第10話「それから……」

 あの衝撃の事件から三日。

 またしても、衝撃的な事実が突きつけられた。


 日直として職員室へ向かった時のことだ。

 廊下の向こうに、小さな子が立っていた。

 ブレザーのボタンは二個――中等部の女子生徒だ。

 ちなみに高等部の女子は二対、四個のボタンが目印だ。

 職員室は高等部と中等部の間にある。

 廊下の向こうにある棟が中等部だから、ここにいても不思議はない。

 彼女が僕に気付き、足を止めた。

 黒髪は櫛さえ効かないのか、撥ねまくっている。

 メガネの奥の黒い瞳――

 知り合いではない。

 それなのに見覚えがある。

 向こうも立ったまま、僕が歩いてくるのを待っている。

「何ですか、先輩。変なことをしたら叫びますよ」

 分かった気がする。

 口調は違うが、どこか波動が一致している。

「――お前、ウェルバルトか?」

 後輩は否定も肯定もせず、ただ言った。

「今は忙しいので、後で呼びに行きます」

「へ?」

 返事を待たず、その子――恐らくウェルバルトは、背中を見せて歩き去った。

 ――呼びに来るとは一体?

 僕の疑問はすぐに解消された。


 その次の休み時間のことだ。

「おぉい、総助、小っちゃい子が呼んでるぞ」

 ――なるほど、こういう事か。

 教室の後ろのドアに、さっきの中等部の子が立っていた。

 上級生の中でおどおどして見えるが演技だ。

 僕以外は多分みんな騙されてる。

 彼女に連れられて、特殊授業棟へ。

 さすがに平日だから美術や調理実習など、いろいろ使われていて人目も多い。

 彼らの横をすり抜け、向かうのはその屋上だ。

「見ないでくださいね。訴えますよ」

 と、言い置いて、階段横の明かり取りの窓から、屋上へと出て行った。

 スカートの中の話だろうが

 ――お願いされても見ないって。


「一言、二言、多いんだよ」

 と、上級生らしい態度で言ってから、僕は続いた。

 横長の小さい窓で、下が少し開くだけだ。彼女は余裕だろうが、僕は必死に通り抜けた。

 彼女は、屋上の真ん中に仁王立ちで立っていた。

「やっぱり、ウェルバルトだ」

「コードネームで呼ぶのは止めてくれませんか、先輩」

 言葉は丁寧だが、声がウェルバルトそのものだ。

「じゃあ、名前を教えなよ」

「中学生をナンパなんて恥を知りなさい」

「あのなあ――」

 僕は彼女の前まで歩いていった。

 メガネの奥で、黒い瞳がじっと見ている。

 衝撃の事実『その一』だ。


 ウェルバルトは、僕の学校の、中等部の後輩だった――だ。


 そういえば、宇道を追ってここへ来た時、エリンが指差した方を特殊授業棟とすぐに言っていたし、迷わず裏手まで走っていた。

 在校生もしくは卒業生――くらいの推理は働かせても良かったかもな、と僕は思った。

「確かに中等部なら、同級生として転校してくることはないな」

 僕が言うと、彼女は思い至ったらしく、薄く笑った。

「千織志臣と申します」

 よろしく――と手を出したが、無視された。

「これから学校ではコードネームで呼ばないでください」

「はあ……すいません」

 恐縮している僕の横を、ウェルバルト――もとい志臣がゆっくりと通り過ぎた。

「ところで――ですが、先輩のおかげで、正式なエージェントになれました」

「バイトじゃなくなったのか?」

「何を言ってるんですか? 正式なバイトになったんですよ」

 志臣が顔だけを僅かにこちらへ向けた。メガネがハイライトで光っていて、本当にこちらを向いているのか分からない。

「じゃあ、今までは、どのレベルのバイトだったんだ?」

 僕の言葉はあっけなく無視された

 今日はですね――と更に数歩進んでやっと足を止めた。

「先輩について、ある程度の考察がついたので、報告に来ました」

「僕の考察?」

「はい」

 志臣は振り向いた。

 偉そうに腕を組んでから話し始めた。

「先輩が、どうしてマンデーシープを見られて、尚且つ、接触しても記憶を奪われることがないか――です」

「へえ――」

 あまり興味が無いから、力ない返事をしたが、これも無視され、志臣は続けた。

「井戸の底で見た、江戸時代のおじいさん。覚えてます?」

「僕の肩にいた人」

 ちょんまげの、頑固そうだけど、目が優しいおじいさんのことだ。

「あれは先輩に憑いていた特殊シープだと思われます」

「――マンデーシープの記憶?」

「エリンやモロフと同じく、一個体と考えて良いと思います」

「なぜ?」

「先輩のために憑いていたようなので」

「僕のため……?」

 あながち否定できないのを、僕は感じていた。

「聞いた話から察すると、先輩は父親のことで傷心した状態で、この町に来たんだと思います」

「母さんはそう言ってた。僕は全く覚えてないんだけど」

「そう。その覚えていない――というのが、彼の……あのシープのおかげだったのです」

「僕が悲しんでいたから?」

「そう推理しました。泣いている先輩を見かねて、憑き、そして記憶を消してあげたんです」

 志臣は首を振った。

「消してもないんですね。あの時、彼が離れる事で思い出せたのだから、抑えていただけなのでしょう」

「そうか。僕は知らぬ間に助けられてたんだ」

 人知れず助け、礼も求めず、ひたすらに――か……本当にそうなら、感謝しても足りないかもしれない。

 ――いや、そうなんだろうな。

「彼が憑いていたから、エリンやモロフには記憶を取られなかったんです」

「先約有り――か」

 ふと閃く。

「僕がマンデーシープを見られる理由も――」

「彼が憑いていたからだ――となっています」

 確かにその説明は納得できそうだ。

 もしかすると、蕎麦が急に食べたくなる理由はこれかもしれない。

 実は、シンプルな醤油味の硬い煎餅も好きなのだ。

 衝撃の事実『その二』。


 僕には江戸時代のおじいさんが憑いている――だ。


「ところで、先輩?」

 ちょっと志臣の険が揺らいだ。

 強気の姿勢が微妙に削がれた――というか、女の子らしい表情を浮かべた。

「ん?」

「まだシープは見えていますか?」

「もちろん。――なんで?」

「井戸の底でおじいさんが離れて、消えたのかどうか不明でした」

「そうだね」

「もし見えなくなっていたら、先輩は解放されたものと判断できたんですが……」

「なら、まだいるのかもね」

 志臣が目線を動かした。

 僕にはその先が分かる。僕から伸びるマンデーシープの尾だ。

「もしかしたら、もう一つの理由かもしれませんし」

「かもね……」

 志臣は頷いた。

「こうなっては、先輩自体が不確定要素なので、ワタシの監視下に置くことにします」

「はあ?」

「ワタシがエージェントで動く時には付いてきてもらいますので」

 胸を張ってそう言ったが、言葉の端々に恥ずかしさが見える。

「仕事を手伝ってって言えば良いでしょうに」

「別にそういう意味じゃ――」

「はいはい。その時には呼んでおくれ」

 志臣は憮然とした表情を見せたが、

「じゃあ、遠慮なく呼びますので」

 と言った。

 答え方に失敗したかもしれない。

 わざと、そう言わされた気がしないでもない。

 衝撃の事実『その三』。


 アルバイトのエージェントの、アシスタントという、かなり下っ端な肩書きに任命された――だ。


 僕は歩き出した。

 そろそろ休み時間が終わる。

「先輩――」

 側まで近付くと、志臣が声をかけた

「監視下にある――というのは、大げさな話しじゃありませんから」

 小さく、真面目そうな声でそう言った。

 僕にも、察しがつく。

 分かってる――と僕は答えた。


   *   *   *


 休日前の夜――。

 実は一番好きな時間だ。

 のんびりとしていられる。

 今週出たばかりの新刊を読みながら、煎餅をつまむ。

 煎餅はきっと『じいちゃん』の影響だ。

 渋すぎる。

 僕が下級生に呼び出された理由は、僕がいない十分間でかなりの憶測が飛び交い、亜流が生まれ、『僕』と言う人格は破綻されていた。

 ひどいもんだ。

 ひどいといえば、宇道さんと師岡は、一時的記憶喪失ということで本当に決着がついていた。

 日常生活に支障はないので問題がないからだ。

 これはウェルバルトこと志臣が言っていた通りだ。

 三島先輩も納得の上で、宇道さんとの関係の再構築に挑んでいる。

 ここまでは何もひどくない。

 ひどいのはこの後だ。

 僕はこの件にはもう関わり合いたくないのだが、佐原崎を通して、この二人を応援して欲しいと言われていた。

 何をどう応援するのか分からないが、記憶をいじってしまった負い目が佐原崎にはあるので、無下に断れずにいる。

 一時は片思いになりかけ、諦めた子の恋を、再構築させなければならないなんて、とんだ罰ゲームだ。


 あれから一週間近くが経っていた。

 溢れていたマンデーシープたちも井戸へと戻った。

 逃げ切ったやつもいるらしいので、完全解決――というわけではないが、落ち着きは取り戻しつつある。

 ウェルバルトという非日常は残ったが、僕の平凡な日が帰ってきた――


 なんて言うと、必ず騒ぎは起こる。

 自分の部屋でくつろいでいる――これが一番危ない。

 理由はない。

 ただの勘だ。

 その平穏を破る者の正体も、大よそ、想像がついていた。


 バン――


 これは窓に当たった音だ。

 ――ほらね。

 真っ直ぐ飛んできたのだろう。

 僕はため息をつきながら本を閉じた。

 窓へ近付くと、見慣れたピンクの物体が浮かんでいた。

「お帰り」

 僕が窓を開けると、

「ごきげんいかが?」

 エリンであった。

「まあまあかな」

「見て、総ちゃん! こんなの、見つけたよ!」

 僕の返事が終わらぬ内に、エリンが変な色のマンデーシープを連れて入ってきた。

「確かに――」

 『変だ』という言葉は呑み込んだ。

 マンデーシープも言葉が分かる奴はいるのだ。

 だが、見れば見るほど、よく分からない。

 素甘のような柔度と桃色のエリンに対し、紫芋のような硬度と色のマンデーシープであった。

 ――きんつばにも見えるな。

 せんべいも食べているというのに、お腹がすいたのだろうか。

 『きんつば』はエリンの小さな手に引かれ、迷惑そうな表情を浮かべている。


 あの井戸の底で僕は、記憶と合致した女子高生姿のエリンを掴まえた。

 彼女は瑞浪江里子――。

 僕が幼い頃、しばらく住んでいたこの町で会った人だ。

 父さんの事で泣いていた僕をいつも慰めてくれた。

 優しくて、暖かい記憶として、お姉さんがいたことは覚えていたが、その他のことは全く覚えがなくなっていた。

 『ごきげんいかが――?』

 江里子姉さんの口癖だ。

 会うと最初に言っていた。

 僕はその事さえ忘れていた。

 あの『おじいさんシープ』が、父さんの記憶を隠した時、関連していた江里子姉さんの記憶も一緒に隠してしまっていたのだ。

 井戸の底で、僕に江里子姉さんのことを思い出させてくれたおかげで、エリンは消滅せずに済んだ。

 転げるように井戸から脱出したが、『おじいさん』は井戸で消滅したのか、それとも残っているのか、分からなかった。

 父さんの記憶だけは消えたままなので、まだいるような気がする。

 消えているのに、なぜ、そう言い切れないのか――。

 屋上で志臣が言っていた『不確定要素』だ。

 これはエリンのことであり、僕のことでもある。

 戻ってきたエリンは、僕と繋がっていた。

 本来、人の記憶が離れていく時に出る『繋がりの尾』が、エリンから僕へと伸びていた。

 他人の記憶であるエリンが、僕と繋がること自体おかしかった。

 父さんの記憶がないのはエリンの影響かもしれないので、『おじいさん』の存在の有無がはっきりと分からないのだ。

 特殊シープの中でも、更に特殊な存在となったエリンは、マンデーシープと触っても吸収できず、しかも吸収されないようになっていた。

 だから他のマンデーシープに触っても問題はない。

 触られている方はかなり迷惑そうだが。

 変な色のマンデーシープは顔をしかめている。

 エリンは楽しそうなのが対照的だ。

 僕はその横顔を見る。

 江里子姉さんのことを思い出すことはできたが、彼女のことは一切調べていない。

 志臣の言葉からすると、もうこの世にはいない可能性が高いからだ。

 その事実を再認識したくなかった。

 ――ただ……

 思い出した彼女の横顔は、エリンと似ている気がした。


「総ちゃん」

「ん?」

「こいつも飼おう」

「何を言ってるのかな?」

 エリンはウキウキとした表情を僕に向けた。

 それに対し、僕は大きくため息をついた。

「僕はエリンを飼っているわけじゃないし、他のマンデーシープを憑けるつもりもないぞ」

「こいつ封印されたら、かわいそうじゃない」

「封印って、誰に?」

「あいつ――」

 エリンの小さな手が指すのは窓――映るは夜の街。

 反射する僕とエリンと変な色のマンデーシープ。

 それと、西部劇のガンマン風な服を着た人影――――

 ――う~~ん、またしてもトラブルの予感。

 僕は、エリンと変な色のマンデーシープを抱えて、窓から避けた。

 窓ガラスを割って、騒動が飛び込んできた。


(了)

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