第18話 鬼娘

 昼食休憩後の一時半からシングルスの決勝戦だ。

 外は雨模様だ。

 決勝戦に出場する二人とも品川電気所属の全日本クラスだ。

 メガトンとクォーターがダブルスの決勝戦で対する相手でもある。

 一人は左利き、もう一人は右利きだ。

 左利きのプレーヤーと練習したことも試合したこともないクォーターは、どのような作戦が有効かと考えあぐねている。

 クォーターは対戦相手の二人の動きや癖を頭に刻みながら観戦している。

 目つきが鋭い。

 どうしたら食らいつけるかと作戦を練る。

 ──相手を上まわる私達の要素は若さだけみたい。いや、もう一つある。相手は、私達と初対戦だ。何の予備知識もないだろう。でも、それをどうやって使う。私が相手の立場なら、子供っぽくひ弱に見えるメガトン先輩を狙い撃ちにする。でも、先輩は前を攻められると弱いけれど、後方はしぶとい。なめてかかってきてくれれば、もしかすると勝負に持ち込めるかもしれない。

 メガトンは『この二人くらい強くなれたらいいのに』と、洗練された技がスピーディに繰り出される試合を感じ入ったように見入っている。

 こんな人達と対戦できるなんて幸福だわと、これから行われる試合をわくわくして待つ。

 山田は試合に興味を示さない。

 携帯電話でネットサーフィンだ。

 しかし、浜口は熱心に試合を見て感心している。

 ──さすがに社会人だ。ヒップラインが大人の豊麗さだ。そこらの大学生とは比べものにならない。

 浜口は、自分が美女に関心を持ってもらう存在ではないと僻んでいる。

 そして女性を手の届かない美術品のように愛でている。しかし、その審美眼は侮れない。

 ファイナルゲームにもつれ込んだシングルス決勝戦がやっと終わった。

 二人とも汗でびっしょりだ。

 メガトンは三時のダブルス決勝戦の開始が待ちきれない。

 うれしそうに大きな目をくりくりさせてストレッチに励んでいる。

 早く試合がしたくてうずうずしている。

 ウオームアップに専念するクォーターより、監督とキャプテンが興奮している。

 キャプテンが監督に話し仕掛ける。

「監督、うちの二人、勢いに乗っていますね」

 頷いた監督が答える。

「そう。まさに試合ごとに急速に成長している。それに運も味方している」

「確かに抽選運にも恵まれました。決勝戦の相手ペアと一回戦で会っていたら、あっと言う間にぼろ負けだったでしょうからね。それにしても、よくここまで来ました。びっくり仰天です」

 監督が悲観的に決勝戦の行方を予想する。

「もし相手ペアのどちらかが手首か足でも痛めたら、少しはいい勝負になるのだが……」

 キャプテンが監督の意見に同意する。

「残念ですけれど、実力があまりにも違い過ぎますね。でも、善戦を期待したいですね」

 山田はバドミントン競技の知識は皆無に等しい。

 二人の話声を耳にして静かに怒る。

 ──何をしでかすか予測不可能なのがメガトンだぞ。そんなに簡単に負けるものか。

 浜口はクォーター大活躍のお祝いの計画を練ってニヤニヤしている。

 ──お祝いには、さすがにメガトンは外せないな。だとしたら、本多先生と彩を呼んでもおかしくない。そうすれば、三大美女とテーブルが一緒になる。何としても実施しなきゃ。でも、どこでやろう。そうだ、本多先生の知恵を借りよう。

 浜口は、本多准教授の研究室のドアをノックする自分の姿を思い浮かべてもう興奮している。

 試合開始の定刻だ。

 対戦する四人がネットをはさんで集まる。

 黒縁の大きなメガネを掛けた色白のメガトンは、長身の日本人離れした肢体を持つクォーターと並ぶと、より小さく幼く見える。

 正面から見下ろすと童顔のうえ華奢な上半身のせいで中学生にしか見えない。

 相手ペアはメガトンを見て拍子抜けだ。

 ──この青白いひ弱そうな女の子、ガリ勉さんみたいね。バドミントンを舐めてはいけないわ。この青瓢箪を振り回してスタミナ切れにすれば、簡単に勝てるわ、きっと。どうしてこんなのが決勝戦に出てきたのかしら? 何かの間違いだわ。

 約一時間の休憩を取った相手ペアは、今度は楽に勝てそうだと高を括っている。

 浜口はメガトンとクォーターの後ろ姿を比べて唸る。

 ──メガトンもヒップだけは大人だ。それも飛び切り上等の大人だ。太もも素晴らしい。あれじゃあ、足が早いはずだ。

 主審が、

「ラブオール、プレー」

とコールする。

 試合開始だ。

 クォーターがシャトルを左手でつまみバックハンドのショートサーブの体勢に入る。

 相手レシーバーは左足を前にラケットを顔面に保持し低い姿勢でショートサービスラインぎりぎりに構える。

 クォーターのショートサーブが少しでも浮いたら、シャトルをコートに叩きつけようと両眼をギラギラと輝かせている。

 迫力満点の迎撃体勢だ。今にも前に飛び出しそうだ。

 だが、クォーターのショートサーブは甘くない。ネットを越した途端、シャトルは徐々に降下する。

 レシーブされたシャトルは低い軌道でメガトンのバックサイドを襲う。

 後ろに下がったメガトンは低い重心からラウンドザヘッドで強打を放つ。

 バックショットを予測していた相手はフォアから打たれた早いシャトルの動きにたじたじだ。

 滞空時間の長いハイクリアを返し体勢を整える時間を稼ぐ。何とか危機を脱する。

 しかし、メガトンはスマッシュを二人横に並んだコート中央に連発する。

 七発目のレシーブがついに浮き上がる。

 それをネット際で守るクォーターが難なくプッシュして決める。

 山田と浜口が大きな拍手を送る。

 幸先の良いスタートだ。

 コートを挟んで激しい一進一退の攻防が続く。

 試合が進みメガトン最初のサーブが始まった。

 ショートサーブが苦手なメガトンは、打ち合わせ通り、ロングサーブをサイドラインとロングサービスラインの交点を狙ってフォアハンドから高々と打ち上げる。

 ダブルスはショートサーブが原則だ。

 ロングサーブはショートサーブを待ち受けるレシーバーを低い弾道で奇襲するのに使用するのが基本だ。

 相手ペアは、メガトンを戦術も知らないガキだとますます侮る。

 後退した相手は落下点に入ると鋭いスマッシュを放った。

 会心のスマッシュだ。

 ダブルスのレシーブエリアの奥行きはシングルスより1メートル弱手前だ。

 高々と上ったシャトルはシングルスよりもスマッシュを決めやすい。

 だから、観戦する敵味方の誰もが決まったと思った。

 しかし、スマッシュを予測してクォーターは万全の体勢で待ち構えていた。

 クォーターにレシーブされたシャトルはネットを超えた途端スッと落ちる。

 すでにその時には、クォーターは前衛に、メガトンは後衛に回っている。

 相手はヘアピンで返そうとする。

 クォーターは少し浮いたシャトルを床に突き刺すように決める。

 クォーターはネット際の魔術師だ。

 長い手足を生かしてあたかも千手観音のように相手に立ちはだかる。

 サイドを変えたメガトンが再度ロングサーブを上げる。

 滞空時間の長いシャトルが相手に落ちるまで、クォーターは相手の動きやラケットをしっかり見ている。

 今度は左利きが『貰った』とばかりにスマッシュを強打する。

 クォーターはスマッシュを確実にレシーブし、またポイントを稼ぐ。

 スマッシュのレシーブに自信のあるクォーターが、ネットプレーにも秀でているのに相手は気付く。

 同時に強打のメガトンがスマッシュを打ったあと、体勢が前のめりに崩れることも見抜く。

 力一杯打っている反動だ。

 相手ペアはロングサーブの対処方法を見直す。

 スマッシュを打たずにメガトンの背後にシャトルを集める。

 メガトンは右に左に動いてバックバウンダリーラインぎりぎりからスマッシュを連発する。

 スマッシュは体力の消耗が激しいストロークだ。

 クォーターがシャトルに触れる機会はほとんどなくなる。

 相手の意図をクォーターが悟る。

 クォーターが準決勝で採用した作戦を相手が使用しているのだ。

 ──メガトン先輩はスマッシュを連発するように誘導されている。待ち構えているところにバックバウンダリーラインぎりぎりからスマッシュを打っている。だからなかなか決まらない。このままでは、メガトン先輩はつぶれる可能性が高い。でも、メガトン先輩の甘いショートサーブを避けて勝負に持ち込むには、このまま突っ走るしかない!

 クォーターはメガトンに一発目か五発目をドロップに切り換えるようにアドバイスする。

 ──メガトン先輩には臨機応変の対応は無理だ。

 そう判断したのだ。クォーターらしい現実的なアドバイスだ。

 相手ペアはメガトンを『子供にしては良くやるわ』と余裕しゃくしゃくだ。

 笑みさえ浮かべている。

 右利きも左利きも考えていることは同じだ。

 ──第2,3ゲームで圧勝すれば良い。1ゲーム目は青瓢箪のスタミナさえ奪えば事足りる。

 山田は、声を限りに応援する。

 浜口は、太腿を露わにした深紅の短パン姿のクォーターを注視している。

 ネット際で相手を睨む後ろ姿が美しい。

 きれいな起伏のヒップにほっそりしたふくらはぎが魅力的だ。

 浜口は惚れ惚れと見とれている。

 監督とキャプテンは意外な展開に困惑している。

 意外なことに鵜の木学園側がわずかにリードしているのだ。

 相手ペアは二人掛かりででメガトンを振り回す。

 メガトンのスマッシュを軸に2対1の激しいラリーが続く。

 ついに鵜の木学園がゲームポイントを握る。

 中途半端に浮いたシャトルに反応して、メガトンがセンターラインめがけてスマッシュを放つ。

 右利きと左利きが同時にラケットを伸ばす。

 左利きが受けたシャトルがネットを揺らす。

 監督とキャプテンが右手を高く上げてガッツポーズだ。

 プレーヤーがコートを変える。

 それで、バドミントンのルールに不案内な山田は第1ゲームをメガトン側が取ったのを悟る。

 第2ゲーム。

 開始直後から、相手ペアは攻勢に出る。

 模様眺めを捨てて、敢然と決めに出たのだ。

 後方深く打ち上げられたシャトルを、相手ペアはサイドバイサイドの陣形のメガトンめがけて打ち返す。

 カットでメガトンの前を、さらにスマッシュで左右を襲う。

 スマッシュを打ちにくいシャトルが返されると、低い軌道のドライブでメガトンの後方を襲い左右に走らせる。

 だが、相手も決めきれないでいる。

 メガトンは決してネットプレーを選択しない。苦手なのだ。

 トップアンドバックの陣形では、常にクォーターが前衛だ。

 メガトンは無言で黙々とシャトルを追いかける。

 ラリーの継続が大好きなのだ。

 メガトンは容易には崩れない。

 相手にミスが出るまで丹念に打ち返し続ける。

 楽しんでいるみたいだ。

 その代わり相手の虚を突いて逆を取るプレーはできない。

 攻撃は正々堂々とネットに顔を向けスマッシュを打つのが身上だ。

 追いつ追われつの試合が続く。

 相手ペアに、もはや余裕はない。

 本気で全力だ。

 子供みたいに華奢な上半身で前後左右にクルクル動くメガトンに不気味ささえ感じ始める。

 小馬鹿にしていた大きな黒い眼鏡が次第次第に大きく見えてくる。脅威が増しているのだ。

 相手ペアはメガトンを攻める。攻める。また攻める。早くくたばらそうと必死だ。

 メガトンはセンターラインに鋭いスマッシュを放ち攻め返す。

 しかし、左右に素早く足を運び踏ん張って頑張る二人をなかなか攻めきれない。

 ラリーは延々と続いた。

 次第に、激しいシングルス決勝戦を戦い抜いてきた二人の足が重くなる。

 だが、11対14。相手が3ポイントのリードだ。

 ──ファイナルゲームにもつれこんだら、こちらの負け。

 クォーターの直感がそう囁いている。

 動かし合いに我慢しきれなくなった左利きがメガトンの後方右手にハイクリアを打ち上げた。

 瞬間、クォーターが長崎弁で鋭い気合いを掛けた。

 これがあらかじめ打ち合わせてあった合図だ。

 左利きも右利きも腰を落としメガトンがラケットを振る動作を待つ。

 突然、相手ペアの視界からメガトンのラケットが消えた。

 メガトンが大きくジャンプしたのだ。

 柔軟な体が大きく後ろに反り返った。

 頭から後方に回転しそうな勢いだ。

 転瞬メガトンは膝を素早く伸ばした。

 前方に飛ぶ勢いを乗せ、ラケットを鋭く全力で打ち下ろした。

 優雅に舞うようだったメガトンの動きが、ジャンプした途端に荒々しいフォームに急変した。

 右腕をしならせながら打ち下ろす勢いでメガトンの体が前に大きくのめる。

 真っ黒なヘアゴムで後ろに束ねたメガトンの豊かな黒髪がピョンと跳ね上がる。

 シャツがめくれあがり、真っ白な脇腹の筋肉が露わになる。

 エンジン全開だ。

 ジャンピングスマッシュをストレートにサイドライン目掛けて勢いよく打ち込んだのだ。

 左利きは思い切りラケットを伸ばしリターンしようとする。

 届いた、リターンできると思った瞬間、ラケットがはじけ飛んだ。

 ラケットを握っていた左手に衝撃が走った。

 床に落ちるラケットの音で左方向を向いた右利きは、脅えた表情の同僚に唖然とする。

 メガトンのスタミナ切れに期待していた相手ペアは、高く飛び上がり急角度のスマッシュを繰り出す荒々しい姿に圧倒される。

 何とかリターンしてシャトルがネットを越えても、広い視野でコースを読むクォーターがプッシュで確実にポイントを取る。

 あんなガキ相手に手こずるなんてと、相手ペアはパニックだ。

 試合は一方的な進行だ。

 山田の必死の声援が止まった。

 鬼娘に声援は不要と悟ったのだ。

 跳ね上がるメガトンを呆然と見詰めている。

 品川電気の応援団が静まり返った。

 信じられない光景が時々刻々と進んで行く。

 マッチポイントだ。

 メガトンが跳んだ。跳んだ。また、飛んだ。

 鬼の形相だ。

 相手ペアの赤いセンターラインに白いシャトルが突き刺さる。

 床にぶち当たったシャトルが大きく跳ね上がり、グシャリと潰れる。

 クォーターが甲高い雄叫びを上げる。

 息ひとつ弾まさないメガトンはつまらなそうだ。

 ──もう終わっちゃったの。せめてあと1ゲーム、楽しみたかったなあ。

 鬼娘があどけない少女に戻る。

 まずい顔を隠そうと、いつもなら豊かな黒髪をお高祖頭巾のようにするのがメガトンだ。

 でも、さすがにお高祖頭巾では、激しい動きのバドミントンの試合はできない。

 仕方なくお高祖頭巾を脱いだ恥ずかしそうなメガトンを山田がまじまじと眺めている。

 今日はメガトンの形の良い耳が丸見えだ。

 しかも、激しく動いたせいか耳たぶが淡いピンク色に染まっている。

 その二人の姿を見てクォーターが嬉しそうだ。

 バスタオルで汗をぬぐうクォーターの短パン姿の長い足を眩しそうに眺めながら浜口が残念そうだ。

 ──本多先生や彩もバドミントンをやれば良いのに。きっと魅力的な足なのだろうな。

 監督がメガトンを見詰めている。

 ──林田は柔軟な筋肉や、可動範囲の馬鹿広い関節を持っているだけではない。足腰のバネが思っていた以上にはるかに強靱だ。それに、あれだけ打点の高いジャンピングスマッシュを連発したのに、息も切らさず、けろっとしている。スタミナも申し分ない。何としても、部に勧誘する。それに、深堀の戦術眼やネットプレーも見事だ。深堀の長所を林田が吸収したら、とてつもない選手になる。シングルスも大丈夫だ。

 ファイナルゲームにもつれ込んだ男子ダブルスの決勝は、歓声の中まだ熱戦が繰り広げられている。

 勝利の行方は依然と混沌としている。

 女子ダブルス決勝の行われたコートはネットもポールも片付けられ物静かだ。

 三月にしては肌寒い1日だった。

 冷たい雨が体育館の屋根を叩いている。

 メガトンが舞い跳んだコートがしんしんと冷えていく。

 床にいろいろな色のラインが引かれた体育館の照明が消えるのはもうすぐのようだ。

 この勝利でメガトンはバドミントンに復帰すると、クォーターは確信した。

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