時間は進む
冬休みに入ったことで、悠太と毎日会えなくなってしまった。月曜日も過ぎてしまったから、悠太は何も覚えていないし……どんなアプローチをしようか悩む。
あーでもない、こーでもないと考えながらダラダラしていると、お母さんから大掃除を手伝ってほしいとの要請が入った。
まぁ、クリスマスが終わったら年末だもんね。どこのお宅も色々と忙しいか。
会うのは難しいだろうから、メッセージだけでも送って私の存在をアピールする作戦にしようかなぁ。
直接会って告白するのも勇気がいるけど、メールでっていうのも、緊張するかも。
そんなあれこれを考えながら一心不乱に窓拭きをしていると、お母さんからお茶にしましょ、と呼ぶ声が聞こえて来た。
一生懸命掃除をしていたから身体はポカポカしていたけど、手はとても冷たくなっていたので助かる!
はぁい、と返事をして階下へ降りると、ダイニングテーブルにはすでにお茶が用意されていた。
私専用のウサギ柄のカップから湯気が上がっていて、紅茶のいい香りがする。お母さんのこだわりで、うちは茶葉から淹れているのだ。
本来ならティーカップで飲むのがいいんだろうけど、私はいつもマグカップ。いいの、これがお気に入りなの。……うん、美味しい。
ホッと息をつくと、お母さんがお洒落なティーカップに視線を落としたまま話しかけてきた。
「ねぇ、陽菜。悠太くんのこと、諦めないのは構わないよ。応援も協力もする。ただね」
お母さんは一度そこで言葉を切ると、一口紅茶を飲んでからそっとカップを置いた。
「自分の人生を疎かにしちゃダメ。貴女はまだ高校生で、四月になったら三年生になる。もう受験生なんだよ。もし悠太くんの症状が治った時に、陽菜が将来どうしたいのかを見付けられていなかったら? それを陽菜自身が許せる?」
ああ、たぶんずっとこの話をしたかったんだろうなとすぐにわかった。
うちは比較的放任主義で、両親ともに私のやりたいことを好きにやらせてくれる。だから勉強しなさいとか、進路のこととか、頻繁に口を出されることはない。
ただ少し心配な時とか、大事な時に、こうして改まって話をする機会を設けるんだよね。
そんな両親をとても尊敬しているし、必要なことだとわかってるから私もちゃんと真っ直ぐお母さんに向き合った。
「許せない、と思う。自分のこともろくに考えられないで、人のことを考えられるとは思えないもん」
「さすが我が娘。わかってるじゃない。じゃあこれはわかってるかなー?」
お母さんはニヤリと笑って頬杖を突いた。あ、この顔はちょっと意地悪を言う顔だ。私は身構えた。
「陽菜はさ、悠太くんには私しかいないっ! 私がなんとかしなきゃっ! ……だなんて思い上がってない?」
お母さんはわざとらしく声を高くして私の真似をする。そんなこと言わないし、言ったとしてもそんな言い方しないもん! 悪意しか感じないんだけどぉっ!?
でも、言っていることは正直……突き刺さった。
「……お母さん、もう少しオブラートに包んでよぉ」
「あはは、お母さんだからこそ言えるの!」
言い難いことをズバズバという人である。
ちなみに、娘の私相手じゃなくてもお母さんは割とキツイことをハッキリと言う人だ。もちろん、正論であることがほとんどだけど……なかなかの切れ味なので少しは遠慮してもらいたい。
「……わかった。ちゃんと勉強する」
悠太には、私なんかいなくても助けてくれる人はたくさんいる。自分だけが彼を救えるとか、寄り添えるだなんてもちろん思ってないけど……少しだけ。そう、本当に少しだけそういう気持ちがないとも言い切れなかった。
私は特別なんだって、思い上がっている部分はあるのだ。だからこそお母さんの言葉が刺さるんだろう。
でも最初に言われたように、自分のことも考えられないようじゃダメだってこともわかる。
このまま卒業したら、ますます悠太との接点がなくなって恋人になるのは難しくなっていく。それに焦る気持ちは日に日に膨れ上がっていた。
それに加えて、自分の将来も何も決まっていなかったら? 想像しただけでヤバイ。かなり精神的に追い詰められるに違いなかった。
そうは言っても、今はまだ何も目標なんて見えてこないけれど。
「将来のことも、考える。これしか、今は言えないけど……」
なんと情けない返事だろう。決意表明しか出来ないなんて。まるで子どもの言い訳だ。
ちゃんと考える気はあるよ。悠太のことばかりにならないようにしようって気付かされたし。
本当に信用のならない口約束だったけど、お母さんはフッと肩の力を抜いて微笑んだ。
「それでいいよ。答えもすぐに出す必要はない。お母さんはいつだって陽菜のこと応援してるんだから。ちゃんと相談しなさい」
器の大きい母親だなぁ、もう! 心配かけてごめんね、それとありがとう。
気恥ずかしくて、心の中でだけ謝罪とお礼を告げた。
紅茶を半分ほど飲んだ頃、話は少し変わるんだけど、とお母さんはテーブルに両肘をついて身を乗り出した。
「ねぇ、最近は悠太くんに話してないんだって? 事故のこと」
一体この人はどこから情報を入手してくるのだろうか。まぁ、コミュ力オバケのお母さんのことだから、悠太のお母さんとも繋がっているんだろうな。……はぁ。
「臆病者だと思う? 私は思う」
痛いところをまた突かれて、私は力なくテーブルに突っ伏した。
そうなのだ。実はあれから、悠太にあれほどの感情の爆発をそう何度もさせていいのだろうか、とずっと悩んでいるのだ。
あれだけのことがあった翌週だしとか、クリスマスだしとか、もう冬休みに入っちゃったしとか。色々と言い訳を並べて避けているだけかもしれない。
本当は、私が辛いから悠太に話したくないだけなのかもしれなかったから。
ウジウジ悩んでいると、そっと頭を撫でられる手の感触。わぁ、お母さんからのいい子いい子だなんて、いつぶりだろう。
「思わないよ。陽菜はよくやってる。誰も文句言ってこないでしょ?」
「気を遣われてるだけだよ、きっと……」
「何よ。珍しくネガティブじゃない」
せっかくだから、ここぞとばかりに甘えてやった。今のお母さんは私にスーパー優しいから。
「私、無駄なことしてるのかな。そう思ったら、傷口を抉るようなことするなんてもっと意味がないんじゃないかって。怖いの。大好きな人を傷付けるのが。そんな彼を見るのはもっと怖い。あんなに覚悟決めたのに、弱虫になっちゃった」
これまで誰にも言えずにいた弱音が、次から次へと口をついて出て行く。ほんの少しだけ涙が滲んだけど、絶対に泣かないって決めたからグッと堪えた。
「ひーな。大丈夫。本当に貴女はよく頑張ってるから。それはお母さんが保証するし、文句を言ってくる人がいたら蹴散らしてあげる」
「ふふっ、それはやめてあげて」
蹴散らす、だなんてお母さんが言うとあんまり冗談に聞こえないんだから。
吹き出して笑っちゃったから、涙は引っ込んでくれたけど。
「ねぇ、本当に意味がないかな? 私はさ、陽菜のやっていることに意味はあると思うよ」
これはただ励まそうと思って言ってるわけじゃないよ、とお母さんは続けた。
意味が、あるかな……? 本当に?
「だって、悠太くんの中の時間が止まっているわけではないんだもの」
「……え?」
「そうでしょ? 人との思い出を忘れるだけで、悠太くんの時間は進んでいるじゃない」
そういえば、そうだ。その通りだ。
悠太がリセットするのは、人との思い出だけだ。でもそれって結局、人との時間は止まっているってことにならないかな……?
「何も変わらないなんてことはないよ。諸行無常って知らないの? 陽菜の努力が、声が、きっと悠太くんには届いていると思う」
「そう、かな。そうだといいけど……」
「っていうか、そう信じて頑張るって決めたんじゃないの?」
「……うん。うん、そう。そう信じてる」
萎れかけていた決意が、また水を得て元気を取り戻していく。お母さんってすごいな。一生、この人には敵わない気がする。
「……ありがと」
サッとカップを持って席を立ち、キッチンに持って行きながらサラッと告げる。
恥ずかしかったから、ちょっとぶっきらぼうな言い方になってしまったけど、まぁ、大丈夫でしょ。
だって私のお母さんなんだから。私の性格だってわかっているはずだ。
※
結局、冬休みの間は悠太に会うことはなかった。時々、ミネリョーくん経由でメールを送ったりはしたけどね。
だって、私の連絡先は知らないところからスタートなんだもん。急に知らないアドレスからメールが来たら不審がられて返信なんてされない。
私の名前はもちろん登録してあるけれど、悠太が認識しない限り彼の目には映らないのは実証済みだったし。
つまり、だ。休みの間はほとんど進展がなかったというわけなのです。新学期はこれまで以上に頑張るんだからね!
休み明け、最初からガンガン悠太に話しかけに行く私。記憶に残るために、また公開告白にしようかな? とも思ったんだけど……久しぶりの悠太にドキドキしちゃって急にそこまでは出来る気がしなかったんだよね。
薫ちゃんには少し呆れられたけど、普通のアプローチでもあの頃に比べればかなりの進歩か、と言って頭を撫でてもらえた。
えへへー。いや、本当にそう。私、頑張ってる!
「森藤くん、いつも何の本を読んでるの?」
「……え」
いつも通り、席で本を読んでいる悠太に当たり障りのない言葉をかける。正直、これも何度も繰り返しているアプローチなんだけどね。
今回は挨拶よりも前に、しかも新学期早々そんなことを言われたからか、悠太はとても驚いたように目を丸くしていた。あはは、ごめんね。
そんないつもの、よくある反応だと思ってた。思ってたんだけど……今回は、そのよくある反応とは違ったみたいだった。
「あ、ごめん。いや、その……前にもそれ、聞いてこなかった?」
「えっ」
「ご、ごめん! なんとなくそんな気がしただけで……そんなわけないよね、ほんと。何、言ってんだろ、僕。変なこと言ってごめん!」
もしかしたら。そう、もしかしたら。
『陽菜の努力が、声が、きっと悠太くんには届いていると思う』
何も変わっていないって思っていたけど、悠太は少しずつ少しずつ、心を癒している途中なのかもしれない。
「ううん。もしかしたら、前にも聞いたことがあるかも、ね?」
「ど、どういうこと?」
「ふふっ、秘密ーっ!」
無理に思い出させようとしなくてもいいんだって急にそう理解した。
私はただ、これからもずっと悠太に告白し続けよう。それだけでいい気がするんだよ。なんだろ、これ。勇気が湧いてくる。
その日、ミネリョーくんや悠太のお母さんにそのことを告げると、二人とも一緒になって驚きながら喜んでくれた。
事故のことも、無理に思い出させようとしなくていいって同意を示してもくれた。
一月が過ぎ、二月が過ぎ、三月が過ぎれば、私たちは受験生となる。クラス替えだってあるかもしれない。
接点が一つずつなくなっていくかもしれない不安が溶けてくれるような、そんな晴れやかな気分だった。
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