森藤恒太という人
土曜日。ミネリョーくんに指定された駅に着くとすでにミネリョーくんと薫ちゃんが待っていた。
今日はファミレスでお昼を食べながら、悠太のこと、そして双子の弟である恒太くんの話をしてくれるという。
今週は結局、悠太とは友達止まりで恋人にはなれなかったけど……今はこの情報収集が大事だと思った。
ミネリョーくんは私が聞いた「喧嘩」について、事前に悠太から話を聞いてきたんだって。それも一緒に説明してくれるそうな。
これは長くなりそうだ。先に食事を済ませ、それぞれが二回目のドリンクを取りに行ったところでミネリョーくんは話し始めてくれた。
悠太、恒太くんの双子とミネリョーくんは、小学校からの幼馴染だそうで、中学卒業まではいつも三人で行動をしていたらしい。今ではあまり想像が出来ないけれど、とにかく仲が良かったんだって。
「といっても、俺と恒太が悪巧みするのを悠太がやれやれって感じで見てるみたいな関係でさ。だからかな、恒太が別の学校に通うことになったら、自然と悠太と一緒にいる時間も減ったんだ。俺は色んな友達とつるむことが多いけど、悠太は昔から静かなところが好きだったし。けど、俺が相談とか真剣な話が出来るのは悠太くらい。今でも親友なのは変わんないよ」
氷の入ったグラスを傾け、ストローでクルクルかき混ぜながら語るミネリョーくんは、なんだかここではないどこかを見ているようだった。
きっと、今の彼は思い出の中にいるのだろう。
学校ではあまり話さないけれど、家は近所なので休みの日は今もお互いの家を行き来ししているとミネリョーくんは言う。学校外の様子までは知らなかったから、なんだか新鮮だな。
「俺はさ、やっぱり恒太と二人でいることの方が多かったんだけど……よく恒太から悠太の愚痴みたいなものを聞かされてたんだ」
「えっ、悠太の愚痴? そんなの、あるの……? あんなに温厚なのに」
意外過ぎる話にすごくビックリした。恒太くんには会ったことがないからどんな人かはわからないけど、あんなに優しい悠太が誰かを不快にするとは思えなかったから。
兄弟間では色々と違うのかもしれないけど、それでも想像が出来ない。
私が驚いていると、ミネリョーくんはピッと人差し指を伸ばして答えた。
「それ。悠太は優しすぎるんだよ。あれって本当に生まれつきの性格なんだよな。ほら、小さい頃ってあれが欲しい、あっちが良かった、とか小さいことでワガママ言うものじゃん? 恒太は典型的なそのタイプでさ。けど、悠太は昔からあんな感じ」
「となると……いつも悠太が恒太くんに色々と譲ってたのかな」
「正解。悠太は、恒太の要求はいつだって聞いてた。それもさ、本気で別に構わないと思ってるんだよね。悠太はそういうのに執着しないんだよ」
え、まさか恒太くんの愚痴ってそれ……?
「もっとアイツにもワガママ言ってほしいのに、って。譲れないものでもあったら違うんだろうけどさー、って。仲が良くてかわいい愚痴だろ?」
ミネリョーくんはストローを咥えたままニッと笑う。うん、それは本当にかわいい愚痴だ。
そっか、そんなに仲の良い兄弟だったんだ。それを知ったからこそ、余計に恒太くんの死を思うと心がとても痛む。
「で、悠太が言ってた喧嘩についてなんだけど。悠太の母さんがちょっと知っててさ。それによると、まさに恒太が望んでた結果、起きたことだったみたいで」
「それは、悠太くんにも譲れないものがあって、それを取り合う形になったってこと?」
今度は薫ちゃんが疑問を口にしてくれた。
え、悠太に譲れないものが? そ、それがなんなのかすごく気になるかも。今後の両想い作戦のために知りたい……! けど、今はそれどころじゃないよね。うん。
ミネリョーくんはグラスを置き、テーブルの上で両手を組んで再び口を開く。
「そうそう。恒太にとってもそれは譲れないものだったみたいでさ。たぶん、恒太は悔しい気持ちと嬉しい気持ちがあって複雑だったと思うんだよな。今となってはもう……聞けないけど」
その喧嘩は、夏休みに入ってすぐ起きたことらしい。結局、二人はちゃんとした仲直りをしないまま、しばらく過ごしたんだって。
すぐに解決しないなんて、本当に珍しいな……。あの悠太が? って思っちゃう。よっぽど何か大事な物だったのかな。
「恒太が事故に遭ったのは、その一週間後くらいだ。これは俺の予想でしかないんだけど……二人は、まだ仲直りをしてなかったんだと思う」
「え……」
ヒュッと息を呑む。そんな、まさか。
最後のやり取りが喧嘩だったってこと? それまでとても仲が良い兄弟だったのに? そんなのって……!
「即死だった。その事故はさ、悠太も一緒に巻き込まれてたんだ。だから、謝る暇さえなかったんじゃないかな……」
一緒に? えっ、それって悠太も事故に遭ったってこと!? もしかして、記憶がなくなってしまうのは事故の後遺症なのかな。悠太も怪我をしていたのかな。
バクバクと心臓がうるさい。嫌な鳴り方だ。
「運転手が持病の発作を起こしたことで起きた不幸な事故だった。その車は歩道に乗り上げて、恒太や悠太を含む五人を巻き込んだ。悠太は幸い、大きな怪我をしなかったけど……恒太は……」
その事故で、車の運転手と恒太の二人が死亡、一人が重症、悠太を含む三人が軽傷を負ったという。
そんなニュース、見たっけ……? そんな私の疑問に、その日は大きな街でもっと大きな事故があったとかであまり大きく取り上げられなかったとミネリョーくんは教えてくれた。
そういえば、夏休みの前半にしばらく同じニュースばっかり流れていた時期があったかも。どこかの工場で大規模な火災が発生したとかなんとかで、数十人が重軽傷を負ったっていう……。そのニュースに隠れてしまったってことか。
そっか。私は、何も知らずにのうのうと過ごしていたんだ。
「悠太はかすり傷と少し頭を打っただけだったんだけど、その場でぶっ倒れたって聞いた。たぶん、現実を受け止めきれなかったんだろうって医者は言ってた」
「まさか、その時から……?」
事故の怪我が原因ってわけじゃなくて、あまりにもショックな出来事から心を守るために、今の症状を患ってしまったんだ……。
無理もない。無理もないよ……。その時の悠太を想像しただけで、胸がギュッと締め付けられる。
「うん。たぶん、その時からだ。悠太が目覚めたのは次の日の朝。病院で目を覚ましたんだけどさ、あいつ。事故のことをなんにも覚えてなくて」
ミネリョーくんがお見舞いにいった時は、自分が事故に遭ったことが信じられないと笑っていたのだそうだ。それが、あまりにもいつも通りの悠太で、ミネリョーくんの方が戸惑ったって。
「それどころか、事故前後の記憶が飛んでるみたいでさ。恒太と喧嘩したってことも、俺はこの前陽菜ちゃんに聞くまで知らなかったんだ」
そうだったんだ……。何だろう。忘れていてほしいような、思い出してほしいような、なんとも言えない感情が渦巻いてる。当時のミネリョーくんや、ご家族はさぞ悩んだだろうな。
そんな私の心配通り、やはり身近な人たちはすごく悩んだという。
「悠太の両親は悩んだ結果、ちゃんと恒太の死を告げるべきだって思ったみたいで。悠太は取り乱したよ。すごくショックを受けた。検査の結果、身体にも脳にも異常がないとわかったから、心は不安定だったけど一日で退院してさ。葬式にだってちゃんといたんだぜ」
ちゃんと話を聞けば、すぐに受け入れることは出来たんだ。それはある意味よかったと言えるのかもしれないけど……。
私も薫ちゃんも黙ってミネリョーくんの話の続きを待った。
「このままゆっくりと傷を癒していこう。みんながそう思った。だけど、次の週の月曜日」
ミネリョーくんはそこで言葉を切って、一度ため息を吐いた。
「……悠太は、先週の出来事を全部忘れてたんだよ」
ああ、そうか。それが初めてのリセットだったってことだね。
思わず薫ちゃんと顔を見合わせてしまう。薫ちゃんはとても困惑した顔をしていたけど、たぶん私も同じ顔をしているのだろう。
「最初は戸惑った。何が起きてるんだ? って。あまりに普段通り、その、恒太が生きているかのように話すからわけがわかんなくて」
それはそうだよね。私も、初めて悠太に忘れられた時は意味が分からなくて悲しくて、怒りさえした。事情がわからなければ、何をふざけてるの? って思われてもおかしくない。
「俺さ、ついキレちゃったんだよな。ふざけんなって。恒太の死を侮辱してるぞって。でも、悠太は本当に何もわからないみたいで」
うっ、ミネリョーくんがキレてしまったその気持ちもすごくわかる。とても責められないよ。その時の悠太が戸惑う様子も目に浮かぶ。
「絶対におかしいってことでまた病院で検査も受けたけど、どこにも異常はない。それなら原因は心の方じゃないかって精神科を受診してさ。催眠療法で、悠太はあっさり事故のことを思い出した。でも、先週と同じように取り乱して……それを何回か繰り返した」
月曜日がくる度に、何度も恒太くんの死を悠太に告げたそうだ。毎回、悠太はショックを受けたし、ちゃんと事実を受け止めたという。
「だけど毎週、月曜日になると絶対に忘れちゃうんだ。それに、事故のことは思い出せても先週やその前のことは一切思い出さない。完全になかったことになってるんだよ。行った場所とか、経験したことは覚えていても、事故が絡むことや人とのやり取りは全て、ね」
次第に、何度も恒太くんの死を告げることにご家族やミネリョーくんたちの方が精神的に参ってしまったという。
それはそうだよね。辛すぎるよ。周囲の人たちだってまだ傷が癒えていないだろうに、恒太くんの死を何度も思い出すことになるし、悠太が毎週ショックを受けるんだもん。
こんなことが起きていいの? ご家族も、ミネリョーくんも、もちろん悠太だってずっと辛い。何か、救いはないのかな……。
「事故が起きたのは日曜日。ぶっ倒れて悠太が目覚めたのは月曜日。たぶん、そういうことなんだと思う。月曜日に全部忘れてしまうのは」
全てを話し終えたミネリョーくんは、ゆるゆるとグラスに手を伸ばした。
すでにコップは汗をたくさんかいていて、氷がとても小さくなっている。ジュースの味はとても薄くなっているだろうに、気にせず一気に飲み干した。
そのままタンッとグラスを置いたミネリョーくんは、さっきまでの沈んだ表情とは打って変わっていつも通りに微笑んだ。
やっぱりその笑顔はどこか寂しげではあったけど、私も薫ちゃんも気付かないフリをした。
「だからさ。今回初めて失われていた記憶を悠太がとり戻したのを知って、すごい驚いて。もしかしたらって、ちょっと思ってさ」
え? あ、そうか。恒太くんと喧嘩したのは事故の前。悠太がずっと思い出せずにいたことだったんだっけ。それを、最近になって思い出したってことなんだ。
もしかしたら、悠太のこの症状も治るかもしれないって希望を持ちたくもなる、よね。うん。私も持ちたい!
「ってなわけで、そろそろ向かうか」
「え、ど、どこに?」
急に立ち上がったミネリョーくんに驚いて、声が上擦ってしまう。薫ちゃんもわからないみたいで一緒になって首を傾げる。
そんな私たちに向かって、すでに鞄を担いだミネリョーくんはニヤッと意地悪く笑って言ったのだ。
「悠太ん
「え」
そんな、とんでもない爆弾発言を。
ちょ、待っ、えええええっ!?
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