.2 いつもの朝
「――パっ。パパ、ちょっと聞いてるの?」
広げた新聞紙を下げてみると、娘――
どうもネガティブな社会記事を読んでいたら、自分の半生を回想してしまったようだ。
朝だからまだ寝惚けているのかもしれない。
私は昔から朝が弱い、寝起きだと頭が機能しない。
こればかりは社会人になろうと、いい歳した中年になろうと、治らないし直らない。
先程まで新聞を読んでいたのも、活字を読むことで無理矢理頭を機能させようという悪あがきだ。
前向きな行動ではないためか、目に入ってくるのは後ろ向きな記事ばかりだった。
「だーかーらー、聞いてるの?、って聞いてるの」
幼児が駄々をこねるかのように頬を膨らませる愛理。
我が娘ながら、私とは違い愛理は朝から元気だ。
きっと、母親に似たのだろう。
「えっと、何の話だったかな?」
こういう時に、聞いていた、と嘘をつくのは良くない。
その場しのぎの嘘は後々に自分の首を絞める。
例え、小さな嘘だとしてもだ。
「もう、やっぱり聞いてない。パパは本当に朝はダメなんだから」
愛理は大袈裟にため息をついた。
こういう仕草は母親に良く似ている。
「だからね……お小遣い、ちょっと欲しいなぁって」
本人としては言いにくいことだったのか、先程までの勢いが少しだけ控えめになった。
「その……行きたいライブがあって。あのね、普通なら当たらないようなチケットがファンクラブの抽選で当たったの! これ本当にレアなんだよ!」
愛理は、アイドルグループのファンクラブに入っている。
年頃の女の子なので男性グループかと思いきや、女性アイドルだと聞いた時は驚いた。
国民的アイドル、とはテレビでよく聞くものの、自分の娘が女性アイドルの追っかけとなると、少し耳を疑った。
きっと私の偏見と、時代遅れの考えなのだろう。
「バイト代はどうしたんだ?」
愛理本人のたっての希望により、休日のみのアルバイトを許していた。
学業が疎かになるのは正直好ましくなかったので、私は最後まで反対していたが、妻と愛理、二票に多数決で敗けとなった。
「まさかチケットが当たるとは思ってなかったから、欲しかったバッグ買っちゃったの」
それで親に小遣いをせびるとは、娘の散財ぶりに泣けてくる。
アイドルのライブに詳しくはないが、“ちょっと”の小遣いレベルではないだろう。
「こら、愛理。またパパにお小遣いねだってるでしょ。ママ、ダメだって言ったでしょ」
朝食の乗った皿を抱えて、妻――
目玉焼き、ベーコン、トーストにコーヒー。
わかりやすい、モーニングセット。
「お小遣いねだらないように、アルバイト許したんでしょ?」
「だってー」
駄々をこねる愛理は、まだまだ幼さを残したままだ。
昨日まで小学生だったような気がしてならない。
「だって、じゃないの。あんまりワガママ言うとアルバイト禁止にするからね」
郁子の言葉に愛理はそれ以上何も返せず、うー、とだけ唸ってみせた。
そこで話は終わったので、あとは黙々とモーニングセットを口にする。
家族団らんの一幕は終わり、それぞれの準備が始まった。
幸せな一幕であって、
代えがたい一幕であって、
代わり映えしない一幕である。
まるでルーチンワークの様に、
まるで演じているかの様に、
まるで確認しあっているかの様に、
家族の団らんを過ごし終わる。
「行ってきます」
食事を終えて、誰かが言った言葉。
それは何故だか、別れの挨拶のようにいつも聞こえていた。
毎朝同じ時刻の電車に乗って、会社に向かう。
見馴れた混雑具合に、見馴れた乗客。
駅から会社へと続く道も代わり映えはしない。
今日は定例会議の日だ。
会議と言っても、ほぼ報告会、いや、報告書の確認会である。
我が社はそれほど大きな会社ではないので、社員それぞれが取引を受け持ち商談から何からとやってのける。
いや、やらせていると言い換えるべきか。
そういうわけで、メールで一度受け取った報告書を確認しつつ、書いてある内容を報告してもらう場になっている。
報告しましたよ。
聞きましたよ。
を、口頭でやり直すという割と非効率的の場である。
しかしながら、こういった場は仕事に対しての緊張感を保つ上では必要だった。
メールでの報告だけではいつしか、仕事に取り組む姿勢というものがだらけてしまう。
「あの、部長。例の取引の件なんですが……」
そういった引き締めの場が終わり席を立ち上がったところに声をかけてきたのは、“彼女”だった。
「順調のようだな。このまま進めてくれ」
「はい。ありがとうございます」
“彼女”は深々と頭を下げた。
正直、私は困惑している。
「メールでもそう返信したのだが」
改めての確認会とはいえ、メールでの応答を再現する必要性は無い。
「あ、いえ、部長から直接言ってもらえると、なんかこう力が湧いてくるんですよねー」
相変わらず“彼女”は変わった人物の様だ。
「順調と言えば、しんじ……彼の方はどうだ?」
「部長、今また新人って言いかけましたよね」
“彼女”は笑って指摘してくれたが、“彼”のことをいつまで経っても新人と呼ぶ癖が抜けない。
入社四年目。
もう“彼”にも後輩はいて、新しく“新人”と呼ばれているのだが。
すっかり言いなれてしまった。
「体調が悪そうだったが、無理してないか?」
「無理……しちゃってますね。注意はしてるんですが、自分一人で抱え込むタイプなんで」
“彼女”の表情が曇る。
部下とはいえそれほど交流をもってはいないので、“彼”という人となりをしっかりとは把握できていない。
仕事に燃えるような熱血漢タイプではないのは確かだが、かといって指示された仕事しかしないようなタイプでもないようだ。
「そうか、あまり無理はしないようにと言っておいてくれ。それと、君たちの頑張りにこちらもしっかり応えるとな」
無理はしないように。
自分で言っておいて何とも嘘くさい労いの言葉だ。
無理、無茶をしてやっと利益が生まれる。
そのくらいのレベルの仕事ばかりしかないのが、我が社の嘆かわしいところだ。
ブラック企業と指差される紙一重ぐらいの会社だ。
しかしそれで生まれた利益で、やっと社員に還元できるくらいにはなった。
“彼女”の返事を待つ前に、胸ポケットに入れたスマートフォンが振動した。
“彼女”の返事に軽く言葉を交わし、私は会議室をあとにした。
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