第5話 依月の手伝い

 学校帰りの真弥まや巳澄みすみ屋に行ってみようと思い立った時から、時間は少しさかのぼる。


 その日の朝、翔吾しょうごは落ち着かない気分で売店の中を行ったり来たりしていた。

 翔吾の視線の先では、依月いつきがスナック菓子を棚に並べている。

 彼は菓子類にあまり馴染みがないらしく、菓子の派手なパッケージを目にする度、不思議そうにそれを見つめていた。


 翔吾は首を小さく横に振った。


(よく分からない奴に仕事を手伝わせるなんて・・・我ながら、どうかしてるよな)


 ──巳澄屋に依月がやってきてから、二日が経過していた。


 昨日の昼頃、たちばながふらりと現れ、依月の部屋を訪ねていった。多分、依月のために荷物を持ってきたのだろう。

 問い詰めたいことが色々とあったのだが、翔吾が別の宿泊客の対応をしている隙に、橘はそそくさと去ってしまった。


 そして逃げるように橘が帰った後、依月が一階に下りてきて、翔吾に言った。


「何か、仕事でもさせてくださいよ。退屈なんです」


 依月の言葉に、翔吾は眉をひそめた。


「・・・まあ、こんな小さな宿にこもっていたら退屈でしょうね。どこかへ出かけたらどうなんです?」


 依月のことをずっと見張っているわけではないが、少なくとも翔吾の知る限り、依月はまだどこにも出かけていない。


 翔吾はカウンターの上に並ヶ谷なみがやの地図を出し、依月に説明した。


「ここからすぐ近くに、良並よなみさんという山があるでしょう。簡単に登れる山ですよ。今日は天気も良いですし、行ってみたらどうですか?」


 依月はチラリと地図を見てから、少しだけ嫌そうな顔をした。


「・・・あの山のことなら、もう十分じゅうぶんに知ってます。今更、登りに行こうとは思いません」


 キッパリとそう言われ、翔吾は返す言葉を見つけることができなかった。


 昨日はそのまま会話が終わり、依月は部屋に戻っていった。

 諦めてくれたのかと思っていたのだが、今朝出勤すると、待ち構えていたように依月が一階に現れた。


「仕事ならありませんよ」


 翔吾は先手を打って、そう言った。


「お手伝いがしたいんですよ。他にやることもありませんし」


 整った顔に切実そうな表情を浮かべ、依月は翔吾をじっと見つめた。

 出勤したばかりで幾分ぼんやりとしていた翔吾は、その目に見つめられて一気に頭が冴えていくのを感じた。


 だが、そう簡単に頼みを聞いてやるわけにはいかない。


「・・・いや、いくらでもあるでしょう。並ヶ谷は大都会ではありませんが、外に出れば楽しいこともあるはずですよ。街の中心部はそこそこ栄えていますから」


 そう言われると、依月は一応、考えるような素振りを見せた。


「そうですね・・・あちこち歩き回るのも面白いかも・・・いや、やっぱり駄目です。僕はまだ、本調子ではありませんので」


「ひょっとして、どこか具合が悪かったんですか?」


 自身も体調不良に悩んでいる翔吾は、依月の言葉に素早く反応した。

 具合が悪く、療養のために巳澄屋に滞在しているのなら、依月が宿にこもっていることにも納得がいく。


 真剣に心配している様子の翔吾を見て、依月はポカンと困惑げな顔をした。それから、可笑しそうに表情を和らげた。


「まあ、そんなところです。でも大したことではありません。僕のことなんて、心配しなくていいんですよ」


「・・・?」


 依月の態度が不可解で、翔吾は苛立ちを感じた。だが、自分と同じく何らかの不調を抱えているのだと思うと、彼の頼みを無下むげに断ることもできなくなった。

 

 仕方なく、翔吾は依月に何かやらせてみることにした。


(とは言ってもな・・・)


 橘は「給料を払う必要はない」と言っていた。依月も異論はないらしい。

 だが、宿泊客に仕事を手伝わせたりして、トラブルになったりしないだろうか。

 正直言って、橘のことも依月のことも、心から信用することはできない。後から難癖をつけられるのではと、翔吾はヒヤヒヤしていた。


 悩んでいたその時、業者のトラックが巳澄屋の外に止まった。発注していた菓子類の納品に来てくれたのだろう。

 補充作業をしなくてはならない。そう思いながら商品を受け取った時、翔吾は依月が何か言いたげにこちらの様子をうかがっていることに気がついた。


 翔吾は溜息を押し殺し、絞り出すように言った。


「・・・じゃあ、棚に並べるのを、手伝ってください。ほんと、少しだけでいいですから」



 ──そういうわけで、依月に補充作業を手伝ってもらうことになったのだ。


(やれやれ、もし具合が悪いなら、尚のこと仕事の手伝いなんてしないほうがいいんじゃないか? それとも、少しは体を動かしたいってことなのか?)


 考えていると、だんだん頭が痛くなってきた。

 額に手を当て痛みが引くのを待っていると、ふと視線を感じた。顔を上げると、こちらを観察していた依月と目が合った。


 依月は菓子の一つを持ち上げ、しれっとした顔で言った。


「種類が多いですね。世の中の人って、そんなにこういう食べ物が好きなんでしょうか」


 翔吾はノロノロと、額に当てていた手を下ろした。


「・・・スナック菓子は人気ですよ。この辺には学校もあるので、そこの生徒が買いに来ることも多いです」


「そうなんですか。よほど美味しいんでしょうね。僕にはよく分かりませんけど」


 依月は涼しげに微笑むと、カラフルなパッケージのその菓子を、そっと棚に並べた。


 その時、カウンターの方から、ベルの音が聞こえてきた。

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