次を見続けて。

真上誠生

次へ進む為に。

『この後どうするの?』


 頭の中に声が響いた。俺はその声に何も答えず、手に持った発泡酒の缶を口にやり、ぐいっと一気に煽る。ほんのりとした苦みとシュワっとした感覚を舌の上で感じながら酒盛りを楽しむ。


 枝豆と焼き鳥、それにビールがあれば他にはもうなにもいらない。最後の晩餐にしては質素な食事だが、金が無くては豪勢にすることもできない。このチンケな食事が今の俺にはお似合いだった。


『この後どうするの?』


 俺が返事をしなかったからか、またも脳内に声が響く。


「毎回毎回うっせぇんだよお前は! いい加減黙れよ!」


 ずっと後のことばかりを聞いてくるので普段は無視をしているのだが、今日に限っては我慢の限界だった。俺は頭の中に響く声へと言葉を返す。それでも、変わらず声は『この後どうするの?』と感情の籠ってない声で聞いてきた。


 俺は無言で缶に口を付ける。話にもならないならもう話す意味はない。こいつの声は俺を煽っているだけだ。俺が今からすることを、こいつは理解しているのだろうか?


『この後どうするの?』


 それでもめげず、何回も何回も声は俺の脳内に声を響かせる。それが無性に腹立たしい。そもそも、なんでこいつが聞こえるようになったのだろう?


 俺はこいつが聞こえ始めた時のことを思い出そうとした、しかし遠い昔のことなので記憶が薄れ、霧に包まれたように思い出せない。酒も入っているのでそれは当然かもしれない。


「この後どうするの?」


 最初はこの声を友達だと思っていた。こいつに、次にしたいことを言っていくと何でもやれる気がしていた。


 俺は、まだ楽しかった時の頃を振り返る。あれは、確か中学の時だったか。一番人生が輝いていた時期のことだ。


 俺はこいつと目標を定めて前に進んでいた。テストでこいつと決めたテストの点数を取ったり、学年の順位も取ったり、順風満帆な人生だった……高校の時までは。


 高校受験の日、俺は目標に決めていた高校を落ちてしまった。それでも、こいつは声音一つ変えることなく後のことを聞いてきた。それが、俺がこいつと決別する決定打となった。


「この後どうする?」


「俺が知りてぇよ! どうするんだよ⋯⋯どうしたらいいんだよ!」


 感傷に浸る余地もなく、放たれるその言葉に俺は怒った。そこからだ、俺の人生は転落し始めたのは。もう、前に向かいたくも無いのに、こいつは次を急かしてくる。


「会社が倒産したのに、この後はどうするって聞かれても答えられねぇよ」


 俺は缶の底に残っているビールを煽るように飲み干した後、立ち上がり金網の方へと向かう。人は生きている限り次を要求されるのだと、俺はこいつのおかげで理解した。だからこそ、もう次が来ないように今夜死ぬ予定だった。


 酔った勢いで金網を上り始める。手に針金が食い込み痛みが伝わってくるが、別に気にもならなかった。それ程、俺はこの人生を終わりにしたかったのだ。


「この後どうするの?」


「この後なんか、もうねーよ」


 俺は声にそう言い残し、金網の上からビルの下へと飛び降りた。風の壁を体中に感じる。そして、すぐに重たい音と共に体に衝撃が伝わった。俺は間違いなく地面に激突したはずだ。だけど、打ちどころがよかったのか痛さはあまり感じず、不安になってきた。


『この後どうするの?』


 そんな俺の状態を知ってか知らずか、まだ頭の中のこいつは変わらない声で話掛けてくる。────でも、そうだな……もし戻せるのなら、受験が失敗する前に戻りたいな。


 ふっと、意識が消えたのを感じた。


「──え?」


「この後どうするの?」


 俺は声と共に目を覚ます。目からは涙が流れている……なんか、変な夢を見た気がするな。俺が年老いて人生を失敗する夢……あれは一体……


「この後どうするの?」


「もちろん、受験を成功させるに決まってる」


 俺は声にそう返し、意気揚々と支度をし受験会場へと向かう。何故だか落ちる気はしない。今回の受験が二回目な気がする、これがデジャヴュというものだろうか?


 ──そして、俺は受験を成功し順風満帆な生活をそこから過ごした。


「この後どうするの?」


 それは、老後になるまで続いた。もう何も出来ない病室のベッドの上で、俺は食事も喉を通らない身体になっていた。


「この後どうするの?」


「はは、この後なんて死ぬしかないぞ」


 俺は、頭の中の声に向かって話す。看護婦さんが心配そうな顔で俺のことを見ている。ついに頭がおかしくなったのかとでも思っていそうな怪訝な表情だった。


「この後どうするの?」


「……そうだな、もし子供の頃に戻れるのならやり直してみたいことがある」


 この歳になって思い出したことがある。頭の中に響く声、この声とよく似た人物に俺は会っていた。その別れ際の最後の台詞が「この後どうする?」だったのだ。


 その子は女の子で、俺の唯一の友達だった。それにも関わらず、からかわれるのが嫌で俺はその子から離れようとした。


「この後どうするの?」


「俺は家に帰って勉強するから!」


 そう言って、その日はその子と別れた。その子が死んだとわかったのは次の日だった。


 溺れている犬を助ける為に、川に飛び込んだと聞いた時は驚いた。泳げないのは本人が一番よく知っているはずなのに。そこから私は、その子のことを忘れる為に勉学に打ち込んでしまったのだ。


「この後どうするの?」


 この声は、心の隅にある俺の後悔が聞かせているのかもしれない。そう思うと、無性に子供時代に戻りたくなった。成功しても、失敗しても、大事な物を喪ったままでは空虚な物だと俺はこの死ぬ間際に始めて理解した。


「この後どうするの?」


「もし出来るのなら、その子と一緒に生きていきたい。だから、戻りたい……」


 顔も名前も忘れてしまったが、確かにその想いだけはあった。涙が頬を伝っているのがわかる。年甲斐もなくベッドの上で俺は泣いたまま、その生涯を閉じた。





「この後どうするの?」


 園子が俺に声を掛けてくる。今日はクラスの男子共にからかわれたので、家に帰って一人で勉強しようとしていた。


「俺は家に帰って……うっ、なんだこれ?」


 気付けば涙を流していた。理由はなんでかわからない。ただ、唐突に胸の中で悲しさが湧き出してしまったのだ。


「どうしたの、しんちゃん? ──え!?」


 俺は園子を抱き締めていた。心がそれを求めている。そうだ、何で俺はこの子を一人にしようとしたのだろうか。……大事な人なのに。


 園子は突然取り乱してしまった俺を落ち着かせるように頭を撫でてくれている。それで、やっと俺は自分の気持ちを理解した。


「園子、ごめん⋯⋯」


 なぜだか謝罪の言葉が口から漏れてしまう。そんな俺を園子は「大丈夫だよ、しんちゃん」と言いながら慰めてくれた。


 やがて、一頻り涙が流れた後、俺は照れ臭くなって園子から距離を取る。園子の顔がまともに観れそうにない。


「どうして泣いたの?」


「ごめん、意地を張ろうとしてバカらしくなった……」


 本音が口をついて出る。園子は、優しげな笑い声を上げてくれた。その声が妙に心に染み入るようで、もう一度俺は目尻を擦る。


「じゃあ、もう一回やり直そうか。この後どうするの?」


「俺とさ⋯⋯一緒に帰ってくれないか?」


「うん、喜んで!」


 その言葉でようやく俺は園子の顔を見ることが出来た。園子は笑顔だった。太陽にも負けないと思えるくらいの満面の笑み。それが、俺の頭の片隅に残っていた何かを消し飛ばしてくれた気がした。


「帰ろっか。しんちゃん、帰ったら何しよっか?」


「あ、その前に⋯⋯あっちの方で犬が溺れてそうになってるから助けにいこう!」


「え、なんでわかるの?」


「なんかさ、三回目の人生な気がするんだよね」


「変なしんちゃん!」


 そうやって、俺達は笑い合う。なんでかは知らないけど、この後の人生は素晴らしい物になる。そんな予感がした。




────FIN。

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