呪われた橋

西野ゆう

小さな男の子

 蒸し暑い夏の夕方、降り立った旧広島駅の空気は淀んでいた。

 瀬戸の夕凪。風が止まり、重い空気が頭上に留まる。

 私は比治山ひじやまを正面に見ながら駅前大橋を南下し、巨大なデルタ地帯に足を踏み入れた。一歩ごとにぬかるみに足を取られるような不快感がまとわりつく。夏の陽射しがアスファルトを軟化させているようにも感じる。滲んだ汗が、やや重たいメガネをズレさせる。

 私は記憶と共に西国街道さいごくかいどう(旧山陽道)を辿る。私はどうしてもその道を辿らなければならない。その為に、ひと月をかけてこの地に来たのだから。

 駅前の大通りを右折し、古い商店や、コインパーキングの跡が並ぶ通りを歩く。

 左手のコンビニだったのであろう建物の前に建つ、レトロなデザインの街灯には「西国街道」という小さな看板が掲げられていた。

 そこから目を前に向けると、ひとつ目の目的の橋が見えた。京橋だ。

 私はスマートフォンを取り出し、あるアプリを起動させた。連動したメガネの画面には、カメラが読み込んだ画像が薄く表示されている。カメラを正面に向け、視界とカメラの映像をリンクさせると、アプリの機能が作動した。

 拡張現実、ARだ。

 江戸時代の風景に姿を変えた、内堀と外堀に挟まれた侍町を歩く。途中大手門をくぐり、外堀を超えて紙屋町へと出た。そこで右手を見るが、まだふたつ目の目的である橋は架けられていなかった。

 私はメガネのフレームにあるダイヤルを回した。時が江戸から明治期へと進む。やがて橋が現れたが、形が違う。まだ常世橋とこよばしの形をしていない。丁字をした常世橋が姿を現したのは、昭和になってからだった。

 私はその橋まで歩いた。石の欄干には「相生橋あいおいばし」と彫られていた。

 私は周囲に視線を巡らせた。軍事工場、修練場、病院、産業奨励館。汽車も走り、多くの人がせわしなく歩いている。

 ダイヤルを回す。少しずつ、その時を見逃さぬように。

 昭和二十年八月六日、午前八時十五分。

 私は常世橋のを見た。そこは現世橋うつしよばし。呪われた橋。

「やはりここに居ついていたか」

 そこには白人の小さな男の子リトルボーイが居た。

「エノラ・ゲイ・ティベッツ。聞き覚えはあるかい?」

 私はその少年に聞いた。

「母さん……」

 少年は答えたと同時に姿を消した。アプリが終了したのだ。

 私は相生橋の交差した中央部にいた。

 辺りには何もない。かつては絶えず水が流れていた本川ほんかわ元安川もとやすがわも枯れている。

 ただ丁字の呪われた橋が、黒い大地に白く浮かび上がっていた。

「次は太った男だ」

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呪われた橋 西野ゆう @ukizm

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