悠太の家


 ミネリョーくんはシレッと伝票を持って、サッサとレジへ向かってしまった。

 ま、待って! 色々と待ってよ! これから行く場所ももちろん気になるけど、自分の分は自分で支払うからっ!


 慌てて荷物をまとめつつミネリョーくんを追いかけると、すでに会計を済ませてしまっていた。こ、このイケメンめっ!

 財布を出してお金を払おうとしたら、スッと手を前に出されて思わず動きを止める。


「大丈夫。悠太は今日、家にはいないからさ」

「違う。色々と、そうじゃない。待って、落ち着いて?」


 しかし、こちらの話を全く聞かず、ミネリョーくんは軽く笑いながら店を出てしまった。えぇ……?


「陽菜、諦めな。稜ちゃんはああいう人だから」

「でも、お金……それに、悠太の家だなんて本気なの?」

「本気だと思うよ? 稜ちゃんだもん」


 何がどう「稜ちゃんだもん」なのかはわからなかったけど、薫ちゃんはすでに達観した雰囲気を纏っていたのでこれはもう諦めるしかなさそうだ。

 くっ、こんなことなら悠太の最寄駅名くらい調べておくんだった! そうしたら、待ち合わせ場所の駅名でちょっとは察して、心の準備が出来たかもしれないのに!


 仕方ない。お金の件はひとまず、今後一週間くらいジュースを買って薫ちゃんに押し付けてもらおう。

 なので今はもう一つの問題の方を説明してもらわなきゃ! 早足でミネリョーくんに追いつき、声をかける。


「ミネリョーくん、とりあえずなんで悠太の家に行くことになったのかくらいは説明してよっ」


 とても早足では追い付けないので、走って彼に追いつく。その勢いのままむんずと背中の服を掴んで止めると、うぉ、とミネリョーくんが転びそうになってしまった。ごめん。

 でも、色々と強引すぎるのも良くないと思うっ! 頬を膨らませてしまうのも仕方ないのです。


「稜ちゃん、さすがに説明が足りないよ。もう少し話して?」

「んー、薫ちゃんが言うなら仕方ないな」


 ちきしょう! 彼女大好きかっ! 確かに薫ちゃんはかっこよくて美人で可愛いけどねっ!


 まぁ、いい。目で薫ちゃんに援護ありがとうと伝えると、ウィンクで答えてくれた。その姿も様になっていてとても羨ましい。一生好き。


「実はさ、悠太の母さんに陽菜ちゃんのことを話したんだよね。九月半ばくらいかな……そしたら、会ってみたいって言うからさ」

「えええっ!?」


 和んでる場合じゃなかった!? ちょっ、いつどうしてそんなことになっちゃったの!

 思わず大きな声で叫んじゃったじゃない。さっきから私、ミネリョーくんに手の上で転がされてばかりな気がする。あ、変な汗かいてきた。


「ま、待って。どんな話をしたの……? 変なこと、言ってないよね?」

「さぁ? ありのままを話しただけだよ?」


 い、じ、わ、るぅーっ! ニヤッとした顔が本当に信用ならないっ!


 うわぁ、馬鹿みたいにアタックしまくってることを、他でもない悠太のお母さんにそのまま伝えられたのだとしたら……もうどんな顔して会えばいいのかわかんないんだけどーっ!?


 ぐぬぬ、と唸っていると、薫ちゃんにぽんぽんと宥められる。はぁ、私の心のオアシス。もし将来ミネリョーくんが薫ちゃんと結婚したいとか言い出したら、最後までごねてやろうと心に決めた。


「心配しなくても、悠太の母さんはすごくいい人だから」

「……あの悠太を育ててくれたお母さんだもの。いい人に決まってる」


 口を尖らせてそう言うと、まぁなとミネリョーくんは少しだけ寂しそうに笑った。

 この男、許してなるものかと思ったけど……まぁ大目に見てやろうと少しだけ思った。


 悠太のことは、中学の時の同級生に頼んで午後から連れ出してくれることになっているという。これでゆっくりお家で話が出来るというわけだ。なんて用意周到な。

 ちなみにその同級生も悠太の事情は知っていて、ずっと何か出来ることをしたいと心配してくれていたのだそう。


 友人にも恵まれていたんだなぁ、悠太は。人柄、だよね。たぶん恒太くんも。きっとすごく人から好かれる双子だったんだろうな。


 なんて思いを馳せている場合ではない。


「ひえぇ……」

「こら、情けない声を出すんじゃないぞっ」

「そんなこと言わないでよ、薫ちゃぁん……」


 ついに、悠太の家に到着してしまった。住宅街の中の角地にある一軒家。インターフォンの前で私は硬直してしまっている。


 どうしよう。今週は悠太と恋人になってない。いやそれは今どうでもいいよね。そう。友達として、友達の家に遊びに来ただけだ。本人不在なのに。


 改めて考えるとどういう状況? なんか混乱してきた。 


 しかも悠太のお母さんは私が息子さんにめげずに告白し続けていることを知ってるんだよね?

 うわ、本当にどんな顔すればいいの? っていうか、こんなことなら手土産を持ってくるべきだったのでは!? ひぃ、第一印象が大事でしょうが、こういうのはーっ!!


「大体何を考えてるのかわかるの、すごいな」

「でしょ。陽菜はこういうところがかわいいんだよね」


 やめて、こっちは本気で悩んでいるんだからっ! だというのに、ミネリョーくんはそんな私に構うことなく軽い調子でインターフォンを押してしまった。ああっ! 無慈悲なっ!


『……はい。ああ、稜くん。来てくれたのね。今、開けるわね』


 インターフォンから聞こえた女性の声に、ビクゥッと肩を震わせる。それを見て薫ちゃんがクスクス笑った。うぅ、仕方ないでしょ。緊張するよぉ!


 ドキドキしながら待っていると、数十秒後に家の扉が内側から開けられた。


「いらっしゃい。さ、みんな遠慮せずに中へどうぞ」


 あ、目元が悠太に似てる……。私は思わず女性に見惚れてしまった。優しそうで、笑顔のとても素敵なお母さんだなって思った。


 リビングに通された私たちは、悠太のお母さんにお茶を出してもらった。もはや何を喋ったらいいのかわからなくて、ついつい黙り込んでしまう。


「ごめんなさいね。緊張しているのでしょ?」

「はっ、いっ、いえ!」

「ふふっ、いいのよ。仕方ないってわかるもの」


 とても気さくなお母さんだな。それにすごく優しい。悠太の優しさの根幹を見た気がする。


「悠太の母さん。オレたち……恒太の部屋に行ってていい?」

「ええ。ありがとうね、稜くん。それから貴女も」


 少しだけ気まずい沈黙の後、ミネリョーくんが急にそんなことを言い出した。恒太くんの部屋、か。えっ、恒太くんの部屋? なんで今?


 とりあえず立ち上がったミネリョーくんと薫ちゃんと一緒に私も立ち上がると、悠太のお母さんが待って、と引き留めてきたので振り返る。どうやら私に声をかけたみたい……?


「陽菜ちゃん、だったわね? 少し話したいのだけれど……いいかな?」

「はっ、はい……」


 ついお母さんとミネリョーくんを交互に見てしまう。ミネリョーくんは軽く目尻を下げて微笑んできた。

 つまり、私にお母さんと二人で話せってこと……? 察せてしまう自分が恨めしいっ!


 もちろん、嫌なんかじゃない。私も聞きたいことがないわけじゃないし、こういう機会をとってもらえてありがたいと思ってる。


 だけどさ、だけどさぁ? 突然すぎるんだよ、色々と! ま、まぁ、あらかじめ言われたところで私の気持ちが整ったかと言われると無理ですとしか言えないんだけどっ!


 恒太くんの部屋は二階にあるのだろう、ミネリョーくんと薫ちゃんが階段を上る足音を聞きながら、私は再び椅子に腰を下ろした。

 ど、どうしよう。変な子だって思われてないかな? 思われているよね? ううっ!


「稜くんはね、手を合わせに行ってくれたのよ。あの部屋に、恒太がいるから」


 その言葉に息を呑む。つまり、そこに恒太くんの仏壇がある、のかな?


「最初は、リビングに置いてあったんだけどね……」


 悠太のお母さんがそこで言葉を濁したことで察した。たぶんだけど、悠太にはその仏壇が見えていない・・・・・・のだろう。

 生活を送る上で、なんらかの支障をきたしたのかもしれない。


「陽菜ちゃん。悠太を好きになってくれているって、本当?」

「ひぁっ!? あっ、あっ、あのっ」


 なんとも言えない気持ちになっていると、急に話を振られて変な声ばかりが口をついて出た。うっ、私ったらずっと情けない!


「ああ、ごめんね。そんなに緊張しないで。違うなら違うって言ってくれていいの。稜くんに話を聞いただけだから、それが本当かどうかの確認をしたくて」


 な、なんか私、本当に挙動不審になっちゃってるよね。もう少し落ち着こう。せっかく悠太のお母さんが緊張を解そうとしてくれているんだから、いつまでも私がこんな調子なのは失礼になっちゃう。


 嘘は、絶対に吐きたくない。すごく恥ずかしいけど、ちゃんと伝えておきたいって思った。


 一度ゆっくりと深呼吸をして、顔を上げて悠太のお母さんの顔を見る。ああ、やっぱり目元が悠太に似ているな。


「……私は、悠太のことが好きです。その、今週は結局ちゃんとお付き合い出来なかったんですけど、来週はまたいい返事がもらえるように頑張りたいなって。あ、あれ? えっと、それで……」


 言わなくていいことまで言ってしまった気がするけどもう遅い。何よ、今週はって。ああ、もう。本当に私ったらこういう場に弱いったら! 思わずまた俯いてしまった。


「ふふ、そう。その言い方だと、毎週告白してくれているっていうのも本当なのね」

「うっ、ほ、本当です。ご、ごめんなさい」


 せっかく勇気を出したというのに、本当に情けないなぁ。だけど、気持ちだけはちゃんと伝わったから良しとしたい。


「なぜ謝るの。私はとても嬉しいのよ? 悠太の事情を知ってるのに、そうやって毎週めげずに告白してくれる子がいるなん……っ」


 不自然に途切れた言葉に、不思議に思って再び顔を上げる。

 悠太のお母さんは口元を押さえていた。うっすらと涙ぐんでいるのも見て取れた。


「とても嬉しいの。涙が出そうなほどに。本当よ?」


 震える声で告げられたその言葉は、私の心をグッと締め付けた。

 この感情をどう言い表せばいいのかはわからないけど、たぶん安心したんだと思う。訳ありの事情を抱える息子に恋するなんて、余計なことをしないでって言われるんじゃないかって。そんな不安がなかったわけじゃないからだ。


「それと同時に、申し訳ないって思うの。だって、陽菜ちゃんが辛い思いをするでしょう?」

「そ、れは」


 悠太のお母さんは鼻をすすり、ごめんなさいね、と言いながら痛いところをついてきた。

 その質問には、答えにくい。けど、正直に答えようと思う。嬉しいって言ってくれたこの人のためにも。


「……全く辛くないって言ったら、嘘になります。ずっと覚えていてもらいたいし、忘れられてしまうのは、すごく悲しいです」


 そりゃあ好きな人に忘れられたら辛いでしょ。誰だって悲しむと思う。唯一の救いは、私という人物を認知はされている状態だってこと。まったくの初対面じゃなかったのは本当に良かったなって思う。


 それでも、彼女になれたのにまたただのクラスメイトに逆戻り。それを毎週繰り返すことになるのはやっぱり辛い。


「でも、諦めたくないんです」


 絶対に、折れない。それは、悠太と向き合いたいって思った時に自分で決めたルールでもある。悠太の件では、絶対に泣きたくなんてなかったから。


「ただ、少し迷う気持ちもあるんです。悠太のお母さん……ご家族が嫌な思いをするんじゃないかって。その、事故のことを……いちいち思い出させてしまわないかって思ったんです。私の軽率な行動によって、みなさんが苦しくなるのなら、やめた方がいいんじゃないかなって。そういう迷いは、今もあります」


 悠太のお母さんは、驚いたように目を見開いて私を見ていた。


「……あはっ、でも、ごめんなさい。私、たぶんやっぱりまた告白しちゃうと思うんです。気持ちを言わないと、気が済まないみたいで」


 結局、やめてくれと言われてもやめられない気はしているんだ。頑固者なんだよ、私って。だけど、さすがに本気でやめてほしいと言われたら、私だってやめようとは思ってる。


 だから、今はただそれに対する返事が怖かった。悠太のお母さんは、なんて思っただろうか。


「……私たち夫婦と稜くんはね、早々に疲れ果ててしまったの。情けないと思う。本来なら、あの子の親である私たち夫婦こそが、諦めずに向き合わないといけないのに」


 しばらくの沈黙が流れた後、悠太のお母さんはふいに話題を変えた。答えは聞けないのかなって不安になったけど、ただ黙って聞く。


「精神科の医師も、根気強く治療していきましょうっておっしゃったわ。頑張ろうって思ったのよ? でも、先に私たちの方が参ってしまって……医師もね、悠太の状態が安定しているのだから、まずは自分たちの心が落ち着くのを待ちましょうかと言ってくださったの」


 それは、そうだよね。ご家族は一番辛い立場だもん。息子の一人が亡くなって、もう一人が記憶障害になって。

 寄り添う気力がないと、自分の方が倒れてしまう。お医者さんがそう提案するのもよくわかる。


「まだ、一、二カ月ほどしか経っていないのだもの。それも仕方ないって言い訳をしてね。だけど、八月はとても長く感じたわ」


 言い訳、というけれど、やっぱり仕方のないことだったって思うよ。どうか自分を責めないでほしい。私なんかが、言うことではないかもしれないけれど。


「それなのに、貴女はいつまで経ってもめげる様子がないって稜くんから聞いて。すごく驚いたの。どんなお嬢さんなんだろうって、会いたくなったのよ。明るくてかわいい、その通りのお嬢さんだったわね」


 え、私……? この話の流れで? え、だって、それはあまりにも立場が違うから。

 私は何も知らずにのほほんと生きていて、ただ悠太に恋をしていただけの子どもなのだ。確かに図太い自覚はあるけれど、ご家族の受けたショックと比べたらいけないと思う。


「謝る必要なんてない。貴女には感謝しかないわ。だから、気の済むようにしてもらって構わないと思っているの。もちろん、主人も同意見よ。だから、だからね」


 悠太のお母さんは両手を伸ばしてきた。私は呆気に取られながらも、反射的に手を伸ばす。

 ギュッと温かな手が私の手を包み込んだ。


「どうか、陽菜ちゃんの心を優先してね。悠太を好きになってくれてありがとう。そんな貴女が傷付くのを見るのは、心が痛むわ」


 鼻の奥がツンとした。なんて素敵なお母さんなのだろう。こんな私に、感謝してくれるなんて。


「私は、悠太のせいで傷付いたりなんかしません。苦しくても辛くても、それは仕方のないことなんです。全部自分の責任ですよ。だって……」


 泣かない。悠太の件で私は泣いたりなんかしない。嬉しいくて泣きたい気持ちではあるけど、悠太のお母さんの前で泣いたりしたら、心配させてしまうもの。


「恋って、そういうものなんでしょう?」


 だから、冗談めかして笑う。


 そう、恋って楽しくて幸せで、同時に苦しくて仕方のないものなのだ。全然思い通りにならないものなのだ。それと一緒。


 私は普通に、恋をしているだけなんだよ。


「……ええ、そうね。恋は苦しいものね」

「はい、それに楽しいです」

「そう。……そうなの」


 告白する時はドキドキするし、悠太が何か反応を返してくれる度に心が跳ねる。毎日、とても楽しくて仕方がないのは本当のことだ。


「ありがとう、ありがとう、陽菜ちゃん……」


 悠太のお母さんは再び涙を流しながらお礼を言った。お礼を言うのは、私の方ですよ。


「こちらこそ、ありがとうございます。ちゃんと、苦しくなったら休みます。途中でめげることもあるかもしれません。自分のことを大事にしながら、恋を続けますから」

「ええ、ええ。ぜひそうしてちょうだいね」


 穏やかで、温かくて、少しだけ寂しくて悲しい。


 色んな感情が今この場に漂っていたけれど、これをまとめて言うのならきっと「優しい」空間と言えるのだと思う。

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