第2話
龍臣、菜奈、嵐山の3人は須賀川を旅していた。
2月8日 - 笹子トンネル上り線復旧、対面通行規制解除。
3人は和田大仏にやって来た。和田大仏は、須賀川市内からの福島空港アクセス道路(福島県道63号古殿須賀川線)の阿武隈川大仏大橋付近の丘の南斜面の岩壁に彫られた高さおよそ3.6mの磨崖仏である。阿弥陀如来あるいは大日如来の像と思われ、 伝説では、808年(大同3年)空海(弘法大師)が 諸国行脚の際に和田大仏を彫ったと伝えられている。 かつては乳不足の婦女子は大仏の乳部を削って粉を煮立てて飲むと乳がでるようになるという民間信仰があったため、乳のあたりが削られている。
まわりの岩壁には、古墳時代の終わりごろにつくられた、当時阿武隈川流域を中心に支配していた豪族の墓跡と考えられている横穴墓が20基ほどある。
1969年(昭和44年)、須賀川市指定史跡に指定された。
大仏を見終えた一同は乙字ケ滝にやって来た。福島県須賀川市と石川郡玉川村の間を流れる阿武隈川にかかる滝。日本の滝百選の一つにも選ばれている。
名前の由来は水が乙字の形をして流れ落ちることに因んでいる。また、乙字ケ滝周辺では阿武隈川が「Z」もしくは「乙」の字に大きく屈曲して流れている。滝幅の広さから「小ナイアガラ」とも呼ばれている。
落差6m、幅100m。滝の近くには、松尾芭蕉がこの滝を訪れたときに詠んだと言われる「五月雨の滝降りうづむ水かさ哉」の句碑がある。滝不動尊や聖徳太子石像などがあり、公園として整備されている。
江戸時代には、白河藩により、滝の下で村民が鱒や鮭、鮎などを捕ってよいとされたが、初漁の魚は殿様に献上することになっており、初漁近くなると藩士が近くに詰めた。その滞在費を持つ代わり、他の賦役は免除されていた。
滝を見終えて立ち去ろうとしたとき、妖怪が現れた。妖怪に関して詳しい嵐山は妖怪の正体はオンボノヤスというらしい。
山の中に入った人間に出会うと、霧を吐き出して吹きかけると言われている。霧をかけられた者は道がわからなくなってしまい、遭難する危険性が高くなるともいわれる。
「オンボ」には「尾」の意味があることから、尾のある妖怪との説も唱えられているが、容姿についての詳しい伝承はなく、謎が多い。
福島県田村地方にはオンボノヤスと同じく霧を使う妖怪がほかにもおり、鬼穴に住んでいたという「大多鬼丸」は、妖術によって霧や雲を自由に操ったという。
福島以外にも、これらのような霧にまつわる怪異は伝承されており、埼玉県の川越城で、かつて井戸の中から霧を生じさせて外敵の攻撃を防いだといわれる「霧吹きの井戸」や、広島県の船幽霊が海面に霧を満たして船の進行を止めたなどの事例がある。
嵐山は「クソッ!」パイロキネシスを使ってオンボノヤスを倒した。
「おめーつえーじゃん?どうやったら魔法って覚えるんだい?」と、菜奈。
「悪いことをすれば使えるようになる」
嵐山は多摩に出かけたとき、洞窟で赤く輝く玉を見つけた。最初は何にも起きなかったが、嵐山が牛丼屋で食い逃げをした直後、ゾンビが現れたので、「クソッ!」というとゾンビが火だるまになった。
2月17日 - JR浜松工場内の不発弾処理により東海道新幹線と東海道本線が浜松市内で一時運転を見合わせとなる。
この日、嵐山たちは牡丹園に出かけた。
総面積10ha(東京ドームの約三倍)もの園内で、290種類、7000株もの牡丹をはじめとする四季折々の花や風景を楽しむことが出来る庭園。
牡丹の開花時期には入園料が必要となるが、それ以外の時期には無料で公開されている。
1766年(明和3年)、この地で薬種業を営んでいた伊藤祐倫が、牡丹の根を薬用にするため、苗木を摂津国(現在の兵庫県宝塚市)から持ち帰り栽培したのが始まりといわれている。
明治時代初期に柳沼家が受け継ぎ、種類や株数を増やし、ほぼ現在の形になった。
1932年(昭和7年)には国の名勝に指定された。
2月19日 - 実業之日本社から刊行の漫画雑誌「漫画サンデー」(1959年創刊)が同日発売の2013年第5号で休刊、54年と通巻2795号に亘る歴史に幕。
この日は物凄い雪だったので、喫茶店で円谷英二について談義した。
「円谷英二は、昭和における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に作り出した技術で特撮映画界に多大な功績を残したことから、特撮の神様とも呼ばれていた。円谷の人生は、活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史とそのまま重なっているんだ。一家は全員カトリック教徒で、英二の洗礼名はペトロ。墓所は東京都府中市のカトリック府中墓地にあるんだ」と、龍臣。
「円谷の下には数多くの若き才能が集い、彼らは親しみを込めて円谷を「オヤジさん」と呼んでいたそうよ。けど、英二本人に向かって「オヤジさん」と呼ぶ者はいなかったそうよ」と、菜奈。
「『特撮』という言葉を創ったのは円谷なんだ。それまでは『トリック撮影』などと呼ばれていた。有川貞昌は、二代目の特撮監督になった際、『オヤジを前にして“特撮監督”を名乗るのはおこがましい」と』して、またもう一つには同じ称号に対する憧れもあって同じ『特技監督』を名乗っていたんだ」と、嵐山。
「新しい特撮のアイディアを常に頭の中で練っており、味噌汁をかき混ぜていてキノコ雲のトリックを思いついたり、生活の中でそれを見出すこともしばしばだったそうだ。特撮監督の名が世界的になるにつれ、予算の限られた中で、常に新規のアイディアを盛り込んだ特撮を公開日までに間に合わせるという重圧はすさまじいものだったようだよ」と、龍臣。
「私たちだったら、『ウルトラマン』を超える映画を作れるかも知れないわ」
菜奈の顔には自信が溢れていた。
嵐山は冷めたコーヒーを飲み干した。
雪が止んだので、須賀川駅前を歩いた。ウルトラロードにはウルトラマン、ゼットン、ウルトラセブン、ウルトラマンタロウ、エース、レッドキング、ウルトラの母などの人形が飾られている。
2月20日 - 2001年(平成13年)に起きた明石花火大会歩道橋事故で神戸地方裁判所は強制起訴された元副署長に時効で免訴の判決を言い渡した。
この日の夜、島崎正一という六角精児に似た男が2人の男に射殺された。竜崎はこの事件に興味を持ち正一の身辺を調べ始める。
その結果、正一は以前サンデーという東北で有名なホームセンターで働いていたが、窃盗罪で3年の懲役刑に服していたことがわかった。その事件を担当した刑事、呂宋の話から、島崎は暗黒街のボス・硴塚龍臣の情婦桜に心ひかれ、その罪をかぶって服役したことが分かった。
さらに正一が出所後、龍臣らと一緒に帽子会社の給料強奪に参加させられたが裏切られ、その腹いせに盗んだ金を全部取って逃げたということも分かった。
すべては龍臣と桜の共謀であり、その秘密を知る正一は口封じに殺されたのだった。
2月28日
龍臣、菜奈、嵐山は須賀川駅前にやって来た。
龍臣は青い玉、菜奈は黄色い玉をそれぞれ手にしていた。正一殺害後、多摩に出かけたとき怪盗グルーブがアジトにしてる廃ホテルに忍び込み、玉を手に入れた。菜奈はどんな鍵でも開ける魔法の鍵を手にしていた。
列車を待っていると妖怪が現れた!
朱の盆って妖怪だ。
会津の諏訪の宮に朱の盤という化け物が出るとの話を聞き、山田角之進という若侍がその正体を見届けようと夜中に出かけた。すると別の若い侍に出会ったので、四方山話のついでに、「ここには朱の盤というものが出るそうであるが、貴殿はご存知か?」と問うと、相手の侍が「それはこのようなものでござるか」と言って見せた顔は、満面朱を流したように赤く、髪は針のようで、額には1本の角、目は星のように輝き、口は耳まで裂け、牙をかみ鳴らす音は雷鳴のとどろくようであった。角之進は余りの恐ろしさに気を失った。しばらくして息を吹き返し、夜道を急ぐと1軒の家があり、女房が1人で留守番をしていた。ようよう安堵して、先刻化け物に出会った云々の話をすると女房は、「それは大変な目にあわれました。してその化け物はこんな顔でありましたか」と言って、またさっきの化け物の顔になった。角之進は家を飛び出し、やっと自宅に逃げ戻ったが、100日寝込んだ末に亡くなったという。
その2の型は、のっぺらぼうなどのように、各地に伝わる再度の怪(化け物が2度続けて同じ人を驚かせる)に当てはまる型である。
菜奈が「クソ〜」と言ったが何も起きなかった。
龍臣が「クソッ!」と叫ぶと朱の盆はカチカチに氷結し死んだ。
闇に叫べ!9 須賀川殺人事件 鷹山トシキ @1982
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