりごちた。


「出てきますって、どこへ……?」

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