9月25日


 柄にもなく、僕は朝から緊張していた。いつも通りの時間に起きて、身支度を済ませたはずなのに、出かける予定時刻よりもずっと早くに準備が整ってしまった。

 遅れるよりはいいけど、ものすごく張り切っているみたいでちょっと恥ずかしい。


「待たせるよりは、いいよな」


 結果、かなり早い時間ではあったけど、僕は家を出ることにした。

 服装については色々迷ったけど、恒太に借りたのは上に羽織るシャツだけにした。下はジーンズにスニーカー。シンプルではあるけどだらしなくはないし、ちゃんとした服装になっていると思う。


 陽菜がかわいいのは確定事項なので、僕はその引き立て役になればいいのだ。


 ちなみに、散々悩んだ行先については陽菜からの提案でショッピングに決まった。特に買い物をしなくても見て回るだけで楽しいから、だそう。

 正直なところ僕にその楽しさはわからないんだけど、金銭面的にもその提案は助かるのですぐ賛成した。それに……。


『のんびりしていた方が、たくさん話が出来るもん』


 こんなことを言われてしまったらもう何も言えないじゃないか。

 けど、僕としても陽菜のことを知るためにたくさん話をした方がいいと思っているから……。うん、きっとそういう意味で言ったんだよ。僕と話すのが嬉しいとか、そんな自惚れた考えはどこかへ追いやらないと。

 はぁ、勘違い野郎だな、僕。つくづくちょろいヤツだと自分でも思う。


 待ち合わせはショッピングモールの最寄り駅だ。大きな駅で、一度乗り換えて三つ先にある。

 陽菜とはその乗り換えの駅で待ち合わせても良かったんだけど、待ち合わせに適した場所がないので現地の駅に集合ということになっている。


 早く家を出過ぎたせいで待ち合わせの場所には三十分以上も早く着いてしまった。人を待たせるよりは待つ方が気が楽なタチなので問題はないけど……さすがに早すぎたかな。

 トートバッグから本を取り出し、柱に寄りかかって読みながら待つことにした。


「ふふっ、悠太ったらいつでも本を読んでいるんだね?」

「ん、え、わっ! ひ、陽菜……!」


 どれほどの時間が経過しただろうか。慌てて時計を見ると時刻は待ち合わせの十五分前。どうやら読書に夢中になっていたらしく、陽菜が声をかけるまで全然気付かなかった。


「二、三分はここで悠太を見つめていたんだよ?」


 陽菜は僕の顔を下から覗き込むようにしてニヤリと笑う。うっ、かわいい。って、そうじゃない。


「う、うそ。気付かなかったよ、ごめん」

「ううん、いいの。このままいつ気付くか待っていても良かったんだけどね? でも、我慢出来なくて声かけちゃった」


 悪戯っぽく笑う陽菜は本当に気にしていないように見える。そう見えるだけで本当は早く気付いてもらいたかったかもしれないよな。反省しよう。今後は待ち合わせ中に読書するのはやめておこう。


「来た瞬間に声をかけてくれれば良かったのに……」


 本をしまいながらそう言うと、陽菜はスッと目を逸らしてわずかに頬を染めた。それから口を軽く尖らせてポツリと呟く。


「だって。真剣に本を読んでる悠太の顔、好きなんだもん……」


 こ、れは。どう反応すれば!?


 じわじわと顔が熱くなっていくのを感じる。予想外の言葉に何も言えなくなってしまった。


 っていうか、今日の陽菜はいつもと印象が全然違うよね? 私服だもんな、そりゃそうか。髪型も少し違っているみたいだし、お洒落してきてくれたのかな。


 ……す、すごくかわいくないか? 袖口がヒラヒラしたブラウスとか膝丈のスカートとか、清楚な感じでさ。

 明るくて元気な子だから、もっとこう、スポーティーな服装を想像していたんだけど。それもそれですごく似合いそうなんだけど、こういう女の子っぽい格好が想像以上に……。


「……似合ってる」

「え?」


 しまった! 口に出てた!! い、いや、いいのか。こういう時って女の子の格好を褒めるものなんだよな? よし。

 僕は一度咳ばらいをしてから少しだけ目線を逸らして改めて口を開いた。


「その、今日の格好。服も、髪型も、すごく似合ってるなって……」

「……っ!」


 チラッと陽菜の方に目を向けてみると、顔を真っ赤にして俯いている姿が見えた。

 やばい。僕ら、周囲からどう見られているんだろう。お互いに向かい合ってはいるものの目は逸らして顔を赤くしてさ。うわ、恥ずかし。


「ゆ、悠太にそんなこと言われるなんて予想外だったよ! デートで会ってすぐ褒めるなんて、百点満点だよっ」


 陽菜も沈黙に耐えられなかったのか、いつも以上に明るい声でそう言った。まだ顔が赤いけど、今日もいい天気だし暑いからだよな。そういうことにしておこう、うん。


「ありがと。すっごく、嬉しい」

「う、うん」


 それでいて、素直にそうやってお礼を言うところが良い子だなって思う。その時、僕は気付いたんだ。


 たぶん、僕はちゃんと陽菜のことを好きになりかけているんだって。


 結局、まだよくはわからないよ? 陽菜が毎日好きと言ってくれるから、単純な僕が絆されているだけなのかもしれない。これも言い訳なのかもしれないけどさ。

 でも、もう少し何か確信のようなものが欲しかった。だって伝えるなら、自信を持って伝えたいじゃないか。


「じゃ、行こっか!」

「うん」


 まだほんのりと赤い顔をした陽菜の笑顔を見て、これからもゆっくりと彼女を好きになっていけたらいいなって思った。

 そしていつか、僕からも気持ちを伝えたい。だからもう少し、自分の気持ちに自信を持てるまで待っていてもらいたい。


 待たせすぎるのは良くないとは思うけど、そこだけは絶対に嘘のないようにしたいから。


 ※


「楽しい時間って、なんでこんなにあっという間なんだろう……」


 帰りの電車の窓から陽の暮れかけた空を見て、陽菜が寂し気に呟いた。

 最近はちょっと暗くなるのも早くなってきたから余計にそう感じる。ほんの少し前までこの時間はまだすごく明るかったのに。


「また、出掛ければいいじゃない? これで最後ってわけじゃないんだからさ」


 だから陽菜の気持ちは僕だってわかる。まだ一緒にいたいなって僕も思うわけだし。

 とはいえ、ここでしんみりしたまま帰るのは良くない気がして、僕は前向きな答えを返した。次があると思えば、楽しみだって増えるかなーって。


 きっと明るい陽菜も、そうだねって笑うんじゃないかって思った。

 だけど今日の陽菜はいつもとは違った。僕の提案を聞いてもいつもの笑顔を見せてはくれず、表情が曇ったままだ。


「……そう、だね。けど、人生って何が起こるかわからないでしょ? だから、いつでも全力で楽しみたいの。これが最後でも大丈夫なように」


 それに、こんなネガティブなことを言うなんて。


 すごく珍しい姿を見ている気がする。こんな一面もあったんだと思いはするけど、同時にすごく心配だ。


「あの、陽……」

「ね! 明日も朝一緒に学校に行ってくれる?」


 俯いて黙り込む姿が本当に小さく見えて、思わず名前を呼びかけた時、陽菜はパッと顔を上げた。その顔はいつも通りの明るい笑顔で、少しホッとする。


 でもどことなく、空元気のような気がするんだけど……声をかけたのを遮られた気がするし、触れられたくないのかな?


 そう思って、僕はまず質問に答えることにした。


「それは、もちろん」


 それ以外に答えなんかない。陽菜は僕の答えを聞いて嬉しそうに両手を合わせた。いつも通り、だよ、な?


「ねぇ。明日はさ、悠太が待っててくれない? 私がいつも待ってる柱のところで」


 明日、陽菜は一本後の電車に乗るという。そうすると、僕が駅で二分ほど待つことになるとか。

 そのくらいはもちろん構わないけど、なんで突然? そう聞くとたまにはお待たせって言ってみたいとのこと。女の子の考えることはわからない。


「今日も言えたんじゃない?」

「言えなかったからリベンジするの!」


 まぁ、別にいいけどさ。本当に陽菜はいつも面白いことを思いつくなぁ。

 ワガママとも言えない小さなおねだりが、なんだか心地好い。いくらでも聞いてあげたくなる。


「……忘れないでね?」


 隣に座る陽菜が、目だけで僕を見てくる。この角度が絶妙で本当にかわいい。うっ、と少し言葉を詰まらせた後、僕は慌てて前を向いて答えた。


「さすがにたった一日で忘れたりしないよ」


 僕をなんだと思っているのか。でもそうやって確認してくるのも妙に愛おしい。ああ、ダメだな、これ。


 僕、完全に陽菜に落ちてるじゃん。


「本当かなぁ……。ねぇ、ちょっとスマホ貸して?」


 今日の内に伝えるべきか否か。心の中で悶々としている間に、陽菜がスッと手を差し出してきたので条件反射的にスマホを手渡した。

 まぁ、見られて困るようなものはないからいいんだけど、個人情報の詰まった大事なものなんだからもう少し考えような、僕。


 あっ、日記! スマホのカレンダーにメモしている簡単な日記は見られたくないかも!

 書いてない日も多いけど、最近は毎日書いていたから。だって、こんな刺激的な出来事を書かないわけがない。


 ヒヤヒヤしながら陽菜の手元を見る僕。なんだこの、やましいことがバレないか見ている彼氏みたいな図。


 だけど僕の心配は杞憂だった。慣れた手つきで操作する陽菜が出した画面は、まったく関係のないものだったから。


「アラーム?」

「そう。ちょうど悠太がいつも乗る電車が駅に着く、一分後にセットしたよ。だから、改札を出たくらいに鳴るかな?」


 ほら、と陽菜が見せてくれたアラームの画面。そこには『陽菜が来るのを待つ』と記されていた。


 そ、そんなに信用ない!? ちゃんと忘れずに待っていることくらい出来るんだけど!


「ここまでしなくても……」

「いーの! 自己満足なの! 消しちゃダメだよ?」

「自己満足、ねぇ……」


 まぁ、そのくらいで陽菜が納得するなら構わないけどね。さっきも思ったけど、僕は陽菜の小さなおねだりがなんだか嬉しくもあるんだから。


 そうこうしている内に、乗り換えの駅に到着した。二人で並んで電車を降りる。

 ここで陽菜とはお別れだ。ここからは逆方向の電車だからね。


 陽菜と別れる場所に着くまでに、僕は悩んだ。すごーく悩んだ。何って、気持ちを伝えるかどうか、だ。


 だって、急すぎないか? って思って。あと、心の準備が整わない。いくじなし? その通りだ。


「……じゃあ、気を付けて。また、明日ね」


 だから結局、そんなことくらいしか言えなかった。次! 次のデートの時に言おう! 絶対だ!


「うん。……あ、ちょっと待って、悠太」


 そのまま立ち去りかけた陽菜だったけど、すぐに振り返って僕の服の裾をひっぱった。

 それから少し背伸びをして、僕の耳に口を寄せる。


「……大好きだよ、悠太。これからもずっと。何があっても」


 囁くように告げられたその言葉は、脳内で何度もめぐる。その間に陽菜はじゃあね、と小走りでホームに向かってしまった。


 僕はこんなにも意気地なしなのに、陽菜は今日もこうして気持ちを伝えてくれるのか。ああ、不甲斐ない。


 前言撤回だ。明日になったら言う。ちゃんと伝えるんだ。


 電話やメールじゃなくて、直接会って、顔を見ながら。


「……僕も陽菜のこと、好きだよ」


 すでに遠く離れてしまった陽菜を見ながら口の中で告げる。これは予行練習だ。


 明日は月曜日。朝、陽菜と会った瞬間に伝えよう。


 ────


『今日も、陽菜は僕に「好き」をくれた。明日は絶対に伝える。だけど、帰り際の陽菜は物憂げな雰囲気が漂っていてこっちまで切なくなるほどだった。なんだろう。何か不安なことでもあるのだろうか?』

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