死神テレフォン
夢月七海
死神テレフォン
「死神テレフォンを知ってるか?」
騒がしい休憩室、目の前に座った同僚が開口一番そう言ったので、俺はカップラーメンを啜る手を止めて、眉を顰めた。
「初耳だ」
「水面下で噂になっている話だよ」
妙に噂好きなその同僚は、何故だか嬉しそうに話し始める。
「ある町の空き店舗のシャッターに、とても小さくだが、死神テレフォンという文字と電話番号が一緒に黒のマジックで書かれているそうだ。そこに電話をかけて、『もしもし』といっただけで、電話口の死神が、寿命を教えてくれるらしい」
「へえ」
俺の生返事に、同僚は明らかに嫌そうな顔をした。
「お前、食いつきが悪いな」
「俺には全く関係のない話なんでね」
そのままラーメンのスープを飲み干す。空になった容器に、突っ込んだ割り箸ごとぐしゃりと握り潰した。
こっちはこれから仕事なので、そんな与太話に付き合っている暇などない。
「ちなみに、そのシャッターの場所はな……」
立ち上がる俺に、同僚がダメ押しとばかりに噂になっている箇所を言った。それを聞いて、俺は思わず目を丸くする。
「そこ、今から行く場所だ」
「すごい偶然だな」
「気持ち悪いくらいにな」
「どうせなら、試してみたらどうだ?」
「時間があったら」
そっけなく言い返す反面、段々と「死神テレフォン」の事が気になっていた。
△
俺は同僚に言われた場所に来ていた。真夜中の、街灯が少ないシャッター街の中だった。
何年も前に閉店したのか、看板も撤去されている空き店舗、そのシャッターに目を凝らすと、確かに「死神テレフォン」という文字と、その下に携帯の電話番号があった。
俺は自分のスマホを取り出して、その番号にかけてみた。
……ぴったり四回の呼び出し音の後、ガチャリと電話が取られる。
『もしもし、こちら、死神テレフォンです』
若い男のおどろおどろしい作り声が、ご丁寧にそう名乗った。
俺は何も言わずにいると、相手も黙り込む。しばらく続いたその沈黙は、俺の方から破った。
「……もしもし?」
『あなたの寿命は――』
待っていましたとばかりに、相手がそう言って、今度はたっぷりと間を持たせた。
『――今日です』
一方的に言い切って、電話は切られた。
俺は顰め面のまま、真っ暗になったスマホの画面を睨む。
俺の寿命が今日? あいつ、適当なことを言っているじゃないのか?
そんなことを考えていると、かつかつとハイヒールで走ってくる音がしてくる。右を見れば、見知らぬ女性が、必死に手足をばたつかせながら、こちらへ向かってきた。
「助けてください!」
「な、何? どうしたんだ?」
そう叫んだ彼女は、俺の質問には答えずに、スマホを持ったまま立つ俺と、真横のシャッターとを見比べた。
「あなたも、電話したのですか?」
目の前の彼女がそう尋ねるので、俺はとりあえず頷く。
しかし、「あなたも」ということはこの女性も……そう訊き返す前に、正面から獣の叫び声のようなものが聞こえた。
見ると、髪の毛がぼさぼさで、目の血走った男が、大股で歩いてきた。
男の手には、刃渡りの大きい包丁が握られていて、それが数の少ない電灯の光を受けて煌めく。
「殺してやる。どうせ死ぬなら、みんな殺してやる」
男は、堂々とこちらに向かってくる。
この彼から逃げてきたらしいその女性は、俺の背後に回った。
「ちょっと待て、ちょっと待てって、そんなことしても、何の意味もないから、な?」
「うるせぇ! うるせぇ!」
俺が宥めようとするが、男は聞き耳を持たずに、俺のすぐ目の前で止まる。包丁は掲げていないが、いつでも射し込める位置だ。
後ろの女性が、俺の肩をぐっと掴んだので、痛み出す。思わず顔を顰めた。
「落ち着けよ……お前も、変な電話を聞いたんだろ?」
「どうせ死ぬなら」という男の言葉から、俺はこいつも死神テレフォンの被害者だと考えて、そう尋ねた。
「うるせぇ、うるせぇ!」
しかし、その質問は逆効果だったようで、男は顔を真っ赤にしたまま、勢いよく包丁を突き出した。
ざくりと、俺の胸にそれは深く刺さる。
口から「あ、」と間抜けな音が漏れて、白いYシャツが真っ赤な血で浸食されていくのを眺めている間に、体が勝手に前へ傾いていく。
背後の女性の布を裂くような悲鳴を聞きながら、俺の視界は暗闇に包まれた。
△
包丁を抜いた男は、改めて女性の方へそれを向ける。
もはや逃げる気力もないのか、男が近付いても、女性は震えるだけで動かない。
「おい、待て」
その男の足を、俺は掴んだ。
「血がスーツにまで達しているじゃないか。これ、支給品じゃねぇんだよ」
顔を上げると、すっかり青褪めてしまった男と目が合った。幽霊でも見てしまったかのように、怯えている。
男は俺の手を蹴って振り解くと、女性のことすら無視して、とにかくがむしゃらに走り出した。前に進むことだけを目的としたような、無茶苦茶なフォームだ。
俺はぽかんとしている彼女に見つめられたまま立ち上がり、半回転して、走っていく男の姿を目で追った。
……彼は交差点を確認せずに飛び出して、左側から出てきた車とぶつかった。ゴム鞠のように、勢いよく飛んで、地面に叩きつけられる。
俺は、彼が死亡したことを確認して、鬼籍をスーツの内側から取り出すと、男の名前のすぐ横に「成仏」とだけ書いて閉じた。
「あの、あなたは……」
女性が、血が止まった俺の傷口を見ながら恐る恐る尋ねるので、面倒に思いながらも一言で説明する。
「俺は死神だ、あいつの担当の」
指差したあいつには、車の運転手や野次馬やらが集まっている。彼女はそちらの方は見なかった。聡明な判断だ。
そのざわめきすら、彼女にとっては意識の外にあるかのように、目をぱちくりとしていた。信じられないことが続くと、一周回って落ち着いてしまったらしい。
「死神、ですか」
「あんまそう見えねぇだろ」
「はあ」
「喪服ってぐらいで、マントじゃねぇし、鎌とか持っていないし」
「そう、ですね」
自嘲するかのように、真っ黒なスーツの下襟を引っ張る。とはいえ、実際に黒マントに大鎌を持った死神はいる。俺に、ここの電話のことを話してくれた彼がそうだった。
まだ夢でも見ているかのように、ぼんやりとした顔つきの女性は、「あ」と何か気付いたのか、また口を開いた。
「でも、なんで電話を」
「なんだか気になってな」
そう答えながら、もう一度スマホから、先程と同じ番号にかける。
四回目のコールの後、同じ声が電話口から聞こえる。
『もしもし、死神テレフォンです』
「おい、お前が番号書いたところに、今すぐ来い」
俺は、それだけ言って、電話を切った。
一分も待たずに、「あれ?」というような顔で、人畜無害そうな同僚がこの場に現れた。
「さっきと同じ声だと思ったら、やっぱり同僚だ」
「お前の電話のせいで、酷い目に遭った。こっちの彼女も」
「いえ、私は、」
電話の時とは全く異なる素の声で、同僚は「こっちの声も聞いたことある」と頷く。
「僕は声だけで、寿命が分かっちゃうから、それで悪戯をしていたんだけど、君は答えを聞く前に、勝手に切っちゃったよね」
俺たち死神は、人間の寿命はその日にならないと分からないが、この同僚は異なるらしい。
それを聞いて、彼女は恥ずかしそうに俯いた。
「私、急に怖くなって、電話を切っちゃたんです。そしたら、さっきの人に襲われて」
「まだ、寿命は知りたい?」
「いえ、もう凝りました」
彼女はぺこりと頭を下げると、来た方向から戻っていった。まだ青白い顔をしているが、今夜の事は変な夢だと思ってくれても構わない。
めでたしめでたしの雰囲気が漂っているが、これで終わりではない。俺は、満面の笑みで彼女の背中を見送っていた同僚に向き直る。
「お前、こんな騒ぎになるなら、さっさと落書きを消せ。あと、俺のスーツ代を出せ」
「えー、それはそっちの損失でしょー」
口を尖らせる同僚の背中を押して、落書きを消すための道具とスーツ買いに行かせた。
シャッターに背を任せて、取り出した煙草に火をつける。気まぐれで噂の真意なんて、確かめなきゃ良かったなと、近付いてくるサイレンの音を聞きながら、煙を吐いた。
死神テレフォン 夢月七海 @yumetuki-773
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