第6話 エースと四番 2
八回の攻撃が始まる前、仙水の監督、卯ノ木は花火に「どうする?」と声をかけた。
「かわりません!」
花火は監督の目を睨みつけ、ベンチ全員に聞こえる声ではっきりと交代を拒否した。
「お前を特別扱いしているのはその圧倒的な結果からだ。この回、打順の回る場面でわざわざアウトを献上するというのはチームの方針に響くと思わないか?」
「………」
花火は言葉に詰まる。交代したくない気持ちはあるが、チームが負けることの方が耐えられない。
それでも。
「私は仙水のエースです。エースが勝ち負けの責任を負わずにマウンドを降りるなんてありえません!」
花火は監督の目を見て訴える。その瞳には絶対に点を与えないという気概が見えた。
「それに、花火の実力をこんなもんだと思ってもらいたくないんです」
花火が野球を始めたのは二つ上の兄に誘われたからだった。しかし、この時の遊びは野球といってもただただ緩やかにボールを投げて、バットに当てるだけの簡単なもの。人数だって五人程度しかいなかったはずだ。だからだろうか、左投げの花火のボールは慣れていないのか、空振りをする子どもが多かった。
それまで、スポーツをしてこなかった花火にとって、それは新鮮な体験だったのか、いつしか親に頼んで地区の野球チームに入れてもらった。そこでも、左投げの優位性があったのか、ピッチャーとして試合に出ることができた。しかし、チームは勝ったり負けたりの平均的なチーム。花火自身も抑えたり、打たれたりとエースと呼ばれるような働きはできていなかった。
「中学校に上がったら別のことをしようかな」
勉学の覚えがよかった花火は特に野球を続ける意思はなかった。ただ、その時、日本の話題をさらっていたのは橘きらりだった。テレビをつければ、新聞を開けばきらりの姿があった。当然、花火もきらりの活躍を目にする。
そんなに身体も大きくはない。自分と同じ女の子が自分よりも頭二つ大きい男の子を三振に切って取る姿に憧れを持つのは自然な流れ。
「もうちょっとだけ続けてみようかな」
中学生になり、シニアチームの練習に参加した。そこには自分と同じようにきらりに憧れた少女たちがいっぱいいた。
チームも女子が野球をすることに寛容だったのか、特に入部試験というものは設けず、全員を受け入れた。
ただ、それがいけなかったのだろう。試合では全員に出場機会を与えなければ親からの文句があった。少しでも厳しい練習をすれば女の子はついてこれず、やはり文句が上がった。
そして、不穏な空気はやがてチーム全体に伝染していく。
実力のあった男子部員は嫌気がさしたのか、このチームを辞めて、別のチームに移籍した。チームに残ったのは女子にチヤホヤされたい男子と楽して輝きたいと言う甘い考えの女子だけ。
監督もどこか投げやりになっていた。
このままではダメだと思った。
花火はレギュラー選手として、チームを鼓舞しようとしても誰も頑張ろうとしない。
負けることが普通になったチームにはなにも響いてくれない。
正直、いらついた。口だけで、なにもしないチームメートに、自分の子供の体裁しか気にしない親に、問題を起こさないようにと自分を注意してきた監督に、なにより周囲に夢を見させられる実力がない自分に。
責任感の強い花火は自分一人でチームの勝敗を背負った。守備力に難のあるチームではボールをバットに当てられるだけでピンチになる。
花火のすべて三振を目指すスタイルはこの頃に確率された。
そのためには、球威、キレ、コントロール、スタミナすべてを兼ね備えなければいけない。花火はそのための練習を一人で行う。チームから完全に浮いていたけれど、残念だとは思わなかった。
しかし、中学生として最後の試合も花火一人の力ではどうすることもできず、最後は体力不足でサヨナラヒットを打たれて終わった。
チームメートにもちろん涙はない。むしろ、ようやく終わったことに笑みを見せている選手だっていた。
花火は悔しさを、今までの鬱憤を爆発しそうなところを一人の大人に制された。
「その悔しさは高校で爆発させろ」
「………」
「お前の本気はこのチームだと相容れなかったが、俺の高校にくれば花開く」
「………」
「待ってるぞ」
「……だったら」
花火はその大人に自分の高校生活を賭けた。
しかし、仙水にとって初めての女子野球部員ということもあり、部員は花火をどう扱っていいのか戸惑っているように見えた。
もし、花火が試合に出場すれば話題作りと揶揄されるのだろうか。実力がないくせにと陰口を叩かれるのだろうか。
それは嫌だった。
だからこそ花火はすぐに結果を出そうとした。
恒例になっている新入生と上級生の紅白戦。花火は強豪仙水の一軍を完璧に抑え、新入生のチームは一対〇で勝った。それは名門仙水にとっても初めての新入生が完封を果たすというものだった。
「もしかして、花火ってすごいの?」
がむしゃらに打ち込んだことに対して、初めて結果がついてきた。花火自身もここまで思った通りの結果になったことに驚いた。
標準以上の守備力があれば、一点でも取ってくれる打線であれば負けない。
仙水に頼れるエースが誕生した瞬間であった。
その後の結果は紆余曲折あるが、花火にとって、この試合の状況は到底受け入れられるものではない。
プライドの高さは天よりも高いが、その自信は絶対的な練習量の裏付けだった。
「監督。ここは神代に任せてあげてもらえませんか?」
キャプテンの稲嶺は監督に進言する。
「わかった。責任を全うしてこい」
監督はそう言って、花火をネクストに促した。
スコアブック 小鳩かもめ @kamome1106
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