諦めない
また月曜日がやってきて、今日は火曜日。今ばかりは月曜日の祝日が恨めしい。
先週は悠太の彼女にはなれなかったけど、悠太のお母さんと話しが出来て良かったと思う。
でも、どうしても心は重い。事情を聞いた後だからかな、諦めないって宣言したのはいいけれど……すぐには元気が出なかったんだよね。
バシッと頬を叩きながら顔を洗う。水が飛び散ってしまったから後できちんと拭いておかなきゃ。お母さんに叱られちゃう。
「折れるな。折れるな。折れるな……」
顔を水浸しにしたまま鏡の前の自分を睨む。何よ、その不安そうな顔。
「ブサイクだなぁ……」
タオルで水気を拭き取り、化粧水をつけた。ちゃんといつも通りにしないと。少しでもかわいい私になるように。
再び鏡の自分を見て、情けない顔を解していく。ぐにぐにと頬をマッサージして、変な顔をして。
笑え。笑え、私。
指で無理矢理口角を上げた。
「あは……変な顔」
笑えた。ほんと、何してんだろうなぁ私。一人で変な顔してさ、滑稽だよね。でも!
「大丈夫。ちょっとぎこちないけど、今日もかわいいよ、私っ!」
ご飯を食べて、早めに歩けばもういつもの私になっているはず。
今週も悠太の恋人になるために頑張らなきゃ。恋を楽しもう。今を全力で楽しもう。
「覚悟してろよぉ? 悠太ぁ」
小さく呟いて、悠太の姿を思い浮かべる。うん、好き。
※
「陽ー菜っ」
「薫ちゃん、おはよう!」
学校の最寄り駅から一人歩いていると、背後から薫ちゃんが声をかけてきた。珍しい。いつもはもっと遅いか朝練でもっと早いのに。
振り返って挨拶をしたら、薫ちゃんは意外そうな顔をした。
「なんだ、元気そうだね。せっかく慰めようと時間を合わせて来たんだけど、無駄だったかな?」
え、優しい……! 天使かな? 薫ちゃんは私を心配してわざわざこの時間に来てくれたんだ。持つべきものは天使な親友っ!
「そんなことない! めちゃくちゃ嬉しいよー!」
「そう? なら良かった。でも、今日はさすがに元気ないと思ったんだけどな。あんな話を聞いた後だし」
天使な上にイケメンだよ、薫ちゃん。くっ、ミネリョーくんの彼女にしておくには惜しい。
私の中でミネリョーくんはライバルみたいなものだからね。こんなに素敵な薫ちゃんに好かれてさ、悠太のことも私より知っててさ。ずるい。悔しい。
「……ここ最近の陽菜は、頑張り過ぎてたからさ。きつい時は言ってよね」
「うぅ、あんまり優しくしないでよ、薫ちゃん。これでも精一杯強がってるんだから」
「あはは、そっかそっか。把握ー」
ぽんぽんと軽く背中を叩きながら前を向いて笑ってくれる親友に、どれほど助けられていることか。本当に勇気付けられる。
「ところで、せっかくだから一つ頼まれてくれないかね、薫さん」
「ふむふむ。構わんよ、陽菜さん」
私の軽いノリにすかさず乗ってくるところも大好き。私はほんの少し顔を出した弱気を薫ちゃんの前でだけ曝け出した。
「……教室に着いたら、悠太の様子を見てくれない? いつも通り、忘れてるとは思うけど、さ」
もちろん、今週も告白はするつもりだ。だけどあの話を聞いた今、何も気にならないわけではなかった。
本当は怖い。また全てを忘れてしまった悠太を目の当たりにするのが。事情を知ったからこそ、きっとショックを受ける気がするんだ。
それを思うと、ご家族やミネリョーくんは本当に辛かっただろうなって思う。先に心が折れてしまうのも仕方のないことだよ。
私はほら、事前にある程度の症状を聞いていたから、事情を聞く心構えが出来ていたもん。
でも、突然の事故で心構えなんて一切出来なかったら……折れていたと思う。私はそんなに、強い人間なんかじゃないから。
「いいよ。けど、私は陽菜にどう伝えたらいい?」
結局、ショックな事実を知ることは避けられないもんね。それをわかっていて、こんな風に気遣ってくれる薫ちゃんは本当にいい女ですよ。もう頭が上がんないよ。
「……頑張ってって、応援してほしい」
「んふ、了解」
今度はそっと頭を撫でてくれた薫ちゃんは、そのまま前を向いて気持ちゆっくり歩いてくれた。私は、うっかり泣いてしまわないようにするので精一杯だった。
教室に着いた薫ちゃんは、真っ直ぐ悠太の下に向かってくれた。自分のクラスじゃないというのに、堂々とした足取り。私はその様子を廊下からソッと見ている。
周囲のクラスメイトがなんで教室に入らないんだろう? みたいな顔で見て来たけれど、今の私はそれどころじゃない。
挨拶もそこそこに、ドキドキしながら薫ちゃんの動向を見守っていると、クラスメイトも察してくれたようにそっと離れてくれる。私の周り、いい人が多すぎませんかね?
悠太は……いつも通り、席で本を読んでいる。やっぱり、記憶はリセットされているんだろうな。
あ、薫ちゃんが声をかけた。悠太はちょっと慌てたように顔を上げて何か話しているみたい。
普通に会話が出来ているのは、ミネリョーくんの彼女である薫ちゃんとはそれなりに面識があるからだろうな。羨ましい。
そんなことを思いながら二人がやり取りをしている間も、私の心臓はバクバクと大きな音を立てていた。結果なんて、わかりきっているのに。
話を終えた薫ちゃんが廊下に出てくる。私と目が合った薫ちゃんはポンと私の肩に手を置いた。
「陽菜……頑張れ」
ですよね!!
グッと息を詰まらせて薫ちゃんの言葉を聞いた私は、一度大きく深呼吸をして心を落ち着かせた。
大丈夫、大丈夫。ちゃんとわかっていたし、折れてない。
心配そうに私を見る薫ちゃんを見つめ返し、苦笑しながら問いかける。
「リセット、されてたんだよね?」
「……うん。ちょっと探りを入れたんだよ。兄弟喧嘩したんだって稜ちゃんから聞いたよ、って。でも、森藤くんは恒太くんとの喧嘩のことも覚えがないみたいだった」
「……そ、そっか」
先週、初めて悠太が自力で思い出した恒太くんとの記憶。それも月曜日になった途端、また忘れてしまったみたいだ。
ふと、迷いが生まれた。諦めないって決めたはずなのに。
覚えていてほしいって今も思うよ。自分のワガママを貫きたいって思ってる。
たとえそれが身勝手なことで、思い出したくもない記憶を無理矢理にでも思い出させようとしている酷い行為だとしても。悠太を傷付ける行為なのだとしても。
別に、向き合うことが前に進む一歩なんだよ、とか、思い出すことや症状を治すことが悠太のためなんだよ、とか。そんな風には思わない。それは、第三者が決めることじゃないもん。
何が悠太のためになるかなんて、本人にしかわからないことなんだから。
だから自分勝手にいこうって、そう決めたじゃない。この週末はずっと、同じことを考え続けてきたじゃない。その上で、諦めないって決めたはずなんだ。
でも、でもさ。やっぱり辛い。忘れられることもそうだけど、悠太が傷付くようなことになるのは、辛いし悲しい。見たくない。だから迷ってしまう。
こんなの……こんなのってどうしようもないじゃない。過去に戻って、事故に遭わないようにするしか方法がないよ。
何度思い出しても、何度傷付いても、悠太は忘れてしまうんだもん。この先一生、毎週傷付くことになるの? 悠太に、救いはないの?
そうだ、私はただ……悠太に幸せになってもらいたいんだ。
バチンと大きな音を立てて自分の顔をひっぱたいた。薫ちゃんがビックリした顔で私を見下ろしている。
「気合い、入れ直したよ」
「そう、みたいだね……ちょっと、赤くなってるよ? 強く叩きすぎじゃない?」
それはそう。ちょっとヒリヒリしているし。でも、このくらいしないと弱気なんて出て行ってくれないからさ。
えへへ、と笑うと薫ちゃんは仕方ないなというように肩をすくめた。
「私さ、たとえ毎週忘れられても、もういいやって思うんだ」
別にやけになっているわけじゃないよ? と慌てて付け加えると薫ちゃんは少しホッとしたように息を吐く。ごめん、ごめん。
私が言いたいのは、もっと前向きなことなのだ。
「幸せな気持ちを贈り続けたいの。忘れてしまうとしても、その時の気持ちは本物でしょ? それならやっぱり、楽しいと思ってもらいたいじゃん。私がいてよかったって思ってもらいたいじゃん」
いずれ消えてしまう記憶だとしても、その時その時で悠太には幸せだって思ってもらいたい。
もちろん辛くて悲しい思いだって、人並みに経験してほしい。ちゃんとみんなと同じように青春したっていいと思うんだ。
波風を立てない生活もありっちゃありだけど……そこは私がいるんだもん。波風は立つよね、恋してるから。
「諦めない。悠太の症状が治るのを、じゃないよ。私が、悠太と関わり続けることを諦めたりなんかしないって。改めてそう決めたの」
ヒリヒリする頬を無視して、私はギュッと拳を握る。折れない。絶対に折れるもんか。
「応援してよね、薫ちゃん!」
「……ん。陽菜が頑張り続けるなら、私もずっと応援し続けてあげる」
「頼もしいぃ! 好き!」
「はいはい」
ギュッと薫ちゃんに抱きつくと、ポンポンと背中を叩いてくれる。よし、勇気もらった!
「じゃ、告白してくる!」
「はは、今週は教室で公開告白かぁ」
「今更だもん。みんなにはもうバレてるし、戸惑っていたら時間がもったいない」
慣れた、というのとはちょっと違う。相変わらず悠太の前に行くと挙動不審になりそうだし、心臓が爆発するし。
ただ、そう。度胸がついたんじゃないかな。何もしないで終わるくらいなら、恥をかいて後悔したいって思うようになったから。
「以前の陽菜に、見せてあげたいね」
「それは言わないお約束だよぅ」
ちょっと私も思ったけど! ただ、あの頃の自分にそう言ったところで信じてはもらえないだろうな。自分が学校中に響き渡る声で告白したなんて、さ。
ただ、あれはさすがにもう二度とやらないと思う、うん。さすがにすごく恥ずかしいから。
「じゃ、いってくる」
「ん、健闘を祈る」
ビシッと敬礼をすると、薫ちゃんも返してくれる。それに笑い合ってから、私は悠太の方に身体を向けた。
クラスメイトが今日はどんな告白をするのかとソワソワしながらこちらを窺っているのがわかる。ま、私も当事者じゃなければ野次馬したくなるだろうから別にいいけど。
それに、絶対に邪魔にならないようにって配慮してくれているのがわかるから悪い気はしない。むしろ、応援してくれてるのが伝わるからありがたいよ。
けど、今度の告白はあんまり期待には応えられないと思うな。すでに、どう話しかけるかはもう決めているから。
六回目の告白は、思い出の品とともに。
スタンダードなのを、忘れていたよね。私ったら、素直にあの時のことから攻めるのを忘れてたよ。
カバンから外したそれを手に取り、本に集中している悠太の目の前にぶらんと下げる。
悠太は一瞬、驚いたように目を丸くしてそれを、イチゴを抱えたウサギのキーホルダーを見た。そのまま、ゆっくりと顔をこちらに向けてくる。
「おはよう、森藤くん。突然だけど、これ、覚えてるかな?」
「これ、って……」
悠太はこちらを一度見てから、もう一度キーホルダーに目を向けた。
少しの間を置いてから、悠太はあの雨の日の? と聞いてくれる。良かった。やっぱり入学式のあの時のことは、事故の前だからちゃんと覚えていてくれてる。
ホッと胸を撫で下ろし、私は一つ頷いてから再び口を開く。
「私ね。あの時、君に恋をしたの。あれだけのことで? って驚くかもしれないけど……」
心臓がバクバクと音を立てる。これは、告白による緊張とはまた違った緊張によるものだ。
真っ直ぐ悠太の目を見つめると、戸惑ったように揺れる悠太の瞳に真剣な顔をした私が映っているのが見て取れた。
「キッカケなんて、そんなものだと思うんだ」
「キッカケ……」
あえて言葉を選んだ。「好き」という直接的な告白は、もう少し様子を見てからだ。
思い出すだろうか。この前と同じような状況を作ってみたけれど。
ドキドキしながら待ちつつ、私は悠太が目を丸くしてどこかぼんやりとするのを見つめていた。
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