track.2「彼女と最後のドライブ」

「帰って来て」。



 母に電話で放たれた言葉で、世城せぎ 一楽たからは絶望に飲み込まれたような心持ちになった。



 勘弁してくれ。

 それが、一楽たからの正直な、そして真っ先に抱いた感想だった。



 勘弁してくれ。

 どうか、お願いだから、勘弁してくれ。

 頼むから、俺まで巻き込まないでくれ、と。



「……何?

 今度は、どしたん?」

「どうしたもこうしたもいわ。

 何もいから、困ってるんじゃないのぉ」

「まだ真面まともに口すら聞けてないんか……。

 飯だけぁ、一緒に食べてるんしょ?」

「それも最近、少し怪しく……」

「あんさぁ……」



 それくらいにしとけよ、熟年離婚スレスレ夫婦。

 口を突いて出そうになった言葉を、一楽たからすんでで辛うじて止めた。



 そんな本音を明かした所で、改善なんてするはずいし。

 怒りの矛先が、今度は自分に向かうだけだ。

 


「ねぇ、ターくん。

 お願いだから、帰って来てぇ。

 トシもシュウも当てにならないしぃ」

「そーりゃそーでしょーよ……」



 母、福子ふくこの嘆きに、一楽たからは全面的に同意した。



 確かに彼の兄弟は、全く宛にならないのだ。

 兄の方は一度、実家で暮らすも一年近くで追い出された、世間体だけはい人格破綻者。

 弟は対象的に、地元から高速で三時間はかかる遠方で、出世コースを絶賛邁進中のエリート(婚約者、義子り)。

 理由はまるで異なるものの、これでは白羽の矢が自分に立つのは、致し方なかろう。



 もっとも、かく言う自分も、少し前までは仙台で日夜、締切と激闘を繰り広げ続けていたのだが。

 


 はぁ……。

 これ聞きよがしに溜息ためいきき、壁に凭れかかり。

 寝癖だらけの髪を更にグチャグチャにした後。

 一楽たからは観念した。



「……いつから?」

「今日でよろ〜!」

「無理だわ、終電無いし。

 明日な」

「だったら高速使えばいじゃない!」

「俺のドラテクめんな。

 夜の高速とか、確っ実に事故るわ」

「じゃあ、私が迎えに行こっか!」

「あわよくばそのまましばらくこっちに泊まり兼ね無いから、却下」

「ケチ!」

「ドケチの息子だからな。

 当たり前だろ」

「それはともかく。

 本当ほんとうに、戻って来てくれるの?」



 露骨に話題を変えるドケチ

 逃げたな、と一楽たからは判断した。



「まぁ……退社するって決めた時点で、遅かれ早かれ覚悟してたし……。

 会社離れることを伝えるための電話で、とまでは流石さすがに思わんかったけど……」

いじゃない!

 善は急げ、っていうし!」

「誰が原因なんですかねぇ、一体……」

「そんなの、お父さんに決まってるじゃない!」

「自分の非も多少は認めよーよ……。

 惣菜食べさせて、『料理出来できるアピール』して、なかば強引に結婚したメシマズは、誰だよ……」



 露骨に水を得た魚になる母に、現金だなぁとツッコみつつ。

 一楽たからは続ける。



「帰りはする、ただし。

 条件が幾つかる。

 金輪際こんりんざい、『ターくん』禁止」

「え〜!?

 無理よぉ、今更ぁ!

 20年以上も呼び続けてるんだしぃ!」

「左様ですか。

 では誠に残念ですが、今回の件はかったことに……」

「わー、わー!

 ごめん、ごめん!

 お母さんが悪かったわ!

 善処する! 善処するからぁ!」

「それだけだと、申し訳ありませんが……」

「わ、分かった!

 言わない、言わない!

 言わないようにするからぁ!

 だから、お願い、!!

  帰って来てぇ!」



 言わないって言ってるそばから……。

 と呆れつつも、一楽たからなかあきらめた。



 見ての通り、やや素直寄りな母親のことだ。

 きっと今みたいに、これからも、自分を小学生時代のあだ名で呼び続けることだろう。

 スーパーでも、映画館でも、車の中でも、お客さんの前でも。



 言質を取り、本人に意識を植え付けただけでも、僥倖としよう。

 一楽たからみずからに言い聞かせた。



 そう。

 この件はえず、これくらいい。

 もっと問題なのは、別の方……母ではなく、父にるのだから。



 いや……目下、差し迫ってる、先に解決すべきは……。



「いきなりで、ごめんだけど。

 俺と、しいんだ。

 仲音なことさん」



 数時間後。

 本日の仕事を終え、二人で暮らす部屋に帰って来た恋人に、一楽たからは頭を下げた。

 仲音なことは、目をパチクリさせた後、苦笑いした。



「……何?

 どういうこと? ちゃんと、説明して?

 あたし……ガッくんにきらわれるようこと、した?

 それとも……私の仕事、とか……?」

「そうじゃないよ。

 仲音なことさんは一切、何も、微塵も、これっぽっちも、まったもって、欠片かけらも、万が一にも悪くない」

「良かった。

 安心した。

 でも、じゃあ、どうして……?」

「これは完全に俺の、俺個人の、俺だけの問題だ。

 仲音なことさんには、関係い」



 恋人が安堵した矢先に、冷たく突き放す言葉を意図的に切り出す一楽たから

 頭を上げると、予想通り、仲音なことは見るからにご立腹だった。



「……そんなふうに言われて。

 納得する、あたしだと思う?」

むしろ、かえって知りたがる守仲まなかだと思う」

「分かってるじゃない。

 じゃあ、きちんと最初から最後まで説明して。

 話は、それから」

「ああ」

「あと、その前に着替えさせて。

 ご飯は、ガッくんが作って。

 あたしを怒らせた罰」

「言われずもがな、今日は俺の担当なんだがな。

 温め直すだけだよ」

「また惣菜?」

「重ね重ね、申し訳ない。

 けど、平に容赦してくれ。

 真面まともな食歴いんだよ」

「許す。

 でも、あたしの機嫌を直すために、瓶のプリンを所望、お勧めする。

 ダッシュで買って来て」

「畏まりました、お嬢様」



 胸に手を当て執事風ふうに告げると、仲音なこと一楽たからの脛を蹴った。

 普段なら乗ってくれるのだが、どうやら今は好ましくないらしい。



「……いつも、言ってるよね?

 悪いくせだよ?

 ガッくんの、そういう、困ってたり怒ってたりする時に、笑ったり巫山戯ふざけたりする所。

 嫌いじゃないけど。

 時と場合により、イラッとする。

 今とか、特に」

「しゃあないだろ。

 他に打開策が思い付かないんだから」

いから早く、プリン。

 駆け足」

「ぎゃー。

 足が痛くて、動けないー」

「ガッくん?」

「光の速さで行って来ます」

「分かってると思うけど、紅茶もだよ?

 性懲りもく罪を上乗せした罰」

「ロジャー」



 わー……俺の彼女、怖ーい……。

 などと、やはり緊張感が欠けた様子ようすで。

 一楽たからは言われた通りにしたのだった。



『理由その1。

 ここから離れて、田舎の実家に戻るから』



『理由その2。

 自分はともかく、ここから離れるとあたしが稼ぎにくくなるから』



『理由その3。

 我が家の諸々のゴタゴタに巻き込みたくないから』



「とまぁ……これくらい?」 

「あ、ああ……」

 


 食後の片付けを済ませた後。

 必要最低限の質問だけに留め、大人おとなしく一楽たからに説明させ、纏める仲音なこと



 こういう時、一楽たからつくづく思う。

 したたかだなぁ、と。



「まぁ……。

 確かに、困りはするね」

「だろ!?

 そもそも、いつも言ってたし!

 俺なんかに、仲音なことは勿体ないって!

 仲音なことには、もっと相応ふさわしい相手が」



 たった一言。

 あだ名ではなく、呼び捨てにする。

 それだけで、一楽たからたちまち、ブレーキを余儀なくされる。

 


 それが仲音なこと、そして自分達にとって、彼女の激怒サインだから。



「これも、言ってるよね?

 ネガってる時にばっか、露骨に元気にならないで」

「は、はい……」

「付け足すと、たった今、あなたは私の彼氏を侮辱した。

 こっちは特に、二言目には言ってたはず

 うち一楽たからをコケにするのは、誰であろうと、このあたしが許さない。

 たとえ、その張本人が一楽たから自身であったとしても。

 絶対ぜったいに」

「は、はい……」



 一楽たからは、崖っぷちに立たされたような気持ちに陥った。



 念の為、予備のプリンやお菓子、アイスもひそかに冷蔵庫に用意していたのだが。

 ここまで激昂モードだと、火に油を注ぐような気がしてならない。

 一体、どうしたものか……。



「……まぁ、でも。

 事情は分かったよ。

 あたしに気を遣わせたくない、あたしに負担を掛けたくないっていう。

 ガッくんの気持ちもね」



 などと手をこまねいている間に。

 仲音なことは怒りを鎮めてくれた。



 良かった。

 取り敢えず、難は逃れたらしい。

 その証拠に、呼び方も戻ってる。



「……急に、俺だけで勝手に決めて、悪いとは思ってる。

 でも、俺……」 



 なおも言い訳を続ける一楽たから

 その頬に両手を添え、正面を向かせ、身を乗り出し。

 テーブルを挟んで、仲音なことは彼にキスをした。



「んっ……んぅっ……」



 リップ音と吐息のユニゾンが駆け巡る室内。

 中々に長い、激しいデュエットを終え、舌なめずりしてから。

 仲音なことは、ワイルドに答える。



「分かった。

 ガッくんの思い……。

 しかと、汲み取ったよ」

「……ぇ……」



 反対に息も絶え絶えな、男らしくない一楽たから



 彼に向けて微笑ほほえみ、机の上に置いていた車の鍵を取り。

 クルクルと、器用に、意味深に、左の薬指で回しながら。

 仲音なことは強気に言う。



「ひとっ走り付き合いたまえよ。

 それで、綺麗さっぱりしよう」

「あ、ああ……。

 分かった……」



 こういう時、彼女の思い切りの良さ、切り替えの速さは助かるな……。

 そう思いつつ、すでに玄関のドアを開け外に出ている彼女を、一楽たからは追いかけた。



「……」

「……」



 助手席に座ってから、手遅れながらも、一楽たからは、気付いた。

 最後のデートが、恋人の運転でのドライブって、どうなんだ、と。

 気不味きまずいし、静かぎるし、何より……。



「ディスる、ってんじゃないけどさ。

 やっぱ、ダサいな、俺」

「そこが、ガッくんのい所だよ。

 あたしの彼氏は、ダメカワ系だから」

「キモカワふうにもケータイ小説風ふうにも言わないでくれっかなぁ?」

「実際その通りなんだもん。

 仕方無いよ。

 まっ、大目に、長い目で見てくださいな。

 そんなガッくんだからこそ、あたしは好きになったんだし」

仲音なことさん、絶賛フラれ中でしょ」

「どっちかってーと、あたしがフッてるっぽくない?

 最終的には」

「言えてらぁな。

 本当ホント……大したイケジョだよ、俺の元カノは」

「それほどでもあるけどね」



 そもそも、愛車がマニュアルで、それをキレッキレ、キメッキメで操縦してるって時点で、格好かっこさがストップ高ですよ。

 思い返してみれば、夜の方も、彼女に主導権をにぎられっ放しだったな。



仲音なことさん。

 今まで、ごめん。

 そして、なにより。

 今まで、ありがとう」

「……」



 ここに来て唐突に、仲音なことが黙り始める。

 ひょっとして、今のもネガティブ判定だったのだろうかと、一楽たからは焦り始める。



「へ、部屋は今まで通り、使っててくれて構わないから……。

 仲音なことさんが帰って来る前に、今月分の家賃を払うついでに、大家さんに話して来たし……」

「……」

「お、俺の私物とかも、売ってくれて全然、構わないから……。

 宅配業者呼ぶお金も無いし、仲音なことさんに譲るよ……。

 仲音なことさんの、好きなようにしてくれ……じゃなくて、ください……」

「……」

「あ、あのぉ……仲音なこと、さん?」

「ねぇ、ガッくん」



 赤信号により、止まる車。

 一楽たからの脳内でも、危険信号が点滅していた。

 ここからは、今まで以上に、今までで最大級に、言葉を慎重に選べ。間違っても、ちょけるな。と。



「ガッくんさぁ。

 やっぱり、あたしののことめプし過ぎだよ。

 あたし……そこまで、軽くない」

「で、ですよねぇ。

 えと、お代は如何いかほどで?

 諭吉さんくらい限り限りギリギリ……」

「天然だから、今のは特別に許すとして。

 ボケてないで、現実と前を見たら?」

「は?」



 仲音なことに促され、従う一楽たから



 刹那せつな

 彼は再び、思い知った。

 瀬良せら 仲音なことの、底知れぬたくましさを。



「あのぉ。

 つかぬことを伺いますが、仲音なことさん?」

「んー?」

何故なぜ、高速にお乗りに……?」

あたしが、ガッくんと相乗りするからだよ。

 地雷だらけで無法地帯の実家だろうと、仕事もなにい田舎だろうと。

 この世の果てだろうと、地獄だろうとね」

「いやいやいや、違う、違う、違う!

 さっき、言ってたじゃん、『分かった』って!」

「ちゃんと分かったよ。

 、ね。

 けど、不許可。

 あたしは、ガッくんと別れるもりなんざ、毛頭い。

 ガッくんを失うくらいなら。

 あたしは進んで、喜んで、命も手放す。

 でも、あたしが死んじゃったら、誰もガッくんを幸せに出来できないし。

 そもそもあたし以外の誰かにガッくんを任せる、授けるとか。

 そんな愚考、愚行はしない」

「いや、大真面目に何スケールとんでもないこと言ってるの!?」

「事実でしょ?」

「ぐうの音も出ないほど、正論だけど!

 てか、部屋は!?

 あと、私物は!?」

「安心して。

 ガッくんが買い物行ってる内に、大家さんに解約の旨を伝えてある。

 それに私物は今頃、あたしが手配した宅配業者さんが、一つ残らず運んでくれてるよ」

「デジャブッ!!」

「仕事だって、こういう場合、もしもの時に備えて、いつでも町を離れられるよう、必要な分だけにセーブしてたし、向こうでも働きようはる」

なにこの人どこまでイケジョなの咄嗟の対応力だなんて信じられないんだけど!?」

「当たり前でしょ。

 これくらいじゃなきゃ、ガッくんの彼女なんて務まってたまるもんですか。

 てーわけで、引き続きあたしの彼氏をせざるを得なくなったガッくんさんや」



 くまでも運転に集中しつつ、ドスの効いた声で。

 仲音なことは宣言する。



「『別れる』だなんてクレイジーな発言、二度とすんな。

 次、妙な真似マネしやがったら。

 あたしを、本気でブチギレさせやがったら。

 あんたを始末して、即座にあたしも追ってやる。

 別れられるだけの権利が、あんたにると思うな。

 あたしに死んでしくないなら精々せいぜい、しぶとく図太く生き抜きやがれ。

 言っとくけど、私は向こう五十年は生き続ける。

 あんたも、そのくらいもりで、さっさと覚悟決めな?

 その方が、早く気楽になれる」

「……」

「返事は?」

「……押忍おす……」

「分かればよろしい。

 じゃあ早速だけど、お義母かあさんに連絡して。

『今から、婚約者連れてく』って」

「彼女……」

「こ・ん・や・く・しゃ。

 プロポーズなら、今したでしょ?

 それに元々、そういう名目で、君と出会い直したはず

 いから、早くして。

 ゴールを、絶望か地獄に変えられたくなければね。

 どうせ、あたしには勝てないんだから」

「……うっす……」

い子、い子。

 終わったら、アイスとかお菓子とか食べてね。

 さっき、ガッくんが買って来てくれてた分。

 あ。あたしにも、あ~んしてね?」

「バレてた上に、持って来てる……」



 上述の背景により。

 母の希望通り、当日中に地元に帰ることになった一楽たから



 道中、彼は心底、思った。

 こんなヤンデレと、付き合うんじゃなかった、と。

 けど、それ以上に……ひとっ走り付き合って、本当ほんとうかった、と。



 こうして、仲音なこと世城せぎ家に溶け込み。



 二人の健闘も虚しくり

 しばらくしてから、一楽たからの両親は離婚。



 それぞれに、新たなパートナーを見付け。

 なんなら父は、海外旅行に出掛けた。



 時を同じくして。

 仲音なことも、一楽たからと一旦、別れた。



 と言っても、こちらは単なる『冷却期間』。

 義理の両親をつなぎ止められなかった失敗を猛省しつつ。

 残っていた仕事を片付ける名目で、一時的に離れただけである。

 


 そうして、二人の物語は一時停止し。

 日明たちもり家も巻き込んで、後に再生する。

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ケセラキ 〜「弟の義子(でし)」との「座敷わらしべ長者譚(ヘヤリー・テイル)」〜 七熊レン @apwdpwamtg

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