ボクはバクだもの!
弥生
第1話 赤い夢は甘い夢砂糖とピリ辛恐怖の夢雲とコンソメで。
夢を見ている男の枕元に、灰色ニーソックスを履いた少年がぴょこりと覗き込む。白と灰色のぶかぶかなジャンパーはもふもふの素材のようで温かだが、少年には少し大きいようだ。
深く被ったフードには、小さな耳と丸いおどけた目がついていて、見るものの気を抜かせてしまうような、そんな動物の顔を模していた。
さらさらの灰色の髪の隙間から覗く、くりくりとした瞳は真剣に男を見つめている。まるで、どの飴が一番美味しいかとお菓子屋さんで迷う子どものように。
少しの間、男の夢を
すっと片手を上げ、白と黒で彩られた爪先を男の頭に向ける。
くるくると廻すように指を振ると、男の夢からぐるぐると赤色の夢が浮かび上がってきた。
「わぁ! ずいぶんと強い夢だねぇ。これはこれは、お腹が一杯になりそうだ! いっただっきまーす!」
口元まで覆ったジャンパーを少しだけ下げると、赤い唇から舌をちろりと出し、赤色の夢をぺろりと飲み込んだ。
「まっっっず!!!!」
思いっきり少年が悲鳴を上げる。
「まっず! なにこの夢! ヘドロを
うえぇ、と口の中に不味い味が広がったようで、ぺっぺとしている。
耳元で騒ぐ少年の様子に男の意識が浮上したのか、ぱちりと目が覚め、むくりと上半身を起き上がらせる。
男の顔色は青黒く、目の下の隈も酷い有り様で、とても不養生そうに見えた。
ぱちぱち。男は目の前にいる少年が信じられず何度か瞬きしたが、こんな所にこんなアニメのキャラクターの様な格好をした少年が来るはずもないと、夢の続きかと思うばかりだった。
きっと夢を夢だと理解して見る夢、
「やっば! おじさん起きちゃった!」
「はぁ……」
「コホン、ここは変に誤魔化して、警察呼ばれちゃ不味いもんね! ボクはバクだものー! 君の腐ったヘドロのような、まっずいまっずい夢を食べに来たのー! だから住居侵入で通報しないで欲しいかなー!」
「はぁ……バク……ですか」
バクとは、夢を喰うというあの伝承にある獏のことだろうか。
この少年がバク……という夢だろうか。
「うぇぇ、まっずぃ。はむっ。うぐくっ」
まずいまずいと言いながら、少年は赤い夢を食べていく。
「はぁ。でも食べるんですね、君」
「そりゃぁ、ボクはバクだもの! 悪夢はぺろりと一口さ。でも夢喰いでもさすがに、これはちょっとって思うぐらいの味だよ! マズいし臭いし! あとなんかちょっとぬめってしてる」
「……はぁ。なら別の人の夢を食べたらいいのに」
少年は可愛らしくチッチッチと指を振る。
「君はわかっていないなぁ! 食べ物は粗末にしちゃいけないって教わらなかったのかい? モッタイナイは世界に広がった日本の言葉だって言うのに! はむっ……まっず! うぇ!」
「はぁ、何もそこまで……えずくぐらいなら、無理して食べなくても良いのではないでしょうか……」
「わかってないなぁ! ボクは素敵なバクだもの! このぐらい、まっずい夢はスプーンでひと
「そうですか……」
「ただこのままでは食べにくいから……ちょこっと味付けで誤魔化すしかないな……」
少年はジャケットのポケットから小瓶をいくつか取り出して夢に振りかける。
「甘い夢砂糖とピリ辛恐怖の夢雲をひと匙」
「それ美味しいんですか?」
「あとコンソメ」
「コンソメ!?」
「コンソメは万能だよ! なんでも美味しくなっちゃうからね! ……本当はハッピーなターンがエンドレスになるお菓子の白い粉が欲しいんだけど、あれは企業秘密だって工場見学でも製法を教えてもらえなかったんだよねー残念!」
「工場見学行くんだ……いつも調味料で味を整えるんですか?」
「自然由来の整え方もあるけど」
「へぇ」
「適度な運動に規則的な食事。寝る前スマホは禁止だよ! 脳が起きちゃうから。あと必ず朝は太陽光を浴びるように!」
「いきなりまともなことを言いだしましたね」
「ただし尻から」
「尻!?」
「お尻を太陽光に浴びせると良いらしいよ!」
「はぁ……」
爽やかな早朝に尻を太陽光に当てる中年男性。……だいぶシュールな絵面だ。
「うんうん、いいねいいね。だいぶ悪夢が美味しくなってきたよ!」
「はぁ……」
「あとはもう少しこの赤い
「それは、良かったですね」
「人に耐えられないほどの苦痛と叫びだったからね」
「……っ」
「もう、大丈夫そうかい?」
赤い惨劇、耐えられないほどの苦痛。
助けを求める悲鳴に手を伸ばすが、届かず、大切な人たちが……手のひらから零れ落ちる。
「妻と子が……赤く染まるホテルで……ずっと私に助けを求めているんです……助けて……助けて……と。私は……私は手を伸ばしたけれど……彼女たちを……助けることが……」
「ひと掬いの悪夢は刺激的な味になるけどね。君のは悲しみに濁りすぎていたからさ」
「はは。起きる寸前、夢の中で赤く染まるホテルをホースの水で青く染めたのはあなたでしたか」
「ふふふん、おかげでほら、悪夢の味が変わったでしょう?」
いつも苦しげだった夢の中の彼女たちの表情が、青いホースから掛けられた水によって優しく綻ぶ。
「ええ、ええ。本当に。久しぶりです。彼女たちの苦痛以外の顔を思い出したのは。……ありがとうございます。私の世界を救ってくれて」
これは、夢だ。
けれども、確かに救われた夢はあったのだ。
青い水から煌めくような、美しい虹の橋が愛し子に掛かった。あの子は、本当に嬉しそうにそれに手を伸ばし……。
そう、あの子はちょうど、この少年くらいの年頃で。
笑顔がとても可愛らしい……。
少年は最後に残った悪夢の
悪夢は、獏に食べさせるともう見ることはない。
幸せだった家族の青い夢だけを、男の深層に置いてきた。
「へへへ、ボクは
獏はにこっと微笑んだ。
おしまい!
ボクはバクだもの! 弥生 @chikira
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