第10話

 ×四月二十日


 今日の僕は傍観者であり観測者だ。特別な何かを持ち合わせるでもなく、当たり前のように当たり前を生きるしがない凡人。

 何故生きているのか分からないこの僕が何を観測しているのか。

 学校に着いてすぐのことだ。梁壁直人くんを発見した。二年生の下駄箱で靴を履き替えている。軽く挨拶をしようとした時、僕よりも先、二人の坊主頭が彼に接触した。と言うより、どついた。


「よお、梁壁。お前そろそろ島原に返事返してやれよ」

「あいつ、お前のこと見つけるたびにため息吐いてんだぜ!」


 楽しそうな二人と対極に表情が沈む直人くん。

 さあ、観測者モード終わり。

 それを見て即座に僕は割り込んだ。


「や。直人くん。変わらず忙しそうだね。さっき、君のとこの担任……ええと。そうだ、安西あんざい先生が呼んでいたよ。取り込み中だろうか? じゃあ、逆に先生に来てもらおう。その方が良さそうだ」


 直人くんから背後の二人を一瞥する。彼らは露骨に嫌そうな顔をして立ち去った。


「まったく、感じの悪い奴らだね」僕は直人くんに言った。「二対二になった途端にこれだ。程度の低さが極まった悪意だよ」

「すんません、先輩……。助かりました」


 直人くんは目を伏せて答えた。恥じている──よりかは、周囲の視線を警戒しているように見える。ま、登校ラッシュだし、ここでの立ち話は配慮に欠けるか。


「飲み物でも奢ろう。時間あるだろ? ホームルームまで、あと十数分」

「え? はあ……でも、いいんすか? これ以上は先輩にまで影響が」

「君を助けると決めた時点で必要のない懸念さ」

「でも……」

「話を持ってきたのは君だろう?」


 僕なりに微笑んで答えて見せた。少しぎこちなかっただろうか、直人くんは眉根を寄せて小さく笑い返した。


「そうでなくとも、僕はどうせここから消えるからな」

「いくらなんでも気が早いっすよ。いくら卒業生とは言え、まだ文化祭も体育祭も控えてる」

「ん? ……ああ」


 僕としたことがなんてことを。自然な流れで自殺することを吐露しているではないか。まるでヤケになっている。これでは暗瀬に笑われてしまう。


「そうだね。気が早いな、ほんと」


 僕は誤魔化して、提案通りにホールで飲み物を買い、部室まで足を運んだ。

 着席してコーヒーに口をつける。直人くんは缶を握りしめたまま無言でいた。この重苦しい雰囲気で話を進めるのも意地悪だろう。ここは一つ、雑談を挟むとするかな。


「さっきは流れで肯定したが──」


 僕は缶を置いた。


「しかし、冷静に考えてみれば、時間の流れなんて早いものだよ」

「え? あ、卒業の?」

「そうさ。つい昨日が小学生だったようにも感じる。案外、気が早いだなんてバカにできたことではないかもしれない」

「うーん。そうかなあ。授業の時間とか、やっぱしんどいっすよ。どれだけ願っても進みが遅くて」

「そう思った記憶だって過去のモノだろう? 所詮はそういうことだよ」

「ああ……」


 直人くんは吐息のような返事をした。

 僕は続ける。


「昨日のことは昨日のことでしかなくて、振り返ってみても、やはり一瞬でしかないんだよ。しかし人間の記憶ってのはその一瞬すらも鮮明に再生することができる。嬉しいことも──悲しいことも」


 自虐的だと思った。脳裏に死が過ぎる。


「だからこそ、君の抱える問題はなんとかしなければならない。大人になってまでその記憶に悩まされ続けることは目に見えている。それで? さっきの奴らには何をされたの?」

「あー、そっすね……」


 直人くんは缶に口をつけてから一呼吸置いた。よし、うまいこと話を運べたみたいだ。


「クラスに島原……島原南って女の子がいるんです。なんていうか、一匹狼な奴で。俺が島原に想いを寄せているって、さっきの二人が……」

「嘘告白かぁ」

「そうです。島原的には目立つことが嫌いみたいなので、断ろうにも周りが茶化すから面倒みたいで……。まあ、現状も周りは騒がしいままですけど」

「まあそうだよね。一匹狼ってんなら、そんな手合いの人間を相手にする気にはなれないのも当然だ」


 そんなかっこいい生き方をしている人まで巻き添えになっている事実に顔を顰めながらも僕は答えた。

 いじめの主犯、創道龍生。まったく。不愉快にさせてくれる。

 早く彼と話したいところではあるが、もう少しやり方を考えないとな……。


「あ、あの!」


 直人くんが突然声を大きくして言う。


「先輩のことは調べました。聞き覚えのある名前と思って。夢乃夜ひとえ……去年に殺人鬼に彼女を殺されたって……」

「…………」


 あ。

 この子。

 こいつ。


「先輩はどうやって乗り越えたんですか⁉︎ 大切な人を失う辛さを抱えながらも生きるって、俺マジですげーって思ってます! 似た痛みを知るからこそ、先輩の生き方を参考に──!」

「直人くん」

「はい!」

「ホームルームが始まっちまうよ」


 ×


 僕が二年生の選択科目で地理を選んだのは、日本史と世界史に比べて覚える量が格段に少ないからという下心に満ちた理由である。

 しかしこれが想像以上の苦戦を強いられた。

 たしかに覚える量自体は少ないのだが、どうにも記憶の入りが悪い。いまだに扇状地のどっちが扇頂でどっちが扇端か思い出すのに一苦労。案外横文字も多くて混乱する。まあ、世界史よりかは当然横文字は少ないんだけど……。

 ともかく、二年生で地理を選んだ以上、三年生になって日本史か世界史へ行こうなどとは考えない。というか追いつけない。なのでこうして地理の時間は「素直に日本史にすりゃよかったな」と思うことも多い。

 隣の席に座る霞が突然言った。


「ところで、地理って理系向きらしいぜ」


 もっと早く教えろよ。どおりで文系の顔が少ないと思ったわけだよ。

 なんて言うのはただの八つ当たりなので心に留め、別のことを考える。


『似た痛みを知るからこそ、先輩の生き方を参考に』


 そうだな……少し大人気なかったか。

 あの言葉を聞いて僕は少し苛立ってしまった。彼女を殺された痛みといじめの痛みが似たものとされて、僕は「なるほどな」と思ってしまった。

 梁壁直人。彼のそういうところが──人の気持ちを考えず口にしてしまうところが気に食わない層も一定数いるのだろう。

 いじめは絶対に肯定しないし、赦せるつもりもないけれど、彼がターゲットになった理由はなんとなく分かる気がした。

 似た痛み?

 まったく。適当言ってくれるなよ。君は生きてるじゃないか。死のうとしていない。生きようとして僕達に依頼をしてる。比べられるものか。比べられてなるものか。この痛みは僕のものだ。

 腹の中の蟠りをどう解消したものかと悩みつつ、僕は睡眠体勢をとった。


 ×梁壁直人 五月


 重い瞼を開けて起床した。

 五月に入って二週間が経つ。まだまだ涼しい季節というのに、どうにも晴れやかな気持ちで目覚めることができない。それが叶わないとしても、せめて登校の足取りはなんとかならないものだろうか。


「もしかすると、大事件になるかも……」


 ……始まりは一年前。入学してまだ間もない頃。全員が全員クラスに馴染めていなく、高校生としての実感も曖昧な中、直人は一人の男子とぶつかった。

 坊主頭の巨漢は入部してすぐ──野球部で仲間を作り、授業中などで騒いではよく注意されていた。

 厄介者。陰ながらそう思っていた。

 そんな彼と教室の入り口で衝突してしまった時の感想は『ああ、めんどくせ』だった。

 直人は軽く頭を下げて「ごめん、死角でさ」と謝った。目の病が理由で眼帯をしていたことを考えれば仕方のないことである。

 しかし、直人は承知している。この手合いの人間は謝ることを知らない。

 故に先手で謝罪をした。

 結果、後日からいじめは始まった。

 廊下を歩いているとボールを投げられる。

 授業中に消しカスを投げられる。

 休み時間に大声で悪口を言われる。

 わざと体当たりをされる。

 そこそこ出来の良い高校を選んだというのにこんな人間が居るものなのかと心底驚いた。


「どれだけ偉くても汚職がなくならないわけだよ……」


 やるせなく呟き、学校へ足を進める。

 校内に知人は居る。しかし、自分の立場を知られてしまうのはとても苦しい。恥だ。自分は悪くないと理解していながらも、その心が一向に変わる気配はない。

 身内や大人への相談を躊躇しながら一年が経つ。そんなところに風の噂が耳に入った。


“旧校舎に人助けをしてくれる部活があるって”


 どのタイミングで聞いたのだろうか。授業間の休みというのが確かだろう。

 半信半疑に旧校舎へ向かうと、その部は確かに存在していた。

 請負部。

 部長、蓮城いのり。

 部員、瑠璃宮無落と夢乃夜ひとえ。

 瑠璃宮無落については入学当初から知っていた。財閥の御令嬢ともなれば嫌でも知ることになる。

 あとの二人は知らなかったけれど、どちらもどこか変わった雰囲気であることは早々に察することができた。

 蓮城いのりは棘がある。

 夢乃夜ひとえは闇がある。

 異色で異質な三人組に助けを請い、それから数週間が経つ。

 とある事件をキッカケとするかのように、直人へのいじめはほぼなくなったと言っていい。

 しかし、それを素直に喜べる状況ではなかった。


 学校に着く。

 と、校門の向こう側が騒然とした雰囲気であることに気づく。

 皆が空を見上げていた。否──四階の校舎、屋上。

 つられて視線を上げる。


「なんだ……?」


 天気が良いので目が眩む。視界が徐々に慣れ始め、すぐにその異常を捉えることができた。

 男子生徒の後ろ姿。

 直人は彼が夢乃夜ひとえであることを瞬時に理解した。足場は一足分と無い。強風で蹌踉けるだけでも命取りとなるだろう。

 だというのに、彼はまるで怯える様子もなく、屋上に向かって誰かに話しかけていた。

 風が強い。彼の髪が、制服がなびくたびに肝を冷やす。


「な……なんてバカな……」


 彼は両手を広げて、向かい風をいっぱいに受ける。

 こんな馬鹿げた行動にすら請負部としての顔がありそうで、直人は全身を恐怖に包まれた。

 責任。

 請負部へ助けを請うた自分の責任。

 息が乱れる。

 混沌の渦の中で唯一感じ取れたこと。

 夢乃夜ひとえは死への恐怖がないのだと確信できた。

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あなたの地獄より 哀川 @aikawa2322

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