お年玉でbet

うたた寝

お年玉でbet

「………………うーん」

 お正月早々、京子は物凄く渋い顔をして腕を組んで悩んでいた。着物の姿で悩んでいることも相まって、まるで女流棋士が勝負の分かれ道の一手を長考しているかのような雰囲気さえある。

 京子の目の前には可愛いポチ袋が一つ置かれている。お正月と言えば楽しみなことなんていくらでもある。おせちもそうだし、親戚と会えるのもそうだし、年始の特番なんかもそうだ。その中でも一、二を争うくらいに大事なイベントがそう、京子の目の前にあるお年玉である。これを貰わなければ京子の一年なんて始まらないのである。

 目の前に用意されているポチ袋は裏に書かれている名前の通り、京子の物である。これを受け取る権利が京子にはある。では何故それを受け取ろうともせずに険しい顔で腕を組んでいるのか。それは女流棋士並みに難しい一手を悩まされているからである。

 これをそのまま素直に貰うことはもちろん可能だ。そうすれば確実にお年玉を手にすることができる。損はしない。保守的な生き方を望むのであれば、それが健全で安全だろう。

 だが、それでいいのか? そんな生き方でいいのか? 常に安全策を選び、確実な方法を選ぶ。そうすれば確かに大きな失敗はしないだろう。だが、大きな成功も絶対にできない。

 ピンチの中にこそチャンスはある。リスクの大きさはリターンの大きさだ。大きなリターンを得たいのであれば、相応のリスクを負わなくてはいけない。リスクを避け続けるというのはリターンを避け続けるというのと同義だ。損はしないが得はしない。その道の先に大成は無い。

 決めた。ここで引いては女が廃る。長考を終えた京子はその大きな目を際立たせるように見開き、目の前のポチ袋を掴み、母親へと差し出す。

「betで!」

 母親はそう言うのが分かっていた、とでも言いたげにニヤリと笑った。

「かしこまりました」



 京子の『bet』の掛け声とともに、京子の目の前のポチ袋は三つに増えた。一つは大当たり、五万円が中に入っている。もう一つは現状維持の一万円。増えないということに焦点を当てれば外れかもしれないが、減らないということに焦点を当てれば当たりでもある。まぁ、普通だろう。残りの一つは絶対に選んではいけない大外れ、千円。

 三分の二の確実で損はしない、京子の方が有利な賭けではあるが、一方で三分の一の確率で損をする危険な賭けでもある。先ほどの長考など言ってしまえばこれの序章だ。本番はこちら。気を引き締めてかからねばなるまい。京子は佇まいを直すと、熟考を開始する。直感で選んでしまえば、三分の一でしか当たりを引けないが、相手の性格や心理を読めば、確率をいくらでも高められる。

 京子は右利きだ。目の前に並べられている三つのポチ袋を取ろうと腕を上げた際、一番取りやすいのは右端のポチ袋ということになる。ポチ袋を用意する側の心理としては、一番手に取りやすそうな右端に当たりを置くのは躊躇うだろうか? となると、一番取りづらい左端に当たりを配置しているか?

 いや、待て。相手は見ず知らずのディーラーではない。生まれてから今の今まで、下手すれば京子以上に京子のことに詳しい母親だ。京子がそう読むであろうことまで読み、逆に右端に配置している可能性も……、いや、その裏をかき……、その裏の裏を……、と、裏の裏と読んでいく中で無意識下に選択肢から外してしまいそうな真ん中の可能性も……。

 ストーブで部屋が暖められていることもあって、京子の額には一筋の汗が浮かんでいる。京子はそれを袖で拭うと、

「私のおすすめは真ん中よ?」

「くっ……!?」

 まさかのここで向こうからの揺さぶりがきた。今の言葉には一体どんな意図がある? それを伺おうと京子は母親の顔を見るが、母親は不気味な笑みを浮かべているだけだ。流石接客業で顧客のクレームを躱し続ける女。そう易々と本心は見抜けないか。

 落ち着け、京子は大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。母親の言葉でどうしても真ん中を意識したくなる。ここで問題なのが、さっきの母親の発言は真ん中を選ばせたいのか、それともけん制させて選ばせたくないのか、ということ。

 普通に考えれば、だ。真ん中どう? などと聞かれればそこは選びたくなくなるだろう。その選びづらい、という心理を利用し、宣言通り真ん中に当たりを配置することは考えられる。しかし、これは単純に裏の裏までを読んだ場合の話。さらにもう一つ裏を読めば、こちらのそこまでの心理を利用し、配置していない、という可能性だって考えられる。

 いや? 待てよ? 京子は少し閃いたことがある。今の母親の言動はこういう意図ではないか? まず、真ん中を選ぶかどうかの二択。当たりが真ん中にある場合、この確率で当たりを引ける。しかし、当たりが右端か、左端にある場合、ここでもう一度二択が発生する。つまり、本来三分の一で当たりを引けたハズの確率が気付かない間に四分の一に下げられていることになる。

 なんと恐ろしい女だ。ポチ袋三つで確率を四分割してくるとは。だが、看破できてしまえばこちらのもの。確率を四分の一にしたい、という意図が見えてしまった以上、当たりは右端か左端。むしろ二分の一までに上げることができた。後はどっちが当たりなのか、ということだが、流石にこれ以上の絞り込みは無理だろう。後は直感と日頃の行いに賭けるしかない。

 無音が支配するこの室内。普段であれば気にならないようなストーブの音や時計の針の音が嫌に激しく聞こえる。お互いの息を吸って吐くという呼吸音さえ認識できる。きっと今、京子が緊張に耐えかねて飲み込んだ唾の音さえ、母親の耳には届いているのだろう。

 乾いた唇を舌で湿らせ、京子は自分を落ち着かせるように息をゆっくりと吐く。そして自分を奮い立たせ、鼓舞するかのように、小さく早く息を吸うと、

「………………こっちだぁっ!!」

 百人一首で札を取る速度並みの早さで右端のポチ袋を掴んだ。選び直しなどもちろん許されない。泣いても笑っても京子の運命は今この一瞬を持って決定した。重さや厚みで中身を把握するなんて愚行で無粋な真似などしない。それらを自分の手が認識してしまうよりも早く、京子はポチ袋を勢いよく開いた。

「「っ!?」」

 果たしてその中身とは……っ!?

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