第14話 説得依頼

 鵜の木学園が冬休みに入った最初の夜、バドミントン部の納会が、学生食堂二階の一室を貸し切って行われた。

 新人のクォーターは受付を担当している。

 入口で参加費を徴収し出席者を確認する係だ。

 日本人離れしたスラリとした長身が受付に明るい雰囲気を醸し出している。

 受付に最適の容貌だ。

 OB・OGを含め100名近くの参加者だ。

 普段は顔を見せない部長も、今夜はチャコールグレーの背広を着込んでやって来た。

 部長からは参加費を徴収しない。

 祝儀に期待した方が得策だと、監督から指示があったようだ。

 異国情緒を漂わせたクォーターを初めて正面から見る人は、一様に驚いた顔をする。

 長い手足で天然パーマのうえ美人なので嫌でも爽やかさが、目に飛び込むのだ。

 そして、一瞬、海外を訪れたかと錯覚するのだ。

 受付の行列が途切れた。

 食堂には飲み物を片手に立ち話をする輪がテーブルの回りにいくつもできている。

 いつの間にか、部長の挨拶も監督の挨拶も終わった。

 監督の挨拶の主体は、来年二月開催予定の城南地区選手権での鵜の木学園バドミントン部躍進への抱負だった。

 開催場所が鵜の木学園体育館なので、いつもの年より監督は張り切っているようだ。

 鵜の木学園での開催はこれが初めてだ。

 長崎から出てきた一年生のクォーターは、『城南地区』の意味が理解できず困惑している。

 けれど、試合に出られるかもしれないと目を輝かせる。

 クォーターは相手の動きを読むのが巧みな実戦向きの選手だ。

 出場すれば、それなりに活躍しそうだ。

 だが出場が決まったわけではない。

 出場のチャンスは一年生にはなかなか回ってこない。

 四年生の会計係に集金結果を報告し、クォーターは受付業務からやっと解放された。

 テーブルの周りは、なかなか賑やかだ。

 OB・OGの顔がよく分からない一年生は、団子になって同級生同士で談笑している。

 監督がキャップテンを連れて、オレンジジュースのグラスを片手にしたクォーターに近寄る。

 それに気付きあわてて会釈したクォーターに監督が頼み込む。

「深堀君。同窓生のよしみで、入部するように林田をなんとか説得できないか!」

 入部して欲しいのはクォーターも一緒だ。

 けれど、入部してもらう成算は皆目ない。

 クォーターは残念そうに答える。

「今のところ駄目だと思います。でも、もう一度説得してみます。もし入部が決まったら、林田先輩とぜひダブルスを組みたいのですが、よろしいでしょうか」

 戸惑った監督の表情に、クォーターはすぐに謝罪の言葉を述べる。

「出過ぎたことを言ってすみません」

「謝る必要はないが、何か事情があるのかい」

 監督の真摯な目を見て、クォーターは正直に答えることにした。

「私、高校生のときから、林田先輩とペアを組みたかったのです。だから、両親や担任の先生の猛反対を蹴って、先輩のいる鵜の木学園に進学しました。でも、先輩の興味は数学に移ってしまっていました」

「深堀君のご両親はどこへの進学が希望だったのかな?」

「地元の医学部です」

「ご両親は深堀君をお医者さんにしたかったのかい?」

「多分違うと思います」

「じゃあ、なぜ?」

「両親も担任の先生も難関学部突破を自慢したかっただけだと思います。つまらない大人の見栄です」

 ──外見がスマート過ぎる。いかにもひ弱そうだ。だが、意外と芯は強いようだ。

 クォーターを監督は見直す思いだった。

 ──試合に勝つには良い意味での灰汁の強さが必要だ。

 監督は、そう信じているのだ。

「ご両親は医学部を受験しないで怒らなかったのかい?」

「私、両親や担任の先生の言うとおりに医学部を受験しました」

 試験結果を乾杯で少し赤くなった顔の監督が問う。

「合格したのかい?」

「もちろん合格でした。でも、進学するとは一言も言っていませんでした。だから、いくら怒られても文句を言われる筋合いはありません。そうですよね。……監督」

 監督は、天然パーマに魅入られたわけではないがクォーターにますます興味を持つ。

「ひょっとして林田とペアを組みたいという願望だけで、折角の合格を蹴って鵜の木学園に来たのかい?」

「そう思っていただいてよろしいです。それに私がいないと、おつりの計算もできない先輩、卒業できないなんて余計な心配もしていたものですから。……でも、先輩は私がいなくても現代数学は大丈夫そうです。ほんとうに意外で残念です」

 二人の話を聞いているキャプテンは他人の学業には興味がない。

 今はバドミントンと天然パーマのクォーターに夢中なのだ。

 キャプテンが感想を述べる。

「林田の強打。深堀の巧みなヘアピン。たしかに良いペアになる」

 クォーターが疑問を口にする。

「ところでキャップテン、『城南地区』って何のことですか?」

 返事に詰まったキャップテンに代わって、監督が笑いながら答える。

「江戸城の南側を『城南』って言うのだ」

 クォーターは不思議そうな顔で尋ねる。

「江戸城なんて今も残っているのですか?」

 監督は物知り顔で答える。

「江戸城は、今、皇居になっている。『城南』は、うちの学園のある大田区、それに品川区・目黒区・港区あたりを含めた地域のことだ」

 監督の答えにクォーターはもう一つ実感が湧かない。

 質問を重ねる。

「城南地区の人口はどのくらいですか?」

 監督もはっきりした数値は知らないようだ。

「東京は人がうじゃうじゃいる。おそらく長崎県全体の人口より城南地区の方が多いだろう。大田区だって長崎市よりは人がいっぱいいるはずだ」

 長崎市出身のクォーターは監督の答えに二の句が継げない。

 翌朝、クォーターは長崎に向かう飛行機の窓から紺青に輝く駿河湾を眺めていた。

 やがて、年末の真っ青な空をバックに、雪化粧の富士山が左手の窓前方に見え始めた。

 ぐんぐん近づいてくる富士山をクォーターは食い入るように見下ろしている。

 ぽっかり穴を開けた山頂が下方左横に見え後方に消えていった。

 羽田から長崎に向かう飛行機は、静岡と愛知の県境にさしかかった。

 だが、もう下界の景色がクォーターの目には入らない。

 クォーターは、メガトン説得の方策を必死に考え続けている。

 しかし、良い案が浮かばない。

 そして、バドミントンを再開するように打診したときのメガトンの返事を思い出した。

「わたしは、クォーターみたいな文武両道は無理なの。ママさんみたいに頭の良い子に生まれていれば、よかったのにね」

 このとき、クォーターはメガトンの苦悩を感じ取った。

 ──メガトン先輩、本当は二つを同時にやりたいのだ。やりたいのを我慢しているのを無理強いしたら、メガトン先輩を悲しませる。苦しませる。

 そう恐れを感じ、クォーターはどうしたらよいかと再び考え込む。

 琵琶湖を越え、瀬戸内海を左手に見て快調に飛行を続け、関門海峡を通過したのもクォーターは気づかない。

 着陸態勢に入るとの機内アナウンスがあった。

 島原半島に聳える火山が左手に見えて来た。

 雲仙の山々だ。

 冬の日に輝く有明海が雲仙の手前に見える。

 飛行機はぐんぐん降下する。

 大村湾に突入すれば、まもなく長崎空港到着だ。

 飛行機がぶるぶると振動し始めた。

 ドーンと振動が床下から突き上がる。

 飛行機は駐機場へと滑って行く。

 機上で考える時間は終わった。

 だが、クォーターは考えがまとまらない。

 即断即決のクォーターには珍しいことだ。

 クォーターは問題をもう一度整理することにした。

 ──私は、監督やキャプテンの頼みを果たしたいだけなのかしら。そうじゃない! 私はメガトン先輩とダブルスを組んで強豪と試合をしたいのだ。高校生のときからの私の切なる願いだ。メガトン先輩は今も本当はバドミントンが大好きのようだ。でも今は、それより数学が大事なのだろう。私の夢と、先輩の思いを両立させるにはどうしたら良いのかしら?

 クォーターは、メガトンとダブルスのペアを組んだときの情景をうっとりと思い浮かべる。

 トップ&バックの陣形で、攻めて攻めて、攻めまくる。

 後衛から強打を放つのは、大きな黒縁の眼鏡を掛けたメガトンだ。

 しかし、クォーターは現実に引き戻される。

 ──私はメガトン先輩とペアを組んだことは今まで一度もない。それに、メガトン先輩が公式試合に出たのを見たこともない。ダブルスもシングルスもない。これで、ダブルを組めたとしてもまっとうな試合ができるのだろうか?

 クォーターの長い睫毛が空港から出島経由長崎駅に向かうリムジンバスの中でピクピク動く。

 バスは大村湾を時々右手に見ながら高速道路を勢いよく南下する。

 ──メガトン先輩は、いつも地道な基本プレーの練習ばかりに夢中だった。……試合形式の実戦練習をしなければ、夢が実現したとしても惨めな敗北が待っているだけだわ。それじゃあ詰まらない。勝つためには何をしたら良いのかしら?。

 天然パーマの髪をクォーターのすんなりと長い手がかき上げる。

 ──メガトン先輩からバドミントン再開の同意をもらうだけでは、何の意味もない。同意さえしてもらえそうにないのに困ったわ。

 少し高すぎる感のあるつんとした鼻の先に指が触れる。

 もう少し高かったら魔女の鼻だ。

 もっともメガトンはクォーターの鼻が羨ましくてしょうがないのだ。

 メガトンは愛嬌たっぷりの団子気味のやや低い鼻の持ち主だ。

 クォーターは少し弱気になっている。

 ──世界制覇はすぐには無理そうだわ。でも、せめて一度だけでもよい。まずはメガトン先輩と組んで勝ち抜けたい。でも、どうしたらいいのかしら? 人口だけを見ても、城南地区を勝ち抜くのは長崎県大会よりも難しそうだわ。それに東京には他県から多くの人が通勤・通学してくるわ。ライバルはひしめいているはずよね。

 クォーターは、なぜ監督やキャップテンがメガトンに惚れ込んだのかを考え直した。

 ──私、難しいことを考え過ぎているのかも知れない。そもそも、メガトン先輩は自分がバドミントンに向いているなんて気付いていないはずだ。それなのに監督やキャップテンは、どうしてメガトン先輩に惚れ込んだのだかしら? そこにメガトン先輩を説得して試合にも勝利するためのヒントが隠されている気がする。

 クォーターは本多准教授の研究室で『行列』について教わった時の先生とメガトンとの受け答えを思い出していた。

 ──それに、メガトン先輩は自分の能力を過小評価しているわ。本多先生とのやりとりを見ていて分かったわ。メガトン先輩は現代数学もバドミントンも同時に十分こなせるはずだわ。メガトン先輩は、できないと恐れているだけなのに違いない。

 眉間に皺を寄せ憂鬱そうだったクォーターに、魅力的な笑顔が戻った。

 背筋がスッキリ伸びている。

 手応えのある何かを思い付いたようだ。

 南下していた長崎空港リムジンバスが右手に折れ最後の長いトンネルに入った。

 このオランダ坂トンネルを突き抜ければ、クォーターの育ったなつかしい長崎の街は目の前だ。

 久しぶりに故郷の空気を吸ったせいかクォーターは闘志満々だ。

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