9月20日


 最近の九月は真夏だ。九月も後半だというのに、昨日と同じくらい陽が照りつけていて、暑さにうんざりする。

 そんな中、改札を出たところで陽射しよりも眩しい笑顔を浮かべた夏野さんが僕に向かって手を振った。


 そう。昨日の夜、明日は改札で待っているから一緒に学校に行こうって約束をしたのだ。DMが送られてきた時は焦ったけど、ちゃんと返事もした。「わかった」っていう、たった一言だったけど。


「暑い中で待っているの、大変じゃない?」

「そうでもないよ。この時間の電車は本数も多いし。でも、一本遅くしたら悠太を待たせちゃうし? 優しい私は自分が待つことにしたのです」


 両手を後ろに回して僕の顔を覗き込むようにそう言った夏野さんはやっぱりかわいい。この暑さなんて感じていないのかなってくらい爽やかで涼しげだ。

 でも、よくみたら首筋にツゥッと汗が流れているのが見えて、なんというか、こう、ちょっとドキッとした。慌てて目を逸らす僕。


「ねぇ、悠太。今日もお昼一緒に食べよう? それと、放課後も一緒に帰りたいな」


 そんな僕に、夏野さんは相変わらず楽しそうに声をかけてくる。う、グイグイ来るなぁ。でも今日はちゃんと言わないと。


「お、お昼はいいけど、帰りはちょっと……」


 決意したものの、ごにょごにょとハッキリとしない物言いになってしまう。こういうところが僕だよね。家族や、昔からの友達以外と話す時はどうしてもこうなってしまうのだ。いわゆる、人見知りというヤツ。


 だから、人が離れていくんだよね。でも、無理して話すのはしんどいし、これで夏野さんも嫌気がさしてくれたらこの奇妙な付きまといは終わるだろうからいいのだ。


 ……いや、ちょっとだけ惜しい気持ちはある。これでも健康な高校生男子だから。


 だけど、夏野さんはそんなこと何も気にしていないように軽い調子で言った。


「あ、わかった。図書室に行きたいんでしょ」

「な、なんでそれを」


 迷うことなく言い当てられて動揺する。いや、でもよく考えたら僕はいつも本を読んでいたし、予想は簡単だったかもしれない。


「それなら問題なーし。私も図書室に行くし」

「え、夏野さんって本読むの?」


 彼女はいつも明るくて、運動も得意だったはず。体育会系の夏野さんが読書をするイメージがなかったものだからついそんなことを聞いてしまった。けど、普通に考えて失礼な質問だったかも。


 そう思った時にはすでに遅い。だってもう言ってしまったのだから。


 案の定、夏野さんキッとこちらを睨みつけた。


「陽、菜!」

「あ、そっち……?」


 けど、怒っている理由は僕が彼女を名前で呼ばないことだったらしい。プクッと頬を膨らませてこちらを睨む夏野さんはちっとも怖くなかったけど、下手なことは言えない雰囲気は感じる。


「陽菜、さん」

「陽菜」

「ひ、陽菜……」


 さん付けも許してもらえないようなので、観念して名前を呼ぶと、ようやく夏野さん……陽菜は嬉しそうに笑った。

 たぶん、今までだって本気で怒っていたわけではないだろうけど、やっぱり彼女には笑顔が似合う。ちょっとホッとした。


「質問の答えだけど、私これでも結構それなりに本を読むんだよ?」

「そうなんだ?」


 そうだよー、と朗らかに笑いながら陽菜は最近読んでいる本のタイトルを上げていく。え、嘘、待って。


「それ、僕が先週から読んでるやつだ」

「すっごい偶然! と、言いたいところだけど。実は悠太が読んでるのを見て、気になって読み始めたんだよね」


 僕が読んでいたから? そのかわいらしい理由に照れ臭くなって顔が熱くなる。でも、今読んでいる物語を誰かと共有出来るのは素直に嬉しかった。

 僕は思わず一歩、彼女に近付く。


「この題材を取り上げた作品って結構あるんだけど……他にも読んだことある?」

「……記憶喪失モノ、だよね。実は本で読むのは初めてなんだ。映画を見たことはあるんだけど」

「そっか。いや、結末も色々あるからどんなラストが好みかなって思って。全てが丸く収まるエンドもあれば、結局記憶は戻らずに切ないエンドになるものも多くて……実話を元にした作品もあるから、だいたい感動系ではあるんだけど」


 記憶喪失モノは昔から結構人気のある題材だと思う。僕もよく選んで買ってしまうし。

 そのどれもが切なくて、完全に解決するものが少なかったりするんだよね。それはそれで余韻に浸ったりその後の未来を想像出来て好きだけど……僕としてはハッピーエンドが好きだから、読後感が幸せな作品を読みたいと思っている。


 そこまで話し続けてハッとなる。やばい、つい早口で語ってしまった。気付いた時にはもう遅い。

 うわぁ、変人だと思われたよね、これ。これまでほとんど話さなかったのに急にめちゃくちゃ喋るとか、絶対に引かれた。いや、引いてもらった方がこの関係も終わるだろうからいいのかもしれないけど。


 ……やっぱり、ちょっとだけ惜しい。


「ふふっ、やっとたくさん喋ってくれた」


 引いて、ない……? え、もしかして陽菜って相当な変わり者だったりする? いや、変わり者だからこそ僕みたいなヤツと関わろうとしてるのかも。


 でもまぁ、本の内容について延々と語られたって面白くはないだろう。さすがに自重しよう。


「ごめん、ベラベラ喋っちゃって」

「何言ってるの? 昨日からはずーっと私の方が喋り続けてたじゃん。それで、悠太は黙って聞いていてくれたでしょ? 生返事じゃないのもわかってたよ」


 そ、そりゃあ女の子が自分に向かって話しかけてくれているのに、内容を聞いていないのは失礼かと思うのは普通じゃないか?


「慣れたら、右から左になっていくかも」

「おー。それじゃあひとまずそこが目標かな。話を聞かなくなったら、悠太が私に慣れてきたってことだね!」

「そこ、喜ぶとこじゃなくない……?」


 やっぱり少しずれてる気がするんだよな。いや、そうじゃない。底抜けに明るいんだ。ひたすら前向きなんだ、陽菜は。

 僕なんか、すぐに人の言動で落ち込んだりするような暗いヤツだから羨ましい限りだ。


 つい呆れたように歩調も緩くなってしまったので、前を歩く陽菜の背中を見つめる。

 歩くたびにサラリと揺れる艶やかな黒髪が妙に印象に残った。


 それから陽菜は宣言通り、昼休みと放課後に僕の下へ来た。昨日は休み時間ごとにやってきたけれど、今日はこの二回だけ。なんでも、昨日は読書の邪魔をしちゃったから、だそう。律儀な子だ。


 昼休みは陽菜が僕に話題を振ってくれた。昨日のようにひたすら話しかけてくるのとは違って、ちゃんと会話をしたような気がする。

 それもこれも、内容が小説のことだったからだ。それも、朝の時のように僕が勝手に喋りまくったのとも違う。これでも反省しているからね。


「私、文字がビッシリある本は苦手でなかなか読めないんだ。見てると眠くなってきちゃって。一文を理解するのにすごく時間がかかるっていうか」


 陽菜のような人は結構いると思う。でも、最近は軽い読み口のライトノベルもあるからそっちから慣れていけばいいんじゃないかな? と提案してみた。

 そうして文字を追うことに慣れたら、重厚な作品も読めるようになるかもしれないし、読書の楽しさも倍増する。


 そんなアドバイスをすると、せっかくだから最近読んだ高カロリーな作品の内容を僕に教えてほしいと言ってくれたのだ。

 そうなると、プレゼンにも力が入る。僕の話を聞いて興味が出てくれるのなら、それはとても嬉しいことだから。


 おかげで、陽菜との会話はすごく楽しい時間となった。彼女は、会話を続ける天才だと思った。


 ※


 放課後、僕が図書室に向かうのを見付けて陽菜が駆け寄ってきた。自分も借りる本を探すという。あれだけ本に興味を持ってくれたのだから、僕としても追い返す理由はない。


 それに、ちょっと一緒にいると楽しいと思ってしまったんだ。我ながら単純すぎると思うけど。

 っていうか、これだけかわいい女の子に好かれて嫌な気になるわけがないでしょ。


 図書室についてからは、僕も陽菜もそれぞれ自由に行動した。僕は借りていた本を返してから次に借りる本を選び、少し読んでから帰るのが日課となっている。

 もちろん、毎日じゃない。週に二、三日程度はそうしているというだけの話。図書室は静かで居心地もいいし、部活が終わる時間より少し前に帰れば電車も空いているからちょうどいいんだ。


 特に今の時期は、まだ暑い時に外へ出るより少し陽が落ちてからの方がいい。


 僕が本を読むために席に着くと、数分後には陽菜が僕の前の席に座った。そのことに一瞬ドキッとしたけど、陽菜は少し微笑んだだけですぐに本に視線を落とした。どうやら邪魔をするつもりはないらしい。


 僕らは黙々と読書を続けた。


 ……なんだろう、不思議な気分だ。一人で読んでいる時よりも緊張感があって、集中できないかとも思ったんだけどそんなこともない。むしろ、なんだか心地好いとさえ思える。


 そうしてどれほどの時間が過ぎただろう。ふと目線を上げると、陽菜がこちらを見つめていることに気付いた。

 頬杖をついているから、もしかしたらしばらく見ていたのかもしれない。集中しすぎて気付かなかったけど、これはちょっと、いや、だいぶ恥ずかしい。


 慌てて目線を下げると、陽菜が小さな声で呟く。


「……好きだよ」

「っ!?」


 それはあまりにも不意打ちの告白で。

 たぶん数秒ほど僕の心臓は止まったと思う。


 それから掠れた声でどうして、と声を出した。もはや声にもなっていなかったかもしれないけど、陽菜はちゃんと聞き取ってくれたようだ。


「今日は言ってなかったなー、と思って」


 今日は、って。まさか毎日言う気じゃ……。そんな僕の心情を汲み取ったのか、陽菜は無邪気に笑いながら続ける。


「飽きるほど言うつもりだよ? ちゃんと気持ちが届くように。いつかこの本気が伝わるように」


 もはや、恥ずかしすぎて陽菜の顔を見られなかった。僕は必死で本に書かれた文字を読もうと努力する。……全く内容が頭に入ってこない。


「物好き過ぎない……?」

「そんなことないよ。たとえそうだとしても、そんなの私の自由でしょ?」


 こっちは心臓が口から出そうなくらいだというのに、随分と余裕な態度だ。


「それに、毎日言っておけば『あの告白はもう無効かな?』なーんて思われなくて済むじゃない。うやむやにされないためにも、毎日告白するんだから」


 ちょっとだけ考えていたことを見透かされた気分だ。なんて鋭いのだろう。


 覚悟しておいてよね、と陽菜が茶化す様に言うものだから、やっぱりからかっているだけなのかな、って思ってしまう。

 ただ、僕だってやられっぱなしではいられない。そっちがそのつもりならこっちだって。


「じゃあさ、本を読むようになったのも、実は僕を知りたかったからだったりして……?」


 けど、結局は尻すぼみになってしまうところが僕である。ちょっと調子に乗ってしまったかも、と早くも後悔でいっぱいだ。

 きっとこれまで通りの明るさで軽く笑って流すか、その通りだよとさらにからかってくるかもしれない。


 そう覚悟を決めていたんだけど、いつまでたっても返事がない。


 やばい、これは本当にやらかしたか? そう思って恐る恐る目線だけを上げると、顔を赤くして俯く陽菜が目に入った。


 ん? 顔が、赤い……? え、もしかして、照れてるの? 


 呆然としたまま陽菜の顔を見ていたら、その視線に気付いたのか陽菜が慌てて両手で顔を隠した。


「み、見ない、で……」

「え、ご、ごめん……?」


 予想もしていなかった陽菜の意外な姿に、もう読書どころではなくなってしまった。


────


『まさか陽菜があんな顔をするなんて。今もつい思い出してはつられて赤くなってしまう。あれは本当にズルいと思う。正直、すごくかわいかったし、もう一度見たい』

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