森藤悠太の一週間

9月19日


 制服のポケットに入れていたスマホが振動している。

 一瞬、誰かからの連絡かと思ったけれど、このバイブレーションパターンはアラームだ。


 スマホを取り出し、画面を確認する。時刻は午前七時五十分、か。

 右手で定期入れを持ち、左手でアラームを切りながら学校の最寄駅の改札を出た。


「なんでこの時間にセットしたんだっけ……覚えがないなぁ」


 口の中でブツブツ呟きながら首を傾げる。単純に操作をミスったか、弟がいたずらしたか、かな。


 まぁ、些細なことだし気にしなくてもいい。相変わらず夏の暑さが残る駅構外の景色を見て、僕はうんざりしながら日向へ一歩足を踏み出した。


 ああ、今年も残暑が厳しい。




 教室内に入ると冷房が低めの設定でかけられており、少しだけホッと息を吐いた。いつも通り席についてすぐ、カバンから本を取り出す。


 友達がいないわけじゃないんだけど、僕はみんなでワイワイ過ごすよりもこうして静かに読書をするのが好きだ。

 読むジャンルは決まっていない。文学やSF、ミステリーも読むし、ライトノベルも読む。


 人と感想を言い合うという機会がないわけじゃないけど、僕はあんまり進んではしないタイプだ。そもそも人と関わるのも苦手で、昔からの知り合い以外は必要最低限しか話さない。

 いわゆる陰キャってやつなんだろうな、僕は。いや、話しかけられれば普通に話せるし。


 クラスのみんなはいつも僕がこうして一人で本を読んでいるのを見ているからか、邪魔してくるようなこともない。突っかかってくるような厄介な人もいないので、とても助かる。この学校の生徒はみんないい人たちばかりだ。


 だけど、この日は違った。邪魔が入ったのだ。


 いや、普通に声をかけられる分には邪魔ってことはないんだけど。問題はその言動にあったんだ。


「おはよう。ちょっといい?」


 同じクラスの夏野さんが、読んでいた本をスッと取り上げたのである。突然のことに驚いて、目を丸くしてしまう。


「……いいけど。本、返してくれない?」

「もちろん返すよ。けど、まずこっちを見てほしかったから」


 ごめんね、と舌を出して笑う夏野さんは、その、すごくかわいい。

 彼女はクラスでも、いや学校中でも「かわいい女の子」として噂されるほどの美少女だ。きっと、夏野さんに恋をしている人は多くいると思う。


 そりゃあ僕だってかわいいなって思うけど、さすがに突然こんなことをされたら嬉しいとは思わない。

 怒るってほどではないけど、ちょっと警戒はする。普通に話しかけてくれれば、ちゃんと本も置いて相手を見るくらいはするのに。


「それで、何か用かな? 夏野さん」


 まぁ、文句を言う気もないけどね。こんなことくらいで事を荒立てたくないし。それよりも、さっさと用件を聞く方がいい。


 僕がそう声をかけると、夏野さんは一瞬だけキュッと眉根を寄せた。だけどそれは本当に瞬きの間だったから、もしかしたら気のせいだったかもしれない。


 彼女はにっこり笑って、僕の机に両手を置いて体重をかける。自然と顔が近付いて、驚いた僕は椅子の背もたれに寄りかかる姿勢となった。


「告白したいと思って。私、森藤くんのことが好きなの。私と付き合ってください!」

「……」


 ザワッと教室内が騒めく。


 ああ。これは、いわゆる罰ゲームなんだな。

 最初に思ったのはこれだった。


 だってそうでもなきゃ、こんな人目の多い教室内で夏野さんが僕なんかに告白するわけがない。


 あーあ。せっかくこの学校には妙な真似をするような厄介な人はいないと思っていたのに。表立って見えなかっただけで存在はするんだな、と落胆してしまう。


「一応言っておくけど。これ、別に罰ゲームとかではないからね?」

「えっ」


 どう対処をするのがいいか悩み始めた時、夏野さんが下から覗き込むように僕の顔を見た。まるで僕の考えを読んだかのようなタイミングの良さだ。


 っていうか、ちょ、これ以上は後ろに下がれないんだからあんまり近付かないで……!


 ……上目遣い、めちゃくちゃかわいい。


 って、そうじゃない。


「い、いや、でも。そうでもなきゃ、説明がつかない、し……」


 万が一、これが本気の告白だったとして。あの夏野さんが僕を好きになる理由なんかこれっぽっちも見当たらない。


 明るくて友達も多く、人から好かれやすいタイプの夏野さんが、休み時間も本ばかり読んで人と話しもしないような地味な僕を……好き、だなんて。


 くっ、そういったことに免疫がないからか、顔が熱い。赤くなっていたらすごく恥ずかしいぞ。


 そりゃあ、彼女とは一年の時から同じクラスではあった。何度か、一言二言の会話くらいはした。

 でもそれだって、必要最低限のものだったし、それ以外に接点もない。一目惚れ、もあり得ないだろ。だって僕、平凡顔だし。


 だから、そう簡単に信じられないのも仕方ないと思うんだ。


「理由が必要?」

「……ま、まぁ。正直、信じられなくて。その、ごめん」


 こんなことを言ったら気を悪くするかもしれない。そうは思ったけど、みんなが見ている場所で公開処刑のように告白された僕の気持ちもわかってほしい。


 でも、もしも。もしも本当に僕を好きだと思ってくれているなら申し訳ないなって思ったりして。

 い、いやいや。馬鹿だな、僕は。そんなこと、あり得ないのに。


「いいよ。じゃあ、しばらく一緒に過ごさせて? 本気だってこと、わかってもらうんだから!」

「えっ」

「とにかく! 気持ちは伝えたし、私は諦めないから!」


 夏野さんはそれだけを言うと本を僕の机に置き、またあとでね、と笑顔で自分の席に戻っていった。彼女の友達が背中を叩き、頑張ったねー、と声をかけている。


 え。まさか。まさか、ねぇ? ……どうしよ。


 それから夏野さんは休み時間ごとに僕の席まで来てお喋りをし始めた。内容は他愛のないものばかり。


 まだ暑い日が続くよね、水浴びしたい、夏休みはどこそこに遊びに行った、SNSにアップされてるこの猫がかわいいから写真を見て、などなど。

 一体どうしてこんなにも話題が尽きないのかと感心してしまうほどだ。


 ちなみに僕は、ひたすら相槌を打っているだけである。

 たぶん、普通に考えて僕と話していても楽しくはないと思うんだけど、夏野さんはとても楽しそうにずっとニコニコしていた。


「あ、そうだ。時々、連絡していいかな? 前に連絡先を交換したよね!」

「え、そうだったっけ」


 昼休み、当たり前のように近くの椅子を持ってきて、僕の机にお弁当を広げながら夏野さんが言う。


 連絡先なんて交換した覚えがないんだけど、夏野さんが言うには去年の文化祭で裏方の仕事をするみんなと交換したでしょ、と明るく笑う。

 んー、そうだったっけ? そうだったかも? もしかしたら、その時もこれといって連絡し合うことがなかったから覚えていないだけかもしれない。


 自分のスマホを取り出して確認してみると、確かに連絡先には「夏野陽菜」の名前があった。僕の記憶力なんてそんなものかと申し訳なくなる。


「ね、していい? っていうか、返事がなくても連絡しちゃうから」

「そ、それはいいけど……僕、本当に返事とか苦手だからあんまり返さないかもしれないよ? 夏野さんはそれでいいの?」

「それ!!」


 戸惑いつつ答えると、夏野さんは急にビシッと人差し指を向けて叫んだ。やっぱりちょっとくらい返事はした方がよかったのだろうか。


 しかし、夏野さんの口から出てきたのはそれとはまったく関係のないことだった。


「私のことは、陽菜って呼んで? それでー、私は君のこと、悠くんって呼ぶ!」

「えっ、ええ?」

「あ、やっぱり悠太くんがいい? それとも悠太って呼び捨てにしてほしい人?」


 あ、この子、あんまり人の話を聞かない子だ。そう悟るのに時間はかからなかった。


 僕は諦めてお弁当に集中し始めた。


 その後も、彼女はずっと楽しそうに話し続けた。内容は昨日の夕飯のこと。そんな些細なことでも楽しそうに話せるっていうのは、素直に感心する。

 しかも、話しながらちゃんとお弁当も食べ進めているのがすごい。


 そうして食べ終えた後、ほんの僅かに沈黙が流れた。ずっと喋ってくれていたからか、妙に気まずさを感じる。

 弁当箱を片付けることでその気まずさを誤魔化していると、彼女は穏やかな声色で口を開いた。


「ごめんね。私、ずーっと喋ってばっかりで。でもさ、信じてほしいから。君のことが好きって気持ち」


 急に真面目になるからビックリする。心臓がギュッとなって一気に緊張した。


「連絡の返事だって、返せる時だけでいいよ。でも、たまには一言でももらえたら……嬉しい、かな」


 あんなに明るく喋りまくっていたのに、突然しおらしくなるなんてズルい。……かわいい。よく見たら少し顔も赤くなってる。


 ……本当に、からかっているだけじゃない、のかな。本当に、僕のことを……?


「というわけで! また放課後ね! 駅まで一緒に帰ろうよ。部活とか、やってなかったよね?」

「え、やってないけど、僕はその」

「えへへ、楽しみ。約束だからね? 悠太!」

「呼び、捨て……!」

「ふふ。この呼び方をした時が一番照れていたからねっ!」


 夏野さんは手際よく弁当箱と椅子を片付けると、ご機嫌な様子で廊下に出て行った。


 ……照れてた、かな? 確かに、女子に呼び捨てで呼ばれるってことなかったから。なんだか手の上で転がされている気がする。


 それと、やっぱり人の話を聞かない子だった。放課後、図書室に寄るのはまた明日になりそうだ。


 なんだかんだで、彼女の頼みを断れない自分も良くないのかもしれない。でも、あれほどグイグイ来られたら僕みたいな地味系男子は流れに身を任せることしか出来ない。まぁ、言い訳だけど。


「待ってたんだ……?」

「そりゃあね。だって、約束したもん」


 掃除当番を終えて教室を出ると、入り口付近の壁に寄りかかって夏野さんがニコリと笑った。くぅ、やっぱりかわいい。

 約束は夏野さんからの一方的なものだった、ってことは言わないでおく。これだから僕は僕なのだ。


 結局、成り行きに任せて一緒に駅まで向かうことに。

 今日は一日、周囲の注目を浴び続けていた気がするけれど、気にしたらダメだ。誰もが話しかけたそうに僕のことを見ていたけど、それも気にしたらダメ。主に精神安定のために。


「こうして一緒に帰れるだけでも、私は嬉しいんだ」


 夏野さんは帰り道でもずーっと何かを喋っていたけれど、話が途切れた時、唐突にそんなことを言った。


「でも、出来れば悠太の彼女になりたいな」

「っ、夏野さん……」


 どうしてこんなに真っ直ぐ気持ちをぶつけられるんだろう。

 なぜ、今日だったのだろう。


 そして、本当に僕を好きだというのなら、それはなぜなのか。それこそが一番の謎だった。


「陽菜、だよ。夜に連絡するね! 明日は名前を呼んでほしいな。そしたら私、嬉しくて踊るかも!」


 気付けばいつの間にか駅に着いていて、夏野さんはそう言い残して改札を通っていく。どうやら、僕とは反対方向の電車に乗るみたいだ。

 カバンに付けられた可愛らしいウサギのキーホルダーが揺れていて、妙に目を引く。


 あれ、どこかで見た気がする。どこだったっけな……?


 いつまでも改札の前で立ち尽くす僕に、夏野さんはニコニコと手を振った。


────


『今日ほど驚いた日はないと思う。女の子に告白されるなんて、僕の人生においてもう二度とない事件だろう』

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