9月22日
翌日、僕はかなり緊張していた。
だって、人生で初めての彼女が出来たのだ。そう意識した途端、これまで陽菜とどんなふうに接していたのかがわからなくなったのである。
ミネリョーはきっと、そんな僕を見てかわいいものでも見るように笑うんだろうな。アイツは人を見下すようなことはしないけど、初々しいねぇ、とからかいはする。絶対する。簡単に想像が出来た。
いつも通りの時間に駅に到着した僕は、定期をかざして改札を出る。自然と目はここ数日、陽菜が待っていた柱の陰に向いていた。
そして予想通り、柱の影からヒョコッと陽菜が顔を出す。キョロキョロと誰かを探すように顔を動かし、そして僕と目が合った。
その瞬間パァッと顔を輝かせたのを見て、僕の心臓はドキンと大きく音を立てた。
や、やばっ……! だって、僕を見付けたからそんな顔をしてくれたんでしょ? 主人を見付けた犬みたい。かわいい。
「おはよー、悠太!」
「お、おはよう、陽菜」
嬉しそうに駆け寄ってくる姿なんか本当に犬みたいでめちゃくちゃかわいい。犬と一緒だなんて言ったら怒るかもしれないけど。
おかしいな? 昨日までも大体こんな感じだったのに、今日は特にかわいく見える。やっぱり、彼女だから?
そんな馬鹿なって思うけどさ、まさか「彼女」というたったそれだけの肩書のようなものがここまで大きく影響を与えるなんて。僕もただの高校生男子ってことか。
「ねぇ、悠太。今日はさ、放課後デートしよ?」
「えっ、で、デート?」
声が裏返った。そんな僕の反応を見て、陽菜は楽しそうにクスクス笑う。くっ、なんで陽菜はこんなに余裕なんだよ。昨日みたいに顔を真っ赤にする基準がわからないっ!
僕がムッとしながら口を尖らせていると、ごめんごめん、と陽菜が後ろ手に顔を覗き込んできた。
「だってさ、悠太はまだ私を好きになってくれたわけじゃないんでしょ? お付き合いするって決まりはしたけど……それって、関係性としてはここ数日と特に変わらないよね?」
そ、それはそうだけど。そんな風に少し切なげにされると、僕がものすごく酷い男みたいだ。もちろん、陽菜はそんなこと考えてはいないと思うけど。
陽菜は戸惑う僕の前に回り込み、今度はいつもの屈託のない笑顔を見せる。本当にこの子はコロコロと表情が変わるなぁ。
「だから! ちょっと恋人っぽいことをしたいなーと思って。だ、ダメかな?」
そして、ほんのりと頬を赤く染めた。思わず心臓のあたりのシャツをグシャッと握る。
いやいや、落ち着け。陽菜がかわいいのは最初からだ。余裕ぶって見せているのも、本当は緊張しているのを誤魔化すためなのかもって昨日気付いただろ、僕。
ここまで頑張ってくれている彼女を前にして、黙り込むのは一番やっちゃいけないやつだと思う!
僕は小さく深呼吸を繰り返し、返事を口にした。
「それは、いいけど。でも僕、デートってどこに行って何をすればいいかわかんないよ? ……誰かと付き合うのなんて、陽菜が初めてだし」
うわー、馬鹿。僕の口、いい加減にしろ。何を馬鹿正直に言っちゃってるんだよ! 何をすればいいかわかんないとか! 誰かと付き合うのが初めてとか!
いや、そんなことわかってたかもしれないけどさ。……どうしよう、引かれたかも。
「ご、ごめん。言わなくていいことまで言った気がする……」
けど、取り繕うとかカッコつけるとか、そういうのもやったことがないから僕には無理だ。結局、馬鹿正直に言うことしか出来ない。カッコ悪……!
でも、陽菜は僕を馬鹿にすることはなかった。笑うことも。ただ隣に立って、目だけで僕を見上げて。
「それは私も、ですよ?」
恥ずかしそうにそう言った。
そ、そっか。え、そうなの? こんなにかわいい陽菜でも、誰かと付き合うのは初めてって、こと……?
「そう、なんだ……」
「そうなのです……」
微妙な沈黙が流れる。気恥ずかしくて、お互い顔を逸らしながら無言で歩く。
しばらくして、陽菜が再び明るい声で話しかけてくれた。
「でも、大丈夫。今日は私に任せて! 彼氏持ちの友達に、放課後デートはどこに行くのか聞いてあるから」
なんと、すでに調査済みということか。何から何まで引っ張ってもらって申し訳ないな、という思いはあるけど、少し楽しみな気持ちもある。
「わかった。じゃあ……楽しみにしてる」
「! うん! 期待しててね!」
素直に思っていたことを告げると、陽菜は嬉しそうに顔をほころばせて両拳を握った。
※
その日の授業は正直、上の空だったと思う。先生に指されなくて良かったと心から安堵した。
荷物をまとめて席を立つ。すると、同じように帰り支度を済ませた陽菜が両手でカバンを持ちながら駆け寄ってきた。もうその表情からワクワクしています、というのが駄々洩れだ。ここまでわかりやすいと僕も嬉しくなる。
「じゃあ早速! 放課後デートに行こー!」
「お、おー……?」
「ちょっとー、ノリが悪いぞ、悠太っ」
テンションが高いな? とてもじゃないけど同じようなテンションにはなれない。それでも、ぐいぐいと腕を引っ張る陽菜はとても楽しそうだ。
僕はあまりわかりやすくはしゃげるタイプではないけれど……でも、ワクワクはする。陽菜の隣を歩きながら質問を口にした。
「それで、どこに行くのかは教えてもらえるのかな?」
僕がそう問いかけると、陽菜は振り返ってにやぁっと笑った。悪戯でも思いついたかのような笑い方だ。思わず身構える。
「今知りたい? 言ってからのお楽しみでもいいんだよぉ?」
この顔は恐らく、お楽しみにしたいんだろうな。けど、僕としては先に知っておきたい。心構えとか、したいじゃないか。
でも楽しそうなところに水を差すことになりそうだし……。言うべきかどうか悩んでいると、陽菜がふふっと小さく笑った。
「悠太は、先に聞きたい派だもんね?」
「えっ、なんで……」
考えが読まれた。しかも、確信しているかのような口ぶりに驚く。
「知ってるのかって? えへへ、なんででしょー?」
含み笑いが怪しい。僕が読まれやすいのか、陽菜の察しが良いのか。たぶんどっちかだと思うけど。
陽菜はそうやって、僕をからかう癖があるからな。悪意がないから別に構わないけど、どこで判断しているのかは気になるところだ。
「冗談はさておき。これから行くのはズバリ! カラオケでーす!」
陽菜はそれ以上、この話をひっぱることはなかった。いつまでもからかい続けることがないところも、陽菜の良いところだと思う。
……いや、ちょっと待って。今どこって言った?
「か、カラオケ!? 僕、カラオケなんて初めてだよ」
「そう? 友達と行ったりしないの?」
「しないよ。誘われたことはあるけど、興味がなかったから」
そもそも、歌を人前で歌うというのがものすごく苦手だ。合唱なら他の人の声に紛れ込めるからいいけど、自分の歌声だけをマイクを通して披露するなんて考えただけでやばい。緊張で声も出せない気がする。
「ふふっ、じゃあこれも初めてなんだぁ」
そんな僕の心情なんて知る由もないのだろう、陽菜は小さく呟いた。
ま、まぁ確かに初めてだけど。どことなく嬉しそうな陽菜の反応に首を傾げる。
「悠太の初めてを、たっくさん私が奪っちゃってるってことか。えへへ、彼女の特権ですね?」
「っ!?」
言い方っ!! 上目遣いっ!!
一気に体温が上がる。僕は何も言えずにただ顔を赤くしているだけの情けない男になっていた。
「安心してよ。私も二人きりでのカラオケは、悠太が初めてだからさ」
そ、そうだよな。別に変な意味で言ったわけじゃ、ないよな? 僕がちょっと勘違いして勝手に慌てているだけだ。平常心、平常心。
「……私も初めてがいっぱいだから。彼氏の悠太にはー、色んな陽菜の初めてをあげるからね?」
いや、嘘だ。これは絶対にわざとだろ! また僕をからかって……いや、そんな恥ずかしそうに見上げないでもらえます? 本気なのか冗談なのかマジでわからない。
っていうかこれ、なんて返すのが正解なわけ? 神様、ミネリョー様、どうか僕に知恵をお授けください。
「……ねぇ、今やらしいこと考えた?」
「かっ!? か、考えてないっ!!」
「えー、怪しいなぁ?」
やっぱりからかわれただけなのかも。パタパタと手で顔を煽ぐ。はー、今日も暑いな。
九月も後半に差し掛かるというのに相変わらず強い日差しが降り注ぐ中、ニコニコと嬉しそうに微笑む陽菜を半眼で見下ろしながら僕らは放課後デートとやらに繰り出した。
カラオケの感想は……まぁ、だいぶ恥ずかしかったとだけ。僕はやっぱり歌が下手だっていうのを思い知らされたというか。
陽菜が歌う姿や声はかわいかったけど……。でも、もうカラオケはいいかなっていうのが正直な感想だ。
陽菜が言うには、放課後デートで行ってみたい場所は他にもまだまだあるらしい。毎日は難しいけど、出来るだけ付き合ってあげたいと思う。
それに僕としても、学校の帰りに彼女と出かけるというのは貴重で得難い体験だと思ったから。
あ、いや。素直になろう。
今日は僕も、とても楽しかった。誘ってくれた陽菜には感謝だ。何か僕も、考えるべきかな? 考えるべきだろうなぁ。うーむ、悩ましい。
────
『今度の休みにどこかに行こうと誘ったら、陽菜は喜んでくれるだろうか。ちょっと調べてみようと思う』
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