喧嘩の原因
十二月の二週目。
悠太の主治医の伊崎先生と話した時のことは、いつまでも私の心に突き刺さっていた。けど、悩んでばかりもいられない。
私の頑張りはもしかしたら無駄なのかもしれないって……そうは思うけど、やめることも出来ないのだ。だって、私は悠太に恋をしているんだから。
変わらず告白はするし、好きになってもらいたいし、恋人になりたい。ただその気持ちだけを頼りに私はめげずに悠太に「好き」と伝え続けるしかないんだもん。
そんな折、ミネリョーくんから新情報がもたらされた。とはいっても、それは悠太のお母さんからの情報で、私にも聞き覚えのある内容だった。
「恒太がさ、どうやら陽菜ちゃんに一目惚れしてたらしいんだよ」
「……あれ、聞き間違いじゃなかったんだ?」
以前、電話をした時に切る直前に言われたんだったよね。恒太くんと悠太を言い間違えたのかな? とか何かの勘違いかな? と思ってあまり気にしてなかったんだけど。まさか、本当だったとは。
だって、私が一目惚れされるなんて思わないじゃない? 恒太くんには一度も会ったことないのにっ!
そりゃあ、私はちょっとかわいい方だとは思うけどっ! それもこれも、悠太にかわいいって思ってもらえるように努力しているからこそ!
「といっても、本気じゃない。よくある話だよ。たまたま悠太と待ち合わせしてた時に、陽菜ちゃんを見かけたらしくて。男なんか、自分好みのかわいい子がいたら目で追いかけるもんだし。そういうノリで言ったんだと思う。恒太だし」
そ、それを聞かされた私は、一体どんな反応をすれば良いのでしょうか……?
思わず隣にいる薫ちゃんに助けを求めるように視線を向ければ、少し不機嫌そうに目を細めている姿が目に入った。あれっ?
「へぇ? 稜ちゃんも、好みの女の子がいたら目で追っちゃうんだ」
ヤキモチ妬いてた!?
えー、かわいい。少し拗ねたように口を尖らせてる薫ちゃんなんて、貴重だなぁ。
一方でミネリョーくんは少しだけ焦った顔をしてる。こっちも珍しい。
「俺は、薫ちゃんしか見てないよ」
「でも、かわいい子がいたら見ちゃうんでしょ?」
「そ、れは」
「否定しないんじゃん」
あ、あれ? 雲行きが怪しくなってきた……? もう、ミネリョーくんったら、ここは嘘でも「見ないよ」って言えばいいのに正直者なんだからっ!
ってそれどころじゃない。いつも仲のいい二人がこんなことで喧嘩になったら困る!
ミネリョーくんは少しくらい困ればいいと思う意地悪な私だけど、薫ちゃんが悲しむのは絶対にダメだし!
あたふたと二人を交互に見つつ、誰かに助けを求めようと周囲を見回す。すると、とてもいいタイミングで教室に戻って来た悠太を発見した。
私はすぐに席を立って悠太に駆け寄る。今週はまだ告白を済ませた後の返事待ち状態だから、近寄ってきた私に少し戸惑った様子の悠太が見られた。
これはこれで有りだけど、はやくオーケーもらいたいなぁ……って、今はそうじゃなかった。
「ゆ、悠太、ちょっと助けて」
「え、ど、どうしたの?」
困惑した顔の悠太に人差し指で小さくあの二人を指し示しながら事情を簡単に説明すると、悠太は納得したように頷いた。
「たぶん、いつものことだから大丈夫だよ」
「慣れてるね……?」
「あの二人が付き合い始めた頃は、もっと色々と聞かされたから。主にミネリョーの話を聞かされただけだけどね。いつも次の日には仲良しに戻ってる」
そっか。あの二人は事故より前から付き合っているから、悠太の記憶に残ってるんだね。……羨ましい。
悠太と二人でコソコソ話していると、それに気付いたのかミネリョーくんがおーい、と私たちを呼んだ。
喧嘩は終わったかな? 薫ちゃんの様子を見るに、まだ少しだけ膨れているけど……まぁ大丈夫、かな? あとは二人きりになった時にじっくり話し合ってもらいたい。
悠太と二人で近くに向かうと、ミネリョーくんはニヤッと笑った。それから悠太に、恒太が陽菜ちゃんに一目惚れしたってさ、と口にする。
ちょ、ここで恒太くんのことを言っちゃうの!? 唐突すぎて私の方が動揺しちゃったんだけど!
っていうかその言い方じゃ、誤解を招くんですがっ! 恒太くんは別に私が好きってわけじゃないニュアンスだったじゃない!
だけど、私がもっと動揺する言葉が悠太から発せられた。
「……そんな話を、前に恒太にされたかもしれない」
え、っと? つまり、恒太くんが私を好き、みたいなことを悠太は知っていた、って言ってるの?
あ、ちょっと混乱してきた。それって今思い出したことなのかな。そんな雰囲気だよね?
悠太はどこか気まずそうに視線を落として、私の方を見ようともしないけど……私は今、相変わらずどんな反応をすればいいのかわからないのですが?
「恒太はさ、悠太が陽菜ちゃんを目で追ってることに気付いたんだってさ。それで恒太も気になったらしい。なんだよ、お前。陽菜ちゃんのことめっちゃ好きじゃん」
「や、やめろよ、ミネリョーっ! そうやってすぐ勝手に話を盛る! 大体、その情報はどっから……あーもう! 恒太のヤツか?」
悠太の口から出てきた恒太くんの名前。雰囲気から言っても、恒太くんがまだ生きていると疑っていない様子だ。その姿を見る度に、どうしても胸が痛む。
ミネリョーくんも薫ちゃんも同じ気持ちなのだろう、少しだけ表情が歪んだのがわかった。
「なんだよ。じゃあ、違うのか? 悠太は別に陽菜ちゃんを好きじゃないってこと?」
ミネリョーくんがそう言うと、悠太はさらに困ったように眉尻を下げる。
あ、あのー……本人がここにいるんですけど? 聞いていていいのかな? 聞くけど。
「ただ、僕は……恒太が陽菜のこと気になるって言ったのを聞いて、協力してって言われて。なんて勝手なんだろうって。妙に、イライラして」
「なんで苛つくんだよ。恒太に好きな人が出来たのは喜ばしいことじゃん。それも相手は悠太と同じ学校なんだから、協力を頼むのが普通じゃないか?」
「そ、それはそうだけど。ただ、相手が知ってる子だったから……お、驚いたんだよ」
ミネリョーくんの質問に、悠太がしどろもどろ答えていく。
なんだろう、この流れ。なんか、悠太が少し恒太くんに対して怒ってた、みたいな。
「なぁ。恒太との喧嘩の原因って、陽菜ちゃんのことなんだろ?」
「え、喧嘩? あ、そういえば……」
やっぱりそうだよね!? 恒太くんと喧嘩してるよね、これ? 本人はたった今、恒太くんと喧嘩をした事実を思い出したみたいだけど。
ブワッと顔が熱くなっていく。だってまさか、喧嘩の原因が自分だなんて思わないじゃない。
しかし、私の存在を忘れているんじゃないかという勢いで二人の会話は続いていく。
「お前はさぁ、悠太。本当はずっと陽菜ちゃんが好きだったんじゃないの?」
「ち、違っ! ただ、なんで陽菜なんだろうって思ったら頭に血が上っただけだしっ!」
「えー? それ、森藤くんってば陽菜のことめっちゃ好きじゃん」
「えっ、えっ……?」
ま、待って、そろそろ無理……! どんな羞恥プレイなの? ちょ、薫ちゃんもニヤニヤしながら参戦するのやめてっ!
ついに耐えられなくなった私は恐らく顔を真っ赤にしながら会話に割って入ることにした。
「あのぉ、ミネリョーくんも薫ちゃんもやめてくれない、かな? 本人のいる前でする話じゃないよぉ……!」
「え? わっ、そ、そうだった……!」
悠太もまた、今思い出したというように急激に顔を赤くしていく。は、恥ずかしすぎる……!
でも、うっかり涙が出そうなほど嬉しくもあった。
だって、本当に悠太がすでに私を好きでいてくれていたのなら。
事故が起きる前、すでに思われていたってことになるじゃない……?
暫し、場に沈黙が流れる。赤面して俯く私と悠太に、その様子をただ黙って見守るミネリョーくんと薫ちゃん。
この場をどうしてくれよう、と考え始めた時だ。ミネリョーくんが真面目な雰囲気を作って静かに口を開いた。
「実はな、悠太。この話には続きがある」
「……続き?」
「そう。喧嘩した日、悠太の母さんは恒太と少し話したんだってさ」
そうだ。確か悠太のお母さんから聞いた、ってこの話題になったんだっけ。ミネリョーくんは、さも自分が恒太くんから聞いたかのように話していたけど、たぶん今まで言っていた情報も悠太のお母さんから聞いたことだったのだろう。
ハッとなって顔を上げると、ミネリョーくんは斜め上に視線を向けて思い出しながら語り始めた。
『あら? じゃあ恒太はその子のこと好きじゃないの?』
『んー? そりゃあかわいいとは思うよ? あんな子が彼女だったらなーって思う。けどさ、さすがに話したこともない相手を本気で好きにはならないでしょ。ただ、あの子すげぇかわいかったから、からかってやろうって思って……お前も好きなのか? って聞いたんだ。でもアイツ、別に好きなんかじゃないって否定してさ。絶対に嘘! だから、つい苛ついたんだよ』
『意地悪ねぇ。本当は、悠太を応援したいくせに』
『別に、そういうわけじゃ……』
恒太くんはそこで一度言葉を切り、少し迷ってからこう言ったらしい。
『でもさ。いっつも俺になんでも譲ってくれる悠太が俺に敵意を向けるの、ちょっと嬉しかった』
『あらあら』
『あっ、母さん! 絶対に悠太には言うなよ!?』
なん、だ、それ。
恒太くん、悠太のこと大好きじゃん……。兄弟愛を見た気がする。
「つまり、だ。恒太はわざと陽菜ちゃんのことが好きって言うことで、遠回しに悠太の恋を応援しようとしてくれたんだよ。アイツ、天邪鬼だからそういうことしそうじゃん。俺はそう思う」
ずっと人のことを優先してしまう悠太を、心配していたんだね。だからいつも自分に譲られるのが嫌になったんだ。
きっと幼い頃からずっとそうだったんだと思う。悠太自身は本当に気にしていなかったのだとしても……恒太くんの方が気にしていたのかもしれない。
「その時は、まさか二人がそこまで真剣に喧嘩してたなんて知らなかった、って悠太の母さんは言ってた。いつも通り、恒太が文句言ってるだけだと思ったって」
「……そう、だったんだ。でも、それじゃ」
悠太は話を聞いてそう呟くと、僅かに呻きながら右手で頭を押さえた。
えっ、何? どうしたの!? 頭が痛むのか、顔を歪めている悠太を前に、どうしたらいいのかわからなくてあたふたしてしまう。
「おい、悠太! 大丈夫か?」
「早く、恒太に謝りに行かないと……」
ミネリョーくんが悠太の背に手を置きながら声をかけたけど、悠太はそれを聞いているのか聞いていないのか、ぼんやりと虚空を見つめて再び呟いた。
何かを、思い出した……?
「……悠太。忘れたのか。お前、夏休みに入ったばかりの頃、入院してただろ。交通事故で」
「え? なんで今、その話……」
悠太は焦った様子だったけど、ミネリョーくんの言葉には耳を傾けてくれた。
ああ、今週は今言うんだなって雰囲気で察した。恒太くんが亡くなっているという、その事実を。
ドキドキと心臓が大きく鳴る。これまでとは少し違った様子の悠太に、このことを告げたらどうなるのかって。
今の悠太は明らかに何かを思い出していて、ちょっと取り乱している。そんなところにこの事実を伝えたら……悠太の心に大きな傷を残すんじゃないかって思うと、すごく怖い。
でも、大事なことだ。悠太には事実を受け入れてもらって、まずはショックを受けてもらわないといけない。そうしてようやく、心を癒していけるのだから。
ミネリョーくんも緊張しているのがわかる。いつも以上に緊迫した声と顔で一つ深呼吸をすると、声を落として告げた。
「……あの時、恒太は死んだ。お前は助かったけど、恒太はあの事故で死んだんだ」
────悠太の表情が、変わった。
これまでは、最初にそう聞かされた時はぽかんとした顔で、何が何だかわからないっていう反応だった。でも今はこれまでと少し違う。
悠太は明らかに、動揺していた。
「う、嘘、だよ。だって、そんな」
「じゃあお前、あれから恒太に会ったのかよ。最後に会ったのはいつだ? 現実を見てくれ、悠太。もう恒太はいない。もう何カ月も前に死んでる!!」
ミネリョーくんは畳みかけるように言葉を続けた。いつもよりどこか必死で、悲痛な思いが伝わってくる。
「そんな、だって。恒太は家に……」
悠太は呆然とした後、再び頭を押さえた。さっきより痛みが酷そうで、腰を曲げて呻いている。今にも倒れてしまいそうな悠太を、ミネリョーくんがしっかり支えてくれていた。
それからしばらくして、悠太はゆっくりと顔を上げる。私はもう、気が気ではなかった。
「最後に、会ったのは……喧嘩の、時だ」
顔が真っ青だ。どことなく呼吸も荒い。これは、保健室に連れて行った方がいいんじゃ、と心配になる。
「そ、それじゃあ僕。恒太と、仲直り出来ずに……?」
悠太は弾かれたように上半身を起こし、急に走り出した。それから何も持たずに教室から飛び出して行く。
それはあまりにも突然のことだったから、誰もすぐには反応出来なかった。
私は、まだ授業があるのにとか、追いかけてもいいのかとか、そう言った葛藤をほんの一瞬だけ脳内で巡らせたものの、ほぼ反射的に悠太の背中を追いかけて走り出した。
一瞬だけ視界に入った、ミネリョーくんと薫ちゃんの驚いた顔が、やけに脳裏に残った。
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