9月26日


 朝、改札を出るころ制服のポケットに入れていたスマホがなぜか振動し始めた。誰かからの連絡かな? と思ったけれど、このバイブレーションパターンはアラームだ。


 スマホを取り出し、画面を確認する。時刻は午前七時五十分、か。他には何も・・・・・書かれていない・・・・・・・

 不思議に思いながらも右手で定期入れを持ち、左手でアラームを切りながら改札を出る。


「なんでこの時間にセットしてあるんだろう……」


 口の中でブツブツ呟きながら首を傾げる。単純に操作をミスったか、恒太のイタズラかな。たぶん後者。

 あいつはよくこういうくだらないことをするんだ。僕がよくスマホを放ったらかしにするからなんだけどさ。


 ……別に大きな問題ってわけでもないから気にしなくてもいいか。


 それよりも、朝晩の風が爽やかになってきたとはいえ陽射しがまだ夏を主張しているな。特に駅から学校までの道は日陰があまりないから本当に暑い。いい加減にもっと涼しくなってほしいものだ。


 一歩、駅構内から外に出た時、何の気なしに近くの柱に目を向けた。別にそこに何かがあるわけでも、誰かがいるわけでもない。なんとなく気になって目を向けてしまっただけだ。そういうことって、あると思う。


 似たようなことは今朝もあった。朝食の途中で食べるのを止めて、なぜか母さんがいつものように洗濯物を干しているのをぼんやりと眺めていたんだよな。


 なんとなく、意味もなくぼんやりと。

 うん、やっぱりよくあることだ。


 おかげで危うく出かける時間を過ぎるところだった。

 別にもし乗り遅れても通勤、通学の時間帯はすぐに次の電車が来るんだけどさ。この時間の電車に乗ると、程よく朝の読書タイムが取れるから選んでいるだけで。


「よう、悠太」

「ん? あ、ミネリョー。この時間に会うなんて珍しいね」

「あー、今日はなんか早く目が覚めたから。二本早いのに乗れた」


 つまり、今日はミネリョーと同じ電車に乗っていたのか。気付かなかったな。いつもは授業が始まる五分前とかに来るから、まさか同じ電車に乗っているとも思ってなかったし当然か。


 そんなギリギリの時間なんて、僕には無理だな。余裕をもってないと落ち着かない。

 けどミネリョーは遅れたら遅れた時、って感じで余裕の態度なんだよね。性格だよなぁ。昔からそういう大胆というか、ザックリした部分が恒太と気が合うんだよな。


「なぁ、悠太。……昨日は何して過ごした?」

「……何、急に」

「何って。ただの雑談だろ、雑談」


 ミネリョーが気怠げに前を見たまま聞いてくる。いや、だって普段はそんなこと聞くようなタイプじゃないじゃん。


 まぁいい。えっと、昨日か。


 確か電車でショッピングモールに行ったんだよな。でも正直、今にして思えば何をしに行ったんだろう、って。

 何か買う予定もなかったはずだし、実際に何も買わなかった。ちょっとお昼を食べただけだ。


 わざわざ電車で移動までしてすることでもないよなぁ。基本は引きこもるタイプの僕が珍しいことをした。


「そうなるのか……」

「? 何が?」

「いや。本当は何か買う予定だったけど、どうせ電車で本でも読んでる内に目的忘れたんじゃね? 悠太のことだし」


 うっ、否定は出来ない。それで、せっかくここまで来たんだからなんか食って帰ろうってなったのかも。

 えー、そうなると買うものを思い出したらまた出かけることになるのか? それは面倒だな……。


 っていうかやばくないか? どんだけ忘れっぽいんだよ。まだ若いのに。


「そういえば、恒太も出かけたっぽいんだよな、昨日」

「……え?」


 僕が思い出したように言うと、ミネリョーは驚いたように目を見開いてこちらを見た。

 え、そんなに驚くこと? むしろ僕が出かけたってことの方が驚く話題じゃないか? 僕と違って恒太はあちこちに出かけるタイプだし。


「なんでそう思ったんだよ」

「え、だって。今朝は母さんが恒太の服を干してたから。昨日着ていったんだろうなーって」

「……なんだ、そういうことか」


 なんか、今日のミネリョーは少し変だな? 僕の話に妙な反応を見せてくる。

 まぁ、今日も暑いしな。それにミネリョーはいつもより早起きだからまだ頭が回っていないのかもしれない。


「悠太、お前さ。恒太は……」

「ん、何? もしかしてまた二人で悪だくみ? やめてよ?」


 この二人は昔からいつも僕に悪戯をしかけてくるんだ。昔はよく騙されたものだけど、今や慣れたもので事前に察せるようになってきている。


 っていうか、こいつらは互いの口から互いの名前が出てきた時点で危険信号だからな!

 本当にくだらないイタズラとか嘘ばっかり吐くんだよ、この二人は!


 今までで一番シャレにならないイタズラは、小学生の時に恒太が事故に遭ったって嘘を吐かれた時だ。あの時は本当に心臓が止まるかと思った。


 恒太は僕にとって唯一の双子の弟なんだから。あんなヤツだけど、かえがえのない存在だし。


 だから急に背後から恒太が現れて「嘘でーす!」って出てきた時は、驚くよりも怒るよりも大泣きしたっけ。

 今思い出すとちょっと恥ずかしいけどさ、あの時は本当に安心したんだ。嘘で良かったって。


 そんなことがあったものだから、この二人もさすがに反省したのか、やっていいイタズラ、ついていい嘘をちゃんと弁えるようにはなったけど……イタズラはやっぱりやめてもらいたい。普通に驚くから。


「あー……んー。やっぱなんでもない」

「なんだよ、途中で止めて。怪しいなー、本当にやめろよ?」

「なんでもないって。あー、今日もまだ暑いなー」


 どうも嘘っぽいんだよなぁ。ミネリョーは真顔で冗談を言うタイプだからつい勘繰ってしまう。

 はぁ、何があっても驚かないようにしようっと。


 二人でダラダラと歩いていると、突然フッ、と背後から風を感じた。誰かがものすごい勢いで僕の真横を駆け抜けていったのだ。


「あ、危な……」

「おー、ちょっとビックリしたけど、あれって……」


 もう少しで僕とぶつかるところだった。走って行った人影を咄嗟に目で追う。


 同じ学校の生徒のようだ。しかも女子。黒髪をサラリと靡かせて去って行くその後ろ姿を見て、僕は小さくため息を吐いた。見覚えがあるぞ、あの子。


「たぶん、夏野さんだよ。僕と同じクラスの。何か急ぎの用事でもあったのかな」

「……急ぎの用、ねぇ」


 だって、彼女が意味もなく危険なことをするとは思えないから。

 夏野さんは学校で少し噂になるくらいの美少女で、明るくて性格も良い。とにかく人気者なのだ。実際にすごくいい人だという印象は僕にもある。去年も同じクラスだったからね。特に接点はなかったけれど。


 間違いなく何か理由があって急いでいたのだろう。ぶつかったわけでもないし、それで文句を言うつもりもない。


 ただ、何を急いでいたのかはちょっと気になる。あんな姿、見たことがないから。

 けど、結局は名前を知っているだけのただのクラスメイト。気にはなっても直接聞く勇気はない。僕は社交的ではないし……。


 ────しかし僕はこの数十分後、思わぬ状況で彼女が急いでいた理由を知ることになる。


 校門を通ってしばらくした時だ。校舎に向かって歩いていると、急に頭上から大きな声で僕の名を呼ぶ声が降ってきたのだ。


「森藤くーーーん! 森藤、悠太くーーーん!!」


 それはもうすっごくビックリして、すぐに声が降ってきた方を見上げた。


 太陽が眩しいから手で光を遮りながら声の主を探す。今のは女子の声だと思うけど……。僕に用のある女子生徒なんてこの学校にいたっけ?


 と、とにかく、早く見つけないと! だってこの声、ずっと僕の名前をフルネームで呼び続けているんだもん! たぶんこれは僕が見つけるまで呼び続ける気だ! 何の嫌がらせっ!?


 眩しい中、ミネリョーも一緒になって探してくれたおかげですぐに声の主を見付けた。

 三階の真ん中あたりにある窓からひょっこり顔を覗かせ、大きく手を振っている女子がいる。あの場所って僕のクラス、か? それにあの子は……!


「えっ、な、夏野さん!?」


 さっき、僕の真横をものすごい勢いで駆け抜けていった子だ。綺麗な黒髪をサラリと揺らし、とてもいい笑顔で僕を見下ろしながら手を振っている。

 手すりがあるので窓から落ちる心配がないのはわかっているけど、身を乗り出しているように見えるからすごくヒヤヒヤする!


「森藤悠太くん! そのまま聞いてくださーーーい!」

「え、何? 何が始まるの……?」


 僕が彼女を見つけたことに気付いた夏野さんは、相変わらずの大きな声でそう叫んだ。

 登校中の生徒たちが何ごとかと注目してくるので居た堪れない……! 僕はこうして注目を集めるのが苦手なんだけどっ!?


 一人慌てる僕に向かって、夏野さんは少しの間を置いてからこれまでで一番ビックリすることを叫んだ。


「森藤悠太くん! 私、夏野陽菜はぁ……貴方のことが好きですっ! 私をっ! 彼女にしてくださーーーいっ!!」

「ひ、え……」

「ひゅう、大胆」


 隣にいたミネリョーの呟きがヤケに耳に残る。


 え、待って。今、なんて言ったの? いや、聞こえてた。けど。

 周囲にいた人たちが一斉にどよめき、女子生徒たちのきゃぁきゃぁという甲高い声が聞こえてくる。


 い、今、僕は告白された、のか? あの夏野さんに? 美少女で、明るくて、人気者の彼女に?


 ブワッと鳥肌が立って、顔に熱が集まっていく。す、すごく熱いけどこれは日差しのせいなんかじゃない!


「え、ええ……っ!?」


 声にもならない声が出た。っていうか、この状況をどうしたらいいんだ? みんながどう返事をするのかって僕を見てくるんだけど……?

 や、やめてくれ……ちょ、ミネリョーも面白がって口笛なんか吹くんじゃない!


 くっ、この場に留まるのは注目の的だし、かといって教室に向かうのも同じこと。いや、そもそも教室に行かない選択肢はないんだけど! 授業始まっちゃうし!


「返事は、後で聞かせてくださーーーい! 以上っ!!」


 夏野さんは最後にそう言い捨てて、教室の中に引っ込んだようだった。おかげでこの場で答えずにすんだのは良かったけど……そもそも答えを持ち合わせてないっていうか、未だに状況が把握出来ていないんだが!?


「な、なんなの……っていうか、なんで僕? 罰ゲームか何か?」

「えー、罰ゲームであそこまでする? そこまでしたらそれ、ただのいじめじゃん」


 た、確かに。でも、ミネリョーと恒太のイタズラのせいでまずそっちの思考になるのは仕方がないことだ。それにそう考えるのが一番しっくりくるし。


 だって、そうでもないと僕が美少女に告白される理由がない。

 けど、もし本当だったら気持ちを踏みにじることになるし……いや、勘違いするな、僕。


「……はぁ。そんな思考になるのは俺も責任を感じるけどさぁ。でもあれは本気だと思うけどね。不安に思うなら直接聞いてみれば?」

「や、やっぱそれしかない、よなぁ……」


 夏野さんに聞いてみる、かぁ。えぇ、まずどうやって声をかければいいんだよ……。女子に、しかも人気者の美少女に自分から声をかけるなんてどんな苦行?


 はぁぁぁ、月曜日から気が重い。


 この日、僕は人生で最大の驚きを味わったと思う。本気だったとしても罰ゲームだったとしても、たぶん今日のことは一生忘れられないと思う。


 僕は周囲からの注目を集めながら、重い足取りで階段を上るのだった。

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