9月21日


 今日は曇天。陽が出ていない分、昨日よりはいくらかマシかもしれない。

 とはいえ雨が降りそうなじめっとした空気があるから、不快指数は高めだ。もうそろそろ涼しい秋が来てくれてもいいんじゃないかと思う。

 その前に台風が来る季節かもしれないな。電車が遅延する可能性もあるので勘弁してもらいたい。


「あ、おはよう! 悠太!」

「お、おはよう……」


 改札口を出ると、眩しい笑顔の陽菜が小走りで近付いてくる。朝からこんな美少女に挨拶をされて嬉しくないわけはないが、彼女も飽きないなぁというのが本音だ。


 ホント、なんでこんな僕なんかに構うのだろうか。


「傘、持ってきた?」

「そりゃあ、持ってきたよ。いつ降り出してもおかしくないし」

「なぁんだ。じゃあ私は、忘れて来たらよかったな。そうしたら帰りに雨が降った時、入れてもらえたかもしれないもん」


 今日も今日とて平気でそういうことを言う。ニヒヒと屈託なく笑う彼女を見ていたら、昨日の赤面はなんだったのと思ってしまう。

 それを話題に出すこともなく、いつも通りに振舞う陽菜の真意が本当に読めない。


 結局今日も僕は、ただご機嫌に他愛のない話を続ける陽菜の声を聞きながら教室までの道を歩いた。


 ※


 雨が降り出したため、今日の体育の授業は体育館で行われた。女子とスペースを半分ずつ使用するので、試合に参加しない空き時間が出てくる。

 正直、このジメジメとした暑さの中でバスケの試合なんてしたくはないのですごく助かる。


 ぼーっとしながら壁際で座っていると、同じように隣に座るミネリョーが話しかけてきた。


「なー、悠太。お前、夏野さんともう付き合い始めたのか?」


 ミネリョーは本名、みねりょうといい、僕とは小学校からの付き合いだ。

 肩のあたりまで伸ばした髪を鬱陶しそうにかき上げるミネリョーは、見た目のチャラさとは裏腹になかなか真面目なヤツで、しっかり者だ。まだ小学生低学年の弟妹がいるからか、世話焼きでもある。同じ長男でも僕とは全然違う。


「えっ、いや、付き合ってないけど……」


 今日になるまでずっとその話題に触れてこなかったから、てっきり興味がないと思ってたのに。いきなりそんな質問をされたから驚いて声が裏返ってしまった。

 だというのに、ミネリョーは相変わらずバスケの試合から目も逸らさずにふぅん、と答える。……やっぱり興味がないんじゃないか。


「なんで? あの子、かわいいじゃん」

「かっ、わいいけど」

「あは、かわいいとは思ってるんだ?」

「そりゃ、そうだろ……」


 それとこれとは話が別、じゃないか? 陽菜がどこまで本気なのかわかんないっていうか、からかわれてるんじゃないかなって疑う気持ちもまだあるし……。真剣なんだとしたらほんと、申し訳ないんだけどさ。


 いや、これは言い訳だ。……わかってるんだよ。本当は、怖いんだ。信じるのが。


「断る理由があんの? 他に好きな人がいるとか」

「いないし……」

「じゃあ付き合ってみればいいじゃん。何? 好きにならないと付き合えないとかそういうポリシーでもあんの」


 そんなものはない。誰かと付き合ったことなんて経験がまずないから、何もかもがわからないだけだ。要するにビビっているんだ、僕は。

 まさか自分の人生で誰かに告白されるなんてイベントが起こるなんて思わなかったんだよ。


「自信、ないし……」

「いや、声ちっさ」

「でも、だって、僕だよ? あんなに明るくて人気者なのに、僕が並んだら陽菜がかわいそうじゃん!」

「自己評価ひっく」


 僕の言い訳を軽い一言でサクサク切っていくミネリョーは、首の後ろでまとめていた髪を軽くまとめながら当たり前のようにスッと手を差し出してきた。

 僕ももう慣れたもので、腕に付けていた自分では使うことのないヘアゴムをその手に乗せる。ったく、自分で用意しろよ、いい加減。


「恋は落ちるものって聞くけどさ、俺は落ちたことないよ」

「え、でもお前、今の彼女とは……」


 ミネリョーは見ての通りイケメンだし、運動神経も良く、気だるげな雰囲気もあって実はかなり人気がある。

 小学生の頃から何度も女子に告白されていて、中学二年生の時に初めての彼女が出来たって報告を聞いた覚えがある。


 それからは、別れては他の子と付き合って、というのを何度か繰り返していたけど、去年の夏前に付き合い始めた彼女とはもう一年以上続いている。

 ミネリョーは今の彼女のことを本当に好きなんだなって見ていてわかるし、彼女を見る目がこれまでとは全然違った。


 だから、きっと今回は初めて本気で好きになったんだろうなって思ったんだけど。まぁ、彼女なんていたことのない僕の想像だから当てにはならないだろうが。


「うん、向こうから告ってきたよ。その時は別に好きじゃなかったけど、タイプだったから付き合ってみたってだけ。いつも通りね」


 モテ男は言うこともやることも違う。とても想像のつかない世界だ。

 でも、今回の彼女はすぐに別れることはなかった。付き合っていく内に、どんどん惹かれていったそうだ。


「知らねぇの? 恋は落ちるのかもしれないけど、愛は育めるんだよ。今は俺、彼女のこと愛してるし」

「あ、愛っ……そ、そっか」


 大層な話を聞いてしまってなんとも気恥ずかしい。よくもサラッとそんなことが言えるなぁ、と尊敬してしまう。


「ビビッと来て、運命の相手だーって盛り上がるのもいいかもしんないけどさ。お前なんか特に、そうやって愛を育む方が性に合ってる気がするけどな。それでも愛せそうにないなら、その時考えれば? あれこれ考えすぎなんだよ、悠太は」


 確かに自分が急に誰かのことを好きだ好きだと言う姿は想像も出来ない。もしかしたらあるのかもしれないけど、じっくりと仲を深めていく方が自分らしい気がした。うん、納得はした、けど。


 その時は相談に乗ってやるよ、とにんまり笑ったミネリョーは、ムカつくくらいイケメンでちょっと腹が立った。


 ※


「悠太、今日も好きだよ」


 昨日と同じように放課後を図書室で過ごした僕は、これまた昨日と同じように一緒に図書室までついてきた陽菜からまた告白をされていた。


 何度言われても慣れない。ミネリョーのように笑顔で「ありがとー」とか軽く言えればいいのに、たぶん今回も顔が赤くなっているだろう。


「ふむ。今日も返事はなし、かぁ」


 陽菜は諦めたようにため息を吐くと、そのまま机に突っ伏した。う、罪悪感があるな……。


 このまま、ズルズルとこんな関係を続けていても良くない気がする。付き合う気がないならハッキリと迷惑だと告げた方が陽菜のためだ。

 そんなこと最初からわかっていたのに、連絡先は交換するし、夜になるとDMでやり取りはするし、名前で呼び合うようになったし、登下校は二人きりだし。


 ……うわ、僕って最低の男じゃないか? 完全に流されている。


 それもこれも、僕の中に「あわよくば」という思いがあるからだ。

 仕方がないだろ? 陽菜はかわいいし、こんな彼女がいたらいいなって思うよ。僕だって年頃の男なんだから。


 僕はどうしたいのだろうか。

 答えは、決まっている。


「じゃ、じゃあ、さ。……僕と、付き合う?」


 こんなにも親しくしてくれる陽菜に対して、誠実でありたいってことだ。


「……えっ!?」

「いや、待って! 付き合うって言ってもさ、その……ごめん。僕は正直、まだ陽菜のことが好きかどうかはわからないんだ」


 ガバッと身体を起こして驚愕の眼差しで僕を見た陽菜に、慌てて付け加える。な、なんかこういう後出しは余計に酷い男のように感じるけど!

 でも、嘘は吐きたくないていうか! やっぱり、僕はミネリョーのように器用には生きられない。


「だから、それが不誠実だと感じるなら、今のうちにやめておいた方がいいと思う。でも、もしそれでもいいって言うなら……きちんと向き合いたいと思ってる。友達が言ってたんだ。愛は育めるって」


 あ、最後の一言は言わなくても良かったかも。言ってしまった後で後悔した。これ、めちゃくちゃ恥ずかしいな!? なんだよ、愛は育めるって! 伝道師かよ!


「誠実だよ」


 僕が一人、頭を抱えそうになっていると、陽菜がポツリと呟いた。


 驚いて視線を上げると、陽菜はとても柔らかな微笑みを浮かべている。いつもの明るい笑顔とはまた少し違って、思わず見惚れてしまった。


「君は、悠太は、とっても誠実だよ! っていうか、それならたぶん今の状態とあんまり変わらないよね」


 えへへ、とはにかんで笑う陽菜もまた、とてもかわいい。確かに、その通りではあるかもしれない。けど!


「僕が君を意識するようになった。ここが決定的に違うと、思う!」


 やっぱり、この意識は大きく異なる。彼氏彼女未満から、彼氏彼女へ。

 だって、僕はこれからちゃんと陽菜のことを考えようと思うし、彼女になるというのなら関わり方も少しずつ変えていくべきだと考えているから。


「ほんと、真面目で正直。そういうとこ、やっぱり好きだなぁ……」


 さっき聞いた「好き」とはまた違って聞こえるその「好き」は、これまでで一番僕の心臓を大きく鳴らす。

 そんな、しみじみ言うなんてズルい。それに、真っ直ぐだ。


「……で、出来ればそういうことを言うのは、もう少しだけ控えてもらって」

「やだ。悠太が飽きるほど言うんだもんねー」


 なんだか、やっぱり僕だけ慌ててないか? 陽菜から感じる余裕はなんなんだろう。そして昨日の赤面は? 幻だった?


「……じゃあ、今日から私は悠太の彼女、でいい?」


 いや、幻なんかじゃなかった。陽菜は持っていた本で口元を隠し、真っ赤になった顔で聞いてきたから。


 ────ああ、かわいいな。


 もしかしたら、余裕ぶっている姿や僕をからかうような言動は、陽菜の照れ隠しだったのかもしれない。


「うん。今日から僕は、陽菜の……彼氏だ。よろしくね?」


 そう思ったら少し冷静になれたし、優しくなれた。好きになる努力をしたいと心から思う。その気持ちが、ちゃんと伝わればいいけど。


 陽菜は再び机に突っ伏し、消え入りそうな声で「よろしくお願いします」と答えてくれた。


 今日は記念日だ。忘れないように、家に帰ったらこっそりスマホの日記に残しておこう。


 ────


『人生で初めての彼女が出来た。彼女はとても明るくてかわいいので、少しでも釣り合う男になれるよう努力はしたいと思う。ミネリョーの言うように、いつか本当に彼女への気持ちが愛へと育つのだろうか』

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