第二章 第04話 星空

「ちょっと調べたいことがあるので、外に出てきます」

 俺は教頭先生にそう伝えると、玄関から外に出た。


 時刻は午後七時十五分。

 グラウンドと草っぱらのさかい付近までケータイの光を頼りに歩く。


 見上げると、視界いっぱいに綺羅星きらぼしが広がっていた。


「すげえ……」

 思わず声に出てしまう。


 俺はケータイをスリープにしてバックライトを消し、しばし星の海に見入る。


「南はこっちの方だから……やっぱりそうか」


 少し見上げた目の前に、ひときわ目立つだいだいがかった赤い星——アンタレス。


 背後の天の川が異常によく見えるせいで、むしろ見にくくなっているようにすら思えるが、赤星アンタレスを中心にS字型に横たわる姿を見間違うはずがない——さそり座だ。


「何だか見える位置が高いような気がするけどな……東は」


 東北東の中空ちゅうくうで、明るい三つの星が三角形を作っている。

 いわゆる夏の大三角というやつだ。


「こっちはこの時間帯にしては低いように思えるけど……それより北の方に見えるはずのカシオペアが見えない?」


 そして、北に目を向ける。


「やあ、先客がいましたか」

「うわっ!」


 驚いて振り向くと、そこには人影が。


 この声は――


瓜生うりゅう先生、びっくりさせないでくださいよ」

「ごめんごめん。特に足音を消したとかしてないんだけどね」


 ちょっと夢中になりすぎていたかな。


八乙女やおとめ先生もあれかい? 星空で場所を特定しようと?」


 同じことを考える人がいたか。


 この瓜生先生というのは、確か四十代前半くらいの、何と言うか「もさっ」とした見た目の人だ。


 無造作むぞうさに伸ばした感じの髪に、無精ぶしょうひげが口元をおおっている。

 見た目の印象にたがわず、ソロキャンプとかよく行っていると聞く。

 確か結婚していたと思ったが……。

 一人だけバイクで通勤しているのも、何と言うかこの人らしい。


「まあそんなとこです。今ちょうど北極星を確認しようとしてました」


 瓜生先生が職員室の方へ目を向ける。


 ドーム型になった校舎は夜の闇に沈んでいて、二階とおぼしきところにかすかな光がれている。

 そしてその上には、北の夜空を舞台に無数の星々が輝いている。


「北極星は……あれかな」

「あれですね。ポラリス」

「……気のせいか、低いように見えるけど」

「気のせいじゃないと思いますよ」


 瓜生先生が右手を変な形にして、そのまま校舎の方へ向けて真っ直ぐ突き出した。

「シャカサインって知ってる?」


 釈迦しゃか


「えっと、こうですか?」

 俺はケータイで照らしながら親指と人差し指で輪っかを作り、残り三本をピンと立てて見せる。


「はは、まあやると思ったけど、それっていわゆるOKサインだよね。もしくは『ぜに』のサイン?」

「あと、肛門こうもんも意味するらしいですよ」


 瓜生先生はき出した。


「えぇ、ホントに? ハンドサインは怖いなあ」

「ホントらしいです。で、何ですか? シャカサインって」

「これだよ。今僕がやってるやつ」

 そう言って瓜生先生は腕を伸ばしたまま、右手首をくいくいっとひねる。


「それって顔の横でやると『お電話くださーい』になるやつでは?」

「ははは、言われてみればそうだねえ。でもこれは、ハワイのいろんな挨拶あいさつで使うハンドサインなんだよ」

「へえ、ハワイの」

 俺も右手で真似してみる。こうか。


「はっきり言ってお釈迦しゃか様とは関係ないらしいけど、この手のまま腕を真っぐ伸ばして、小指の先が地平線の辺りにくるようにするんだ」


 うーん、こうか?


「そうすると、ハワイではちょうど親指の先のところに北極星が来るんだよ」

「なるほど。で、ホノルルの緯度いどは……」

北緯ほくい二十一度」

「つまり、同じような位置に見えるこの場所も……」

「そういうこと」


 まあ俺だって、シャカサインとやらは知らなかったけれど、「手の分度器」は知ってるからね。

 ホノルルの緯度を知らなくてもはかれるんだが……そうか、北緯二十一度か……。


「特定しにくいのは経度けいどだけど」

「ちゃんと見てはいませんでしたが、恐らく午後六時頃でしたよ。日の入り」


 夕飯の支度をし始めるころ、が沈んだことは確認してある。


「この時期だと、ちょっと日本より早いね。ということはもう少し東って感じか」


 俺はうなずいた。


「多分東経百四十度かもう少しくらいな気がします」

「ということは」


 そう。


 これで緯度と経度のおおよその数字は分かった。

 分かったけれど。


「問題は、あれだね」

 瓜生先生の表情は見えない。


「はい、その座標の辺りに大きな陸地は」


 ないのだ。

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