第一章 第06話 草原

 オフホワイトのカーテンを引き開けた窓の向こうに見えるもの。


 それは、グラウンドと遊具、そしてフェンスを越えた向こうにいくつか建ち並ぶ民家……のはずだった。


「何これ……」

 不破ふわ先生がうめく。


 そばにいた一年部の二人、如月きさらぎ先生と加藤かとう先生は窓の外を向いたまま言葉をはっせず、時が止まったかのようにじろぎせず立ち尽くしている。

 校長先生と教頭先生も同様だ。


 ちなみに加藤先生だが――こんな言い方をするとどこかからクレームがつくかも知れないけど、顔の作りだけで言えばこの学校で一番整ってるんじゃないかと、俺は思う。

 眼鏡をかけてて、髪は上野原さんみたいなボブカットなんだけどちょっと重い感じで、何かえて野暮やぼったく見せているような気がしないでもないのだ。


 眼鏡を取ったところを見たことはない。


 でも取ったら相当印象が変わるんじゃないか?


 ――ただね、これは噂だけど、ちょっと変わったお人なんだと。

 どう変わっているのか、俺はまだ知らない。


 ……そんなことはさておいて。


 不破先生たちのただならぬ様子を見て、俺は思わず窓際まどぎわに駆け寄った。

 

「なっ……」


 何と――窓の外に広がっていたのは、一面の緑。


 どこまでも続く……かどうか分からないが、とにかく見える範囲には草っぱらがずーっと広がっている。

 目を上に向ければ蒼穹そうきゅうの文字通り、真っさおな天空が頭上をおおい、ところどころに白い雲が呑気のんきに浮かんでいる。


 俺は何も言わずに窓を開ける。

「うぷっ……」


 飛び込んできたのは草いきれ。


 鼻腔びくう遠慮えんりょ会釈えしゃくなしに突き刺さってくる青臭い夏の匂いに、俺は思わずむせてしまいそうになる。


草原そうげん、ですかこれ」

 いつの間にか上野原さんが隣にいた。


「どこなの、ここ」

 と、黒瀬くろせ先生。彼女もいつの間にか隣に立っている。


「どういうこと、これ」

 これは不破先生。


 何だかさっきからみんな一言ひとこと二言ふたことでしかしゃべってないぞ。

 まあ無理もないが。


 俺だって何も考えられないでいる。

 大体、何を考えればいいんだよ。

 と言うか、何か考えてどうにかなることなのか? これ。


 その時、がちゃりと校長室へ続くドアが開いた。


 そして中から、男性と女性――恐らく秋月あきづき先生のとこの保護者だろう――と、子どもが一人出てきた。


「あのう、校長先生……」

 男性の方が校長先生に声を掛ける。


「おお、久我くがさん、大丈夫でしたか」


 久我さん――知っている。


 父親は何と言うか、普通としか言いようのない短髪で、眼鏡をかけている。

 年は……俺と同年代にも見えるし、二十代にも見えるちょっと不思議な感じだ。


 母親の方は、聞きかじった言葉を使えばうっすら茶髪のウルフボブという髪型……だと思う。

 ご夫婦そろって眼鏡を装着しているようだな。


 そして、保護者二人の名前はおぼえていないけれど、あの子は久我くが瑠奈るな

 数ヶ月前に秋月先生のクラス、三-二さんのにに転入してきた子だ。


 ――彼女は場面ばめん緘黙かんもくしょうである。


 転入の際にそう申し送りがあったので、会議を開いてその件についての情報を職員みんなで共有している。

 変な時期の転入だったのでちょっと気になったが、ここの学区が母親の地元というのも理由の一つらしい。


 ……いやいや、今はそれどころじゃない。


 久我さんたちが来校した理由も気にはなるけれど、それどころじゃないだろ今は。


 他の先生たちも、現れた久我さんたちを一瞥いちべつしただけで、すぐにまた窓の外の風景に目を釘付けにしている。


「ちょっと俺、外に出てみます」

 俺はそう言って、外に出るガラス戸に手を掛けた。


「ちょ、ちょっと待ってください八乙女先生。危ないですよ」

 校長先生があわてて制止しようとする。


「いや、あたしたちその外から入ってきたんですけど」

 御門さんが反応した。

 確かに、そうだ。


 大丈夫ですからと告げて、俺はガラス戸を開き、一歩外に踏み出した。

 足下あしもとにちょうど共用のサンダルが置いてあるので、く。


 ――ありのままに説明することにしよう。


 俺の目にうつる景色をそのままに。例えもなしで。


 校舎は基本的に南面なんめんに窓が来るようになっているから、今俺は南を向いて立っているはずだ。


 足下はコンクリートでグラウンドから一段高くなっている。

 そこから降りるとすぐにコンクリート製の溝蓋みぞぶたがある。

 そこから先はグラウンドだ。

 うん、ちゃんとグラウンドがある。


 問題はここからだ。


 数メートル……いや、十メートルくらいまではグラウンドなのだが、その先から突然草っぱらが始まっている。


 何の草かは、よく分からない。

 理科主任だけど分かりません。


 とりあえず、歩き出してみる。


 ……グラウンドは、まあ普通だな。いつもの踏み心地。


 そのまま真っ南進なんしん……もうすぐ「さかい目」……カサッ。


 ――うん、こっちも普通に草を踏む感じだ。

 草の下にげ茶色の土も見える。


 ちょっと走ってみる。


 前方に……あれは森か林か、とにかく木が密集してえているところがある。


 行ってみるか?


 いや、ちょっとこわいな。

 一旦いったん戻って相談しよう。


「なあっ!?」


 職員室へ戻ろうと振り返った俺は、今度こそまさたましいが消えるほど驚いた。


 辺り一面、緑色。

 それはもう知ってる。


 ――その中に、俺の勤める学校が、職員室が……まわりごと繰りぬかれたように・・・・・・・・・一部だけ、ぽつんと存在している!


 先入観やら常識やら全てのバイアスを取っ払って、とにかく事実のみを受け入れるのなら。


 学校が一部だけ草原に、

 職員室とその周りだけが転移した。


 して、しまった。

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