森藤悠太の独り言
なんだか長い夢を見ていたような気がする。それは普通の日常の夢で、まるで現実に起きたことのようだった。
朝目覚めると何かが違うと感じた。まだ寝ぼけてるのかな? 完全には覚醒しきっていない頭でスマホを見て、またポスンと布団に顔を埋める。
だって、もう春休みなのに早起きをしてしまったから。ずっと勉強ばかりだったし、特に予定もないし、数日間はゆっくり寝ていたかったのに。
だけど、なぜだかソワソワする。胸騒ぎがするというか。とにかく妙な感じだ。風邪でも引いたのかと思ったけど、他に症状はないし……。
まぁ、なんだか落ち着かないからもう起きてしまおう。
ゆっくりと身体を起こし、伸びをする。今日は月曜日か。ちょっと優越感に浸れるな。卒業した僕たちは在校生よりも一足早い春休みなのだから。
「……?」
ふと、違和感を覚えて動きを止める。
確か今日は、誰かと約束をしていなかったっけ? でもその相手が誰だったのか、どんな約束だったのかが思い出せない。
うわ、僕最低じゃない? 人との約束を忘れるなんて。
「そもそも、誰と約束するっていうんだよ。高校生活はほぼ一人で過ごしたボッチだってのに。ミネリョーかな……?」
とりあえず着替えよう、とスマホをベッドに放り投げて服を脱ぐ。
なんだかぼんやりするし、朝の散歩でもすれば頭も起きるかもしれない。
……やっぱり妙だ。ボッチだった僕としては卒業は喜ばしいことのはずなのに、妙に寂しいという感情が湧き上がってくる。
心にぽっかり穴が空く、という表現を小説でも見るけど、まさにそんな感じで。
不思議だ。そう首を傾げた時だ。
急に、スマホのアラームが鳴った。
なぜ? と思った。休みの日はアラームが鳴らないように設定してあるのに。そうだとしても、この時間に鳴るのは変だと思った。
心当たりが全くない。首を傾げながらスマホを手に取る。
……全くない、か? そうだっただろうか。
なんだかわからないけれど、心臓がドクンドクンと脈打つ。妙な焦りを感じながら、アラームを切るべくスマホにもう一度視線を戻した。
「っ!?」
さっきまで、時刻の表示しかなかったはずだ。それなのに、今はスマホの画面に文字が表示されている。
まるで、急に浮かび上がってきたかのように。
【陽菜と駅で待ち合わせ】
それを見た瞬間、僕はスマホを放り投げてコートと財布を引っ掴み、急いで階段を下りた。
目の前がチカチカする。眩暈が酷く、頭痛に襲われ、ギュッと強めの瞬きを繰り返して誤魔化した。
靴を履いている途中、リビングの方から母さんが声をかけてくるのが聞こえた気がしたけれど、それに応える余裕はない。
とにかく、行かなければ。
頭が痛すぎて気持ち悪いし、体調は最悪だ。それでも、行かなきゃいけなかった。
『何か、探してるの?』
あれは、入学式の日。
雨の中、半泣きになっている女の子を見つけた。どうしても放っておけなくて、思わず声をかけた。
キーホルダーを探していると女の子は言った。一緒に探すと言ったら、彼女はもういいからと無理矢理作っただろう笑顔で遠慮してきた。
そんなに大事じゃないだなんて、嘘でしょ。泣きそうになってまで探しているのに。
ふと、目が合った。その子があまりにもかわいくて、慌てて目を逸らして……これは、意地でも見つけてあげたいと思った。
探し物はすぐに見付けられた。チェーンが切れていたからヘアゴムで応急処置をしたけど……正直、余計なことをしてしまったかもって思った。
だって、そんなことされたら気味悪がられるかなって思って。
『あの! ありがとう!』
そんな気持ち悪い僕に、彼女は満面の笑みでお礼を言ってくれたんだ。その笑顔がずっと忘れられなくて。
僕はあの日、夏野陽菜に恋をしたんだ────
幸運なことに、一年も二年も彼女と同じクラスになれた。だけど、それだけ。特に仲良くなれたわけじゃない。
会話だって一言二言交わしたくらいの関係だ。すでに、彼女はあの日のことを忘れているだろう。
でもそれで良かった。僕は彼女に恋をしていたけれど、彼女とどうこうなるつもりはなかったから。
だって、僕みたいなヤツがあんなに明るくてかわいくて人気者な彼女の隣に立てるわけがないじゃん。
ただ、同じ空間にいられるだけで良かった。笑顔の彼女を見られたら、それだけで幸せだったんだ。
それなのに。
『なぁ、悠太。俺さ……』
駅までの道を走る。
『あの子のこと、気になるんだよね。お前と同じ学校だろ? 連絡先、聞いてきてくれよ』
この心臓の苦しさが、走っていることによるものなのか、違うものなのかはよくわからない。
『なん、でそんなこと……嫌だよ。絶対無理』
『なんでだよー。あ! もしかして、お前もあの子のこと好きなのか?』
『っ、違うっ!』
生まれて初めて恒太に対して怒鳴ったと思う。あの時の驚いた恒太の顔が鮮明に思い出せた。
僕は、恥ずかしかったんだ。他でもない弟に、この気持ちを知られるのが。咄嗟に否定してしまったけど、そのことをずっと後悔してた。
でも、ハッキリ言ったところで何も変わらない。僕は彼女とどうこうなるつもりはなかったんだから、恒太が狙ったってそれは自由で……。
一度立ち止まって呼吸を整える。頭が割れそうなほど痛かった。でも、立ち止まっている暇はない。
再び走り始めて、最寄り駅の改札を通る。電車が来るまでの時間がとてつもなく長く感じた。
『なぁ、悠太。まだ怒ってんの?』
『怒ってないよ』
『嘘。めちゃくちゃ不機嫌じゃん。そんなにあの子のことが好きなのかよ』
仲直りしようと思った。あんな風に言い返す気はなかったのに。
『そんなこと聞いて何になるの。恒太があの子を好きなら、僕に頼んなくてもどうにでもなるだろ』
嫌だった。
恒太は行動力の塊みたいなヤツだから、そう言ったら本当に彼女の下へ行く。そして、難なく連絡先を交換するんだ。
『なんだよ、その態度……。ああ、わかったよ! 俺、明日の放課後にお前の学校行くわ。そんで、あの子に話しかけるからなっ!』
嫌だった。
想像もしたくないのに、恒太と彼女が仲良く二人で並んで歩く姿が脳裏に過ってしまった。
『好きにすればいいだろっ!』
『あっ、おい、どこ行くんだよこんな時間にっ! 待てって!』
あの時、家を飛び出していなければ。
そしてそれを、恒太が追って来なければ。
「うっ……!」
駅のホームで口を押さえる。激しい衝突音と衝撃がフラッシュバックしてきた。
あの夜、何が起きたのかと痛む身体を無理矢理起こし、最初に僕が見たのは……不自然な方向に手足が折れている恒太が、目の前で血を流して倒れている生々しい姿だった。
横倒れになった車のライトが、まるでスポットライトのようにその光景を照らしていたのだ。
『つまり、だ。恒太はわざと陽菜ちゃんのことが好きって言うことで、遠回しに悠太の恋を応援しようとしてくれたんだよ。アイツ、天邪鬼だからそういうことしそうじゃん。俺はそう思う』
ミネリョーの言葉を思い出す。
「っ、ああっ……!」
ボタボタと涙が地面に落ちていく。
その通りだった。恒太はそういうヤツだ。あれは、恒太の不器用な思いやりだった。
どうして僕はあの時、冷静になれなかったのだろう。だから僕は、いつもアイツの悪戯にすぐ騙されるんだ……!
それでもあの夜、一人で飛び出して走っている間に僕は気付いた。恒太の意図に。
ちゃんと、気付いたのに……遅かった。それじゃあ遅かったんだ。
目の前で倒れている恒太だったモノを見て、僕はその事実を受け入れられなかった。耐えられなくなった。
だから、リセットしたんだ。
陽菜への、恋心も全て。最初から
※
ガタガタと揺れる電車が、いつもよりもずっと遅く感じる。休日のこの路線、この時間は人も少ないからか、余計に時間の流れがゆっくりに感じるのかもしれない。
気は急いていたけれど、そのおかげで随分と落ち着けた。だいぶ、冷静になれたと思う。
「陽菜も、同じ気持ちだった……」
片思いだと思っていた自分の恋が、片思いではなかった。それどころか、かわいい彼女には何度も告白されていた。
「なんで、思い出さないかなぁ……僕?」
もう卒業してしまったというのに。むしろ、陽菜に毎日会えなくなる今になってなぜ思い出したのだろうか。
いや、その危機感が思い出させたのかもしれない。毎日陽菜に会えるという安心感が、記憶を思い出さなくてもいいやという甘えになっていたのかもしれなかった。
手が震える。
事故のこと、恒太のこと。後悔が押し寄せてくる。
思い出すのが怖かったんだ。僕は臆病者で、そのせいでみんなに心配を、迷惑をたくさんかけていたのだ。
だけど、今は不思議と怖さを感じなかった。
正確に言えば、怖くはある。胸の奥でチクチクと突き刺す痛みを感じるし、申し訳なさでどうにかなってしまいそうでもあった。
でも、立てなくなるとか叫びたくなるとか、そういう衝動は一切なかった。すでに僕の中で、とても辛い思い出として過去の出来事になりつつあるらしかった。
不思議な感覚だ。でも、それに浸っている時間はない。
「……行かなきゃ」
すでに待ち合わせの時間は過ぎている。あのアラーム音がその時間なのだから。今から向かっても、もう遅いかもしれない。
それでも行かなきゃいけないと思った。慌てて外に出たせいで、スマホを忘れてしまったと今更ながら気付く。
ああ、もうそんなことは全てどうでもいい。大事なのは、彼女のことだ。
どう報いればいい? 酷いことをした、酷いことも言ったこんな僕のことを、ずっと諦めずにいてくれた彼女に何をしてあげられるだろう。
いや、それすらも後回しだ。
今は一刻も早く、彼女に好きだと伝えたかった。
何度も、何度も、彼女がもういいと飽きてしまうほど、何度も伝えたい。
逸る気持ちで電車を降りる。改札を出て当たりを見回したけど、そこには誰もいなかった。当たり前だ。もう三十分以上も過ぎているんだから。
「やっぱり、もういないよな……」
それでも諦めきれなくて、僕はそのまま学校に向かって歩いてみることにした。
私服でこの駅に立つのが何だか不思議だ。つい数日前のことだというのに、懐かしさも感じる。
もしかしたら彼女も同じように感じて歩いているかもしれないし。なんて、甘い考えだろうけれど。
だけど、そんな都合の良い期待を抱いたのは大正解だった。
少し離れた位置に、人影が見える。
あの場所は、情けなくも僕が陽菜に向かって八つ当たりをした場所。間違いない。
そんな場所に、一人の女の子が佇んでいる。
ドクンと胸が鳴った。気付けば僕は、彼女に向かって走り出していた。
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