愚かな我らに捧ぐ歌
此の世は醜い。
こと人間の醜さは際立っている。
温和な顔の裏で、容易く他者の命を奪う者。
欲望の儘に動き続け身を滅ぼす者。
高尚な理念を声高に語り、我に義ありと踏ん反り返る者。
自己犠牲を美しい事だと信じてやまない者。
己可愛さに不条理から目を背ける者。
近頃は、彼らの声を聞くだけでも吐き気を催す様になってしまった。
嗚呼、人間とはなんと醜く穢らわしいのだろうか?
今日も素晴らしく不快な彼らを見下ろして、「私」は静かに嘲笑った。
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「私」とて、初めから此の世界を嫌っていた訳では無い。
そりゃあそうだ、「私」も元は真っ当な人間だったのだから。何も比喩では無い。
愛に盲目な母と、厳格そのものの父。そんな二人と穏やかに過ごしていた、平凡な少女だった。
私は静かで凪いでいて、けれど間違い無く平和な世界を歩んでいた筈だった。
けれど、その平和は、私が高校受験に失敗したことで呆気無く崩れ去った。
父は絵に描いたようなエリート人生を送ってきた人だ。偏差値の高い学校から学校へ通い詰め、就いた仕事がIT企業。入社してそう経たない間に、確固たる役職と権利を手にした、秀才そのものだった。
自分に出来たのだから、娘にも出来ない訳が無い。
父はそう信じていたし、私もそう思い込んでいた。
けれど、私は出来なかった。
父と同じ道を辿って来たのに、同じ高校へ進学するということだけが叶わなかった。
父は怒った。俺に出来たのに、お前には何故出来ないのか?努力が足りない、血を吐いても泥を啜っても学ぶのだ、と言った。
母は父に怒った。この子は私の可愛い子。勉強出来なくても私と一緒に居てくれる子には価値があるの。私の為に生きてくれたら良いのよ、と言った。
私はただただ謝った。私が落ちたから。私が出来なかったから。私の努力が足りなかったから。御免なさい。御免なさい。御免なさい。泣いて二人の足に縋った。
けれど両親は私を見てくれなかった。
あっという間にリビングは修羅場と化して、気付いた時には血みどろの惨状が出来上がっていた。
私は泣いた。
二人はもう冷たくて、互いを貫いたナイフだけが妙に生々しくて。
そして、私は気付いてしまった。
私は結局、この人達の飾りでしか無かったのだと。
愛すべき対象でも、庇護すべき対象でも無く。
父にとっての私は完璧なキャリアを彩るパーツで、母にとっての私は優しい母親という虚像の欠片でしか無かったのだと。
自分が両親の飾りだと信じたく無い。両親からの関心を乞うばかりの愚かな子供だと信じたく無い。何の為にここまで生きてきたのか考えるのが恐ろしい。
嗚呼、なんて虚しいのだろう?
私は自分の舌を噛みちぎった。
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「私」は、程なくして此処で自我を取り戻した。
勿論、元の私は死んでいる。だから、此処に在るのは私の中身だけなのだろう。
私の中身。
……それは即ち両親への憎しみと、私への苛立ち。そして、私を、両親をこんな風にさせた世界への恨みだ。
世界を嫌い、愚かな人間を嫌い、自らも嫌う。
此処に来て私はやっと「私」となったのだ。
けれど。
何故だろう。
「私」は何故か、全てを憎みきれていない。
彼らのことは間違い無く憎い。恨めしい。腹立たしい。呪わしい。
なのに、何故か彼らのことをまだ信じたくなってしまう。
私のことを、愛したくなってしまう。
嗚呼、一番愚かしいのは、「私」では無いか……!
何度も傷付き、傷付け、穢し、穢され、嗤い、嗤われ。
それでも、一片の無垢な想いを乞うてしまうのは、何故なのだ。
これでは、忌み嫌う人間どもと同じでは無いか。
もう、とうに人としての感情を捨てたつもりで居たのに。
嗚呼、嗚呼、馬鹿馬鹿しい。
こんな思いをするのなら、もっと聡く在りたかったよ。
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愚かな彼らは、今日も乞う。
愛してくれ、見てくれ、嗤ってくれ、と。
愚かな「私」も、彼らと歌う。
愛してくれ、見てくれ、嗤ってくれ、と。
気高い仮面を被っても、彼らと「私」は本質的に乖離する事は出来ないのだから。
だから今日も我らは捧ぐ。
愛してくれ、見てくれ、嗤ってくれ、と。
銀樹 @frozen_yzyzx
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