10月3日~10月9日


 次の週の月曜日。やっぱり悠太は全てを忘れてしまっていた。私は昨日の夜も今朝もおまじないをしてきたから大丈夫。泣いてなんかいないし、諦めてもいない。


 そっかぁ、窓から大声で叫ぶ公開告白もダメだったかぁ。


 もっとだ。もっともっと印象に残らないと、悠太の記憶に残ってくれないのかもしれない。


「というわけで、今週は色仕掛けしようと思います」

「正気?」


 朝、部活の朝練を終えた瞬間を体育館で出待ちしていた私はすぐに薫ちゃんに作戦を伝えた。別に伝える必要はなかったんだけど、さすがに勇気をもらいたくて。

 案の定、ものすごく呆れた顔をされてしまったけどね。でも私は本気なんだよ!


「だって、印象に残るにはこれしか!」

「いや、それはわかるけど……陽菜にそれが出来るのかって話よ」

「うっ」


 薫ちゃんに呆れたように言われて口籠る。そ、そりゃあ私には色気ってもんが足りてない自覚はあるよ。そこそこかわいいんじゃないかとは思ってるけど、薫ちゃんのような大人な雰囲気はないもん。


 でも、ほら。普段あまり女子と話していない高校生男子なら、女の子から迫られたらドキッとしてくれるかもしれないじゃん。


「私、悠太の記憶に残れるならなんだってするって決めたんだもん」

「まぁ、止めはしないけど。さすがに人目のあるところでやるのはやめなよ?」

「さすがにそれはわかってるよっ!」


 いくら記憶に残りたいといっても、公開色仕掛けは色んな意味でダメだってことはわかる。腹を括ったとはいえさすがに恥ずかしすぎるし。悠太以外には誰にも見られたくないし。


 そんなわけで、月曜日は一日中悠太を見張っていた。一人きりになるその瞬間を探っていたのだ。薫ちゃんには休み時間にストーカーだと冷めた目で言われたけど、気にしたら負け。


 そしてついにチャンスがやってきた。放課後、最後まで教室に残って本を読んでいた悠太の、背後から攻めたのだ。


「森藤、くんっ!」

「えっ、なっ、夏野、さん……!?」


 攻めたと言っても、後ろから抱きついただけです。椅子に座る悠太の首に、腕を回して。


 だ、抱きついた、だけ。


 う、うわぁぁぁぁ! 今! 私! 悠太に抱きついちゃってるよぉぉぉ!? 近いっ! うひゃああっ!!


 ああ、ダメダメ! こんなことくらいで動揺してどうするの。これからもっと過激なことをするつもりなのに。

 過激と言ってもここは学校だし、いつ人が来るかわからな場所だからそんなに大それたことは出来ないけど。


 でも、私にとってはこうしてバックハグをするのだけでも十分過激である。

 演技だ。余裕のある女を演じるのよ、陽菜っ!


「……私、森藤くんが好き。だから、ずーっと、こうしたかったの」

「え、ちょ、待っ……」


 私はソッと身体を離し、悠太の顔を覗き込んで右手で彼の頬に触れた。

 わぁ、男の子なのに肌が綺麗ー……ってそうじゃない。あー、緊張で心臓が破裂しそう。でも、言っていることは本当だ。そこに嘘はない。


「ね、ドキドキ、しない……? 私は、してるよ?」


 これも本当。いい加減、羞恥心で死ぬかもしれないと思うくらいには。

 余裕のある女になれているかな? 悠太は、ドキドキしてくれているかな?


 そのまま、私は悠太の顔を引き寄せる。


 ドクンドクンと鳴る心臓の音が本当にうるさい。まるで、時間がここだけゆっくりになってしまったみたいな、不思議な感覚があった。


 思わず、悠太の唇に視線が向いてしまう。

 そのままゆっくり、私は顔を近付けて……。


「ごっ、ごめんっ!!」

「ひゃっ」


 悠太は顔を真っ赤にして私を押しのけ、教室から走り去ってしまった。


 そうして誰もいなくなった教室で、私はただポツンと床に座り込んでいる。押しのけられたからじゃない。力が抜けてしまったんだ。


 ショック、ではない。不思議と。むしろ安心している自分に気が付いた。

 あのまま、もし悠太がされるがままでいたらどうなってたかな? ……ま、どうもなっていないけど。

 だって私は、冗談だよって唇が触れる前に身体を離すつもりでいたんだから。


 色仕掛けで迫ることはどうにか出来る。抱きつくことも、頬に触れることも戸惑いなく出来た。だけど。


「……ファーストキスは、ずーっと覚えていてほしいじゃん」


 それだけは、来週になって忘れられたら立ち直れないと思ったから。それに、思いも通じ合っていないのにするのは、やっぱり嫌だった。


「あーあ。今週は失敗かもしれないなぁ……」


 色仕掛けは、悠太の攻略には向かない。考えなくてもわかることだったのに、ちょっと暴走したな、私。

 けど、悠太に触れられたから……よしってことにしよう。めげないよ、私は。


 まだドキドキと鳴る心臓の音を感じながら、私はゆっくりと立ち上がる。面白いくらいに足が震えていた。


「慣れないことは、するもんじゃないね」


 カバンを肩にかけ、のろのろと教室を出る。悠太はもう、駅に着いたかな? さすがに鉢合わせは気まずいし。


 というか、どんな顔して明日会えばいいんだろう。同じクラスだから逃げ場なんてないのに。

 そう考えると、やっちまったかなーと思って大きなため息を何度も吐く羽目になった。


 ※


「あの、夏野、さん」

「え」


 翌日、さすがに反省した私は大人しく一日を過ごしていた。もちろん、今週も悠太と恋人になりたいという野望は捨ててない。でもさすがに昨日の今日で元気が出なかったというか、なんというか。


 だから、昼休みに悠太から話しかけられて、すごくビックリした。きっと今週はずっと避けられるだろうなって思っていたから。


「ゆっ、森藤くん、あ、あの。昨日はごめんなさいっ」


 思わず、素で謝ってしまった。昨日演技した余裕のある女はどこにいったのか。

 でもそんなこと構っていられなかった。とにかく、驚かせたことを謝らなきゃなって思ったら口に出ていたんだ。


「えっ! あ、えっと、いや。その。押しのけちゃって、こっちこそ、ごめん。ケガとか、してない?」


 ううっ!! 優しいよぉ! その優しさが余計に罪悪感を増していくぅ!

 無駄に大きな身振り手振りで全然平気! と強がってしまった。ああ、もう。恥ずかしすぎる。


「あ、あのね。昨日、すごくビックリしたんだけど、気になることがあったから。なんで突然? って思ったのもあって、それで」


 悠太は顔を赤くしながらも、何かを一生懸命伝えようとしてくれた。

 気になること……? 首を傾げていると、悠太は小さな声でモゴモゴと話し始める。


「ずっと、どこかで見たことがあるって思ってたんだ。君のこと、というか、その、それを……」


 悠太はそう言いながら、私の机にかけられたバッグを指差した。正確には、キーホルダーを。

 そう、あの入学式の雨の日に一緒になって探してくれた、イチゴを抱えたウサギの安っぽいキーホルダーだ。


「あの時の子、だよね?」


 息が、止まる。覚えていて、くれたんだ……。


 な、泣かない! 泣かないからね!


「……そうだよ。覚えていてくれたの? 嬉しいな」

「そりゃあ、ね。だってあの時に応急処置で付けたヘアゴムを使ったままだったから、その……気になって。あ、新しいチェーンとかに替えなかったの?」


 ああ、これね。そんなの、替えられるわけないじゃない。これは私の大切な思い出なんだから。


「あの時からだよ」

「え?」

「あの時、私は君に恋をしたの。だからこれは、このままなんだよ」


 恥ずかしい気持ちはちょっとあったけど、このことを悠太に告げるのに緊張はしなかった。びっくりするくらいスルッと言葉が出てきた。


 たぶん、それを聞いた悠太の方が戸惑っているよね。目を白黒させているし、顔が赤くなってるもん。


「え、で、でも、あんな……」

「ふふっ、それだけで? って思った?」

「うっ、うん」


 正直者だなぁ。でもその気持ちはよくわかるよ。私だって自分でそう思ったもん。


「キッカケなんてさ、そんなもんなんだと思う。一目惚れ、というのとは少しだけ違うかな。確かにあの時初めて会ったわけだけど、私は君の外見に惚れたんじゃなくて、あの時の言動に惚れたんだよ」

「え……」


 私の言葉に、悠太が何か思うところがあったのか驚いたように目を丸くしていた。ちょっと気になったけど、そのまま話を続ける。


「でもね? 恋の始まりはそういう些細なキッカケでもさ、私はあの時から今まで、ずーっと森藤くんへの『好き』を育ててきたわけです」

「そ、そう、だったんだ……」


 照れた顔の悠太もかわいいなぁ。そんなに初心なのに、私ったらあんなことしちゃったんだよね。


 たとえこれが、悠太の記憶に強く残って、症状が改善されたとしても素直に喜べないや。大反省。ちゃんと謝らなきゃだよね。


「私、昨日はちょっと無理して迫っちゃった。本当にごめんね。けど、気持ちだけは本気なんだ。それを、知っててほしいな」


 今週は、もう無理して恋人になろうなんてしないでおこう。でも、好きの気持ちは伝えておきたい。


 そうだよ、別に恋人にならなきゃいけないってわけじゃないんだもん。ただ、悠太の記憶に残りたいだけ。それなら、関係性は変わらなくてもいいんだ。


 ……いや、ちょっと嘘。そりゃあ、恋が実ったら嬉しいにきまってるもん。


 でも、目的を間違えたらダメだった。私が一番したいことは、私の気持ちを、存在を、悠太に覚えていてもらいたいということなんだから。


「ううん、ビックリはしたけど……大丈夫。謝らなくていいよ」


 やっぱり優しいなぁ……。そう思って感動していると、悠太はふいにクスッと笑った。え、笑った?

 不思議に思って首を傾げると、悠太は謝りながら口を開く。


「さっきの、夏野さんの言葉」

「え?」

「あ、えっと。『キッカケなんてそんなもんだ』って。恒太も言ってたなって今、思い出して」


 コウタ? それは、誰のことだろう? というか、なんだか悠太がどことなくぼんやりしているような気がする。何かを思い出しているような。


「ああ、そうだ。僕、恒太と喧嘩したんだったな……あれ、結局どうなったんだっけ」


 コウタと喧嘩。え、こんなに優しい悠太が誰かと喧嘩するだなんて想像もつかないんだけど。

 たとえば嫌なことがあっても、悠太なら言い返すより無視しそうだし、仲が良い相手だったら仕方ないな、と流していそうだもん。


 しかも、まだ仲直りしていないかのような口ぶりだ。すごく珍しい。


「あ、あの」


 あまりにもぼんやりしているから不安になって、思わず声をかけた。

 すると、緩慢な動きで顔を上げた悠太がこちらに目を向けて申し訳なさそうに笑う。


「あ、ごめん。なんでもない」


 とてもなんでもないという様子には見えなかったんだけど……。でも、なんとなく迂闊に踏み込めない気がして、私もそれ以上は何も聞くことは出来なかった。


 ※


「恒太と喧嘩した、って? 悠太がそう言ったの?」


 それでも、気になるものは気になる。本人に聞けないなら、昔から親しいという友人に聞けばいい。


 そう思った私は翌日、薫ちゃんに頼んでミネリョーくんと話す時間を作ってもらった。


 ミネリョーくんはやっぱりコウタという人を知っているらしく、さらに悠太が喧嘩したと聞いてとても驚いているようだった。やっぱりそうだよね? 悠太が喧嘩なんて意外すぎるよね?


「それ、いつ聞いたの?」

「昨日だけど……ね、コウタって誰? ミネリョーくんは知ってるんだよね?」


 薫ちゃんは知ってる? と聞くと、知らないと首を横に振られたことから、たぶん同じ高校じゃないよね。

 というか、ミネリョーくんの様子もおかしくない? 言い淀んでるっていうか……その人と何かあったのかな?


 ひたすら答えを待っていると、ようやくミネリョーくんはゆっくりと口を開いた。


「恒太は……悠太の双子の弟だよ」

「えっ、ふ、双子!?」


 それは初耳だ。そっか、悠太って双子だったんだ……。曰く、高校から進学先が別々になったそう。サッカーのスポーツ推薦だったんだって。すごい。


 その恒太くんと悠太、そしてミネリョーくんは小学生の頃から仲が良かったらしく、いつも三人で遊んでいたという。幼馴染ってヤツだね。


「それで、恒太は……」


 ミネリョーくんはやっぱり深刻な顔をしている。なんだろう、嫌な予感がしてきた。だって、この雰囲気は絶対に良くない話だもん。

 それに、ミネリョーくんの顔色が悪い。あれ、これって聞いちゃいけない話だったりするのかな。


「あ、あの。言い難い話だったら無理に言わなくてもいいんだよ……? なんか、ごめんね?」

「いや、そろそろ聞いておいた方がいいと思うから。陽菜ちゃんはさ、今後も悠太を諦める気はないんでしょ? それなら余計に知っておいた方がいい」


 無理はしないでほしかったから口を挟んだんだけど、ミネリョーくんは覚悟を決めたように顔を上げた。


 でも、それがなんだか怖かった。聞くのが怖い。けど、確かに私は悠太を諦める気はない。それなら、ちゃんと聞いておかなきゃ。


 一緒にいてくれた薫ちゃんと目を合わせてから頷くと、背筋を伸ばして真っ直ぐミネリョーくんに視線を戻す。


「……恒太はさ、この前の夏休みが始まった頃かな。事故で死んでるんだ」


 だけど、その情報は私にとんでもない衝撃を与えた。


 ミネリョーくんは、日を改めて自分の知っていることを最初から話すよ、と告げる。


 彼は、珍しく今にも泣きそうな顔をしていたから、私はただ黙って首を縦に振ることしか出来なかった。

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