宇宙服とあなたとの距離

かめにーーと

本文

 The friend is the man who knows all about you and still likes you.

 友人とはあなたについて全てを知っていて、それでもあなたのことが好きな人だ、と定義したのは、米国の作家エルバート・ハバートだが、その定義に倣うならば、私には友人がいない。なぜなら、私について全てを知っている人がいないからだ。仮に「全て」というのが単なる誇張表現だとしても、友人が私について知っていることのうち、一体どれほどの情報が真実なのだろう。他人は私について、真偽の判定がつかない曖昧な情報で人格を推定し、人物像として理解する。それでも私のことが好きな人は、その人物像ではなくて、本当に私が好きなのだろうか?


正すならこうだ。

 The friend is the man who has obscure information about you and likes you or your character.

 友人とはあなたについて曖昧な情報を持っていて、あなたまたはあなたの人物が好きな人である。


 他人が私を理解できないのと同様に、私も他人を本当には理解できない。そういう自己認識で今まで人間関係を構築してきたし、これからもそうなるだろう。すなわち、他人には本当の理解を求めないし、期待しない。そして、他人を本当に理解しようとする試みを放棄する態度を、これからも取り続ける。孤立で、孤独なものかもしれない。ただ、元来人間はそういうものだという諦念がある。

 ただもちろん、そのような態度を公にすることはない。あからさまにサバサバとした態度をとっていると、社会生活では色々と不都合がある。私は目に見えない宇宙服を着ながら生きている。外部と接触するために、十分な安全材料を身に纏っている。そういう生き方が、息苦しくなったら、一人になって、服を脱ぎ、深呼吸をする。この文章を書いている時みたいに。


Q.他人に何を求めるか?

A.会話の相手


「でさ、この前職場の友達と飲みに行った時さ、みんな、お酒きた?よし、じゃあ乾杯するよ!ってなって、みんな手にお酒持って乾杯ってなった瞬間にさ、店員やってきて。『塩キャベツと枝豆とアボカド豆腐でーす』って机に置いたの。ありえる?もうちょっとだけ、後10秒くらい待ってくれたら、乾杯できてつまみも来て最高!だったのに、タイミング最悪だったんだよ」

「えー、でもまあ、店員さんも忙しかったんじゃない?」

「それはわかるけどさあ。10秒だよ?10秒。バリバリ忙しい外資系リーマンじゃないんだからさあ、ちょっと待ってくれてもいいじゃんって、乾杯してから愚痴言っちゃった」

「ふふ。どんな店員さんだったの?もしかしたら新人さんだったかも」

「あー言われてみたら、若そうな子だったなあ。動きがシャキシャキしてたというか。……あ、そうそう。で、その子また少ししたらやってきて、『やみつききゅうりとチョレギサラダでーす』って。いやいや、うちらさっきから緑の物しか頼んでないやん!ってなって、ちょっとうけた」

「あはは。確かに緑の野菜ばっかだね。健康にはいいかもよ」

「まあ?女子力高めだから?その後めっちゃ焼き鳥頼んでやりましたけどねてへぺろ」

「てへぺろって、もう古いんじゃない?」

 そういって沙織は笑った。私もてへぺろ顔を崩し、笑い合う。


Q.他人に何を求めるか?

A.面白い発見や話題


 沙織がぱっと顔をあげる。

「そうそう。焼き鳥といえばね。ねぎまってあるじゃん。あれって何でねぎまって言うか知ってる?」

「ねぎま、ねぎま。ねぎは野菜の葱でしょ? ま、は『まじでうまい』のま?」

「ぶっぶー。正解は、まぐろのまでした。江戸時代はねぎとまぐろを挟んでたんだって」

「何それ!初知りなんだけど。待って、じゃあ今のって、ねぎまじゃないじゃん。もも肉だったら『ねぎも』、むね肉だったら『ねぎむ』にするべきでは?詐欺じゃん!今度ねぎま頼んで鶏肉だったら抗議しよ」

「落ち着いて。また店員さん困らせちゃうよ?昔はまぐろのトロの部分は廃棄されることも多くて、それを使った料理を考えたんだって」

「へー、今じゃ考えられないなあ。ねね、他に焼き鳥豆知識ないの?」

 考えるそぶりをする沙織。

「ハツって、どこの部位か知ってる?」

「私をおちょくってるな?心臓でしょ?」

「そうだね。じゃあ、語源は何だと思う?」

「え?ハツ、ハーツ、hearts、まさか」

「そう、英語のheartsから来ているのでした!」

「わ、わあ。すごい。でも、ハツだけに、初知りだって、言ってあげたいけど、実は私知ってました……」

「え、何?ひとみちゃん知ってたの?ちょっと、私のドヤ顔返してくれぃ」

「うそうそ。私全然知らなかった。ワタシゼンゼンワカラナイデス」

「今更言っても遅いから!日本語も怪しくなっちゃったし」

「あはははは。よしよし、この調子で、まだまだ出るよね?焼き鳥豆知識」

「え……無茶振りだなあ。よし、時間かかるかもしれないけど、ちょっと待っててね」

「うんうん」

 上を見て、頭を横に傾ける沙織。黒い綺麗な髪が、風鈴みたいに揺れる。

 しばらくして。

「牛タンって、あるじゃん。あれって、舌一枚じゃないらしいよ」

「それ、沙織の高校時代の勘違いじゃん!牛さんの舌、薄過ぎだって言って、めっちゃ笑ったの思い出したわ!」


Q.他人に何を求めるか?

A.外部記憶装置


 一通り思い出話に花を咲かせ、一呼吸ついた時、沙織が言った。

「高校の時のひとみちゃん、不思議だったなあ。明るくて、誰にでも優しいのに、たまに一人でぼけっとしてて、なぁんか浮かない顔してるし。どうしたの?って声かけても、何でもないって言ってはぐらかすし」

「え、そうだったっけ?よくそんなこと覚えてるね」

「覚えてないの?本当に?そうだ、あとやたら私と目が合ってたよね。授業中とか、体育の時とか。……覚えてない?ま、今となっては色々合点がいくけどさ」

「全然記憶にございません……。たぶん、無意識のうちに、視界に入れてたんだと思う」

「そうなんだ。印象に残ってたの私だけだったのかな。でもさ、時々怖いなって思うんだ。もし、もしね。もしもの話だよ?ひとみちゃんと私が同じ大学じゃなくて、しかも近所住みじゃなかったとしたら。私は一生あのひとみちゃんの視線の意味とか、浮かない顔している理由とか、知らないままだったかもしれないの。たまに目があって、たまに不安そうな顔をしてて、でも明るくて優しい人だったな、いい人だったなって、そういう認識で終わってたかもしれないって」

「そう……」

「なんか、怖いよね。人を知るのも、知らないのも」

「……沙織も、そう思う?」

「……うん。でも、確かなのは、ひとみちゃんのことは、知れて良かったと思う」

「嬉しい」

 沙織を抱きしめる。彼女の潤んだ瞳を見つめ、唇を重ねる。


Q.他人に何を求めるか?

A.体温


 会話の邪魔にならない程度の音量で流れるテレビは、大雪のニュースを伝えている。私はこたつから這い出るようにして沙織を抱きしめながら、耳元でささやく。

「高校の時の私はさ、なんと言うか、本当の自分と、他の人から見えている自分とのギャップみたいなものに、悩んでたんだよね。ほんとの私はそうじゃないんだ!っていう気持ちと、でも、みんなが求めてくる私の性格にも、応えてあげたい気持ちもあって。揺れ動いてた?みたいな。今思えば、そういうのって、すぐには結論が出ないというか。時間が解決してくれるというか。……私も、大学入って、沙織と今まで以上に仲良くなれて、……恋人になれて、良かったと思う。沙織が本当の私を知ってくれる、唯一の存在になってくれて、本当に嬉しい」

 沙織は時々小さく頷きながら、私の話を聞いてくれた。私は彼女をぎゅっと抱きしめながら、体温を感じる。あたたかいな、と思う。私が力を緩めると、彼女はゆっくりと顔をあげた。上気した頬に軽く触れるようにキスをしてから、再び唇を重ねる。体温と、唇の感触、漏れる小さな吐息。いいな、と思う。沙織は、一番外側も、内側も、連動して動いている。私の話を、疑うこともなく、無邪気に、純粋に、言われるがままに受け入れて、言葉に共感・同調して、理解を示して、頬を熱くして、私の唇を暖かく迎える。私も沙織みたいに、心も身体も連続だったらよかったのに。そうしたら、心と身体、身体と心が、繋がっていたのに。そうしたら、この行為が、沙織の心と私の心を繋ぐ架け橋になっていたのに。

「……ね。ちょっと、横にならない?」

 沙織は小さくうなずいた。


Q.他人に何を求めるか?

A.他の人に見せない顔


 あまり、考えないようにしている。心は嘘をつくから。している時くらい、本当の沙織を感じたい。手の動き、指の動きは、沙織の反応を見ながら、ほとんど条件反射で動かす。彼女は、ぎゅっと目を瞑るから、私は一方的な視線を投げかけることができる。耳の形、首筋、鎖骨、胸からお腹。高校の時は、遠くから盗み見ていたその造形を、指の先でなぞりながら、彼女の反応を見る。自然と、笑みがこぼれる。唇、舌を這わせて行って、時々焦らす。声にならない声を漏らして、他の人には見せない顔を見せる沙織。私は、多幸感に酔いしれる。


 一通り終わって、私は彼女を抱き寄せながら枕と布団を共有している。沙織はさっきから一定のリズムで呼吸をしていて、時々私はその髪を優しく撫でる。耳をすませば、時計が小さくチクタクと音を立てているのが聞こえる。

 突然、沙織が目をぱっちりと開けた。

「……むにゃむにゃ。私は寝ぼけてまーす」

 そう言いながら、彼女は私の鎖骨のあたりにキスをした。

「……寝ぼけている人はそんなこと言わないと思うんだけど。……って、ちょっと」

『寝ぼけている』沙織は、繰り返し私の鎖骨の周りに唇を当てる。彼女にしては力が強く、私は抵抗するも及ばない。

「……ちょっと、沙織?」

「ん~?」

 彼女は私にまたがるように乗ってから、首筋にもキスをする。

「沙織、ちょっと、お願いだから、やめて」

「……どうして?」

「どうしてもこうしてもないけど、お願い、んっ」

「……いつも私ばっかりしてもらってるから、私もしてあげたいって思って」

「それなら、大丈夫だから。ほら、この前も言ったけど、私は沙織を見てるだけで、すっごく満足できるから、そういうのは大丈夫なの」

「……うん、それはわかったけどさぁ」

 沙織は私のブラジャーの肩紐をなぞりながら言った。

「下着くらい、脱いでくれてもよくない?」

 彼女の顔は、常夜灯の逆光になっていてよく見えないが、心なしか悲しそうに思えた。

「……裸の方が、ハグも、気持ちいらしいよ?」

「…………わかった。わかったから、ちょっと一旦どいて?今から、とるから」

 そういうと、沙織は素直に元の添い寝の体勢に戻ってくれた。

「……その代わり、触るのも、じろじろ見るのも、禁止だからね?」

「舐めるのも?」

「禁止。絶対禁止。いい?」

「……禁止条項多いなあ。契約書みたい」

「守るの?守らないの?」

「守ります」

「ブラだけだからね?下は、とらないから」

「……わかった」

 彼女の返事を待ってから、私はブラのホックに手を掛ける。でも、体勢が悪いからか、なかなか外れない。沙織が、手を貸してくれると、あっけなく、外れた。

「……わ」

 外れた瞬間、沙織が強く抱きしめてきた。いつもより、濃密に、彼女の体温と肌を感じる。彼女がクスクス笑うと、髪の毛の動きが、肌に直接感じられる。

「……ね?」

「……うん」

 沙織が顔を上げて、キスをする。そんな時間が、しばらく続く。


 再び、部屋は静寂に包まれる。特に言葉を交わすわけではないが、同じ時間を共有していることが、アナログ時計の秒針の音から感じられる。居心地が良くて、このまま眠ってしまいそうだが、眠ってしまうのも、もったいないような時間。

「……ねね、私、今何考えてるか、わかる?」

 いつものように、沙織が、水面に小石を投げ込むみたいな感じで、話題を提供する。

「うーん、明日の朝食何かな?とか?」

「ぶっぶー。私そんなに食いしん坊じゃありません」

「ほんとに?じゃあ、そうだなあ」

 少し考える。

「……ハグが、よかった、とか?」

「……それは思ったけど、今、じゃありません」

「そうなの。むずかしいなあ」

 そう言いながら、沙織の頬を指で優しく触れる。

 本当は、最初に聞かれた時点でわかっていた。沙織の声に、少しだけ憂いが含まれていたから。本当は、聞きたかったけど、タイミングを探しているような感じがしたから。即答したら、何だか野暮な感じがして、別の回答で誤魔化していた。あくまで、考えて、偶然たどり着いたみたいに。

「…………飲み会、一緒に行った人と、何かあったのかな?とかだったりして。そうだったら、可愛いね。心配してくれてるみたいで」

「……なんでわかったの?」

 ぱちくりとまばたきをする沙織。その反応を見て、私も驚いたふりをする。

「まさか当てられるとは思ってなかった」

「じゃあなんでクイズにしたのよ~。てか、大丈夫だって。心配するようなことは何もないから」

「……ほんと?だったらいいけど。ひとみちゃん、女の子の扱いうまいし、クラクラきちゃう人いるかもって」

「心配には及ばないよ。もしそうだとしても、私には沙織がいるでしょ?それとも、私が簡単に他の女に靡くとでも?」

「そうは思ってないけど……。うぅん……」

「……不安なの?」

 沙織は何も答えない。でも、沈黙が意味するところはわかっている。

「大丈夫だって。さっきも言ったけど、沙織は私にとって特別な存在だよ?そういうのって、もう、簡単に壊れるものじゃないんだよ。第一、高校時代も含めると、私が沙織に何年片思いしてたか、忘れちゃったの?」

「……なんで、そんなに、私のこと、好きでいてくれるの?」

「なんでって……そういうの、理由が必要?」

「……わかんない」

「……もう、そうやって全てに理由を求めるのは現代人の悪弊だぞ~」

「ふふ、悪弊、だって。ひとみちゃん評論家みたい」

 沙織が笑ってくれたことで、ちょっと空気が和む。彼女の自信なさげなところは、かわいいところであるのと同時に、弱点でもあるな、と冷静に分析する。でも、真剣な話の中でも、楽しいところを見つけて面白がれるのは、彼女の好きなところの一つだと思う。言わないけど。


 枕元の小型のデジタル時計はもうすぐ日付が変わりそうな時間帯を示している。

「……まだ、心配?」

「うぅん。ごめんね、私またひとみちゃんに甘えちゃった」

「いいよ。そんなの」

 しばらく、沈黙が続いた。私は考え事をしていた。

「……ひとみちゃんは、私のこと、何でもわかってくれるね」

 すぐに、返事ができなかった。

「……そんなこと、ないよ。わかってることだけ」

 といっても、わかっていることも、外面をなぞっているだけ。私は、本当に、彼女を理解しているのだろうか?本当の、彼女を、知っているのだろうか?

「……私も、ひとみちゃんのこと、ちゃんとわかってあげたいな」

 何気ない声の調子で、ぽつりと続ける沙織。特に他意はなかったと思う。

 私は、見えない宇宙服を着て生活をしている。そのおかげで、傷つかないように生きることができた。本当は、外に見せる顔と内側の心が、自分でもわかるほど、乖離して、隔絶されている。それを、知られたくない。本当の私、全ての私を、見せたくない。どうせ理解されないことはわかっているから、理解を求めることをしない。でも、そのせいで、一番好きな人のことも理解できないし、一番好きな人にも理解してもらえない。心と心を通わせることができない。私も、沙織も、薄々、そのことに気がつき始めている。

 返事がない私を不思議に思った沙織が顔を向ける。

「……え、ひとみちゃん、なんで泣いてるの?」

 私だって、本当は、人を理解したい。人を心の底から愛したい。でも、その方法がわからない。わからないから、こうやって、もがきながら生きているんじゃないか。

「え~ちょっと待って、大洪水じゃん!ハンカチ持ってくるから!」

「……うん。ごめん、なぜか、止まらなくて。自分でもわかんないんだけど」

「待って待って。ていうか布団の外さむっ。このハンカチ、流石に子供っぽいかな。あ、これにしよ!高3の時ひとみちゃんにもらったやつ!」

 私を励ますようにわざと大きい声を出す沙織。そういう優しさに救われている。居心地がいいから、一緒にいる。今は、ただ、それだけかもしれないけど。

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宇宙服とあなたとの距離 かめにーーと @kameneeet

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