track.2「彼女と最後のドライブ」
「帰って来て」。
母に電話で放たれた言葉で、
勘弁してくれ。
それが、
勘弁してくれ。
どうか、お願いだから、勘弁してくれ。
頼むから、俺まで巻き込まないでくれ、と。
「……何?
今度は、どしたん?」
「どうしたもこうしたも
何も
「まだ
飯だけぁ、一緒に食べてるんしょ?」
「それも最近、少し怪しく……」
「あんさぁ……」
それ
口を突いて出そうになった言葉を、
そんな本音を明かした所で、改善なんてする
怒りの矛先が、今度は自分に向かうだけだ。
「ねぇ、ターくん。
お願いだから、帰って来てぇ。
トシもシュウも当てにならないしぃ」
「そーりゃそーでしょーよ……」
母、
確かに彼の兄弟は、全く宛にならないのだ。
兄の方は一度、実家で暮らすも一年近くで追い出された、世間体だけは
弟は対象的に、地元から高速で三時間はかかる遠方で、出世コースを絶賛邁進中のエリート(婚約者、義子
理由はまるで異なるものの、これでは白羽の矢が自分に立つのは、致し方なかろう。
はぁ……。
これ聞きよがしに
寝癖だらけの髪を更にグチャグチャにした後。
「……いつから?」
「今日でよろ〜!」
「無理だわ、
明日な」
「だったら高速使えば
「俺のドラテク
夜の高速とか、確っ実に事故るわ」
「じゃあ、私が迎えに行こっか!」
「あわよくばそのまま
「ケチ!」
「ドケチの息子だからな。
当たり前だろ」
「それはともかく。
露骨に話題を変える
逃げたな、と
「まぁ……退社するって決めた時点で、遅かれ早かれ覚悟してたし……。
会社離れる
「
善は急げ、っていうし!」
「誰が原因なんですかねぇ、一体……」
「そんなの、お父さんに決まってるじゃない!」
「自分の非も多少は認めよーよ……。
惣菜食べさせて、『料理
露骨に水を得た魚になる母に、現金だなぁとツッコみつつ。
「帰りはする、
条件が幾つか
「え〜!?
無理よぉ、今更ぁ!
20年以上も呼び続けてるんだしぃ!」
「左様ですか。
では誠に残念ですが、今回の件は
「わー、わー!
ごめん、ごめん!
お母さんが悪かったわ!
善処する! 善処するからぁ!」
「それだけだと、申し訳ありませんが……」
「わ、分かった!
言わない、言わない!
言わない
だから、お願い、ターくん!!
帰って来てぇ!」
言わないって言ってる
と呆れつつも、
見ての通り、やや素直寄りな母親の
きっと今みたいに、これからも、自分を小学生時代のあだ名で呼び続ける
スーパーでも、映画館でも、車の中でも、お客さんの前でも。
言質を取り、本人に意識を植え付けただけでも、僥倖としよう。
そう。
この件は
もっと問題なのは、別の方……母ではなく、父に
いや……目下、差し迫ってる、先に解決すべきは……。
「いきなりで、ごめんだけど。
俺と、
数時間後。
本日の仕事を終え、二人で暮らす部屋に帰って来た恋人に、
「……何?
どういう
それとも……私の仕事、とか……?」
「そうじゃないよ。
「良かった。
安心した。
でも、じゃあ、どうして……?」
「これは完全に俺の、俺個人の、俺だけの問題だ。
恋人が安堵した矢先に、冷たく突き放す言葉を意図的に切り出す
頭を上げると、予想通り、
「……そんな
納得する、
「
「分かってるじゃない。
じゃあ、きちんと最初から最後まで説明して。
話は、それから」
「ああ」
「あと、その前に着替えさせて。
ご飯は、ガッくんが作って。
「言われずもがな、今日は俺の担当なんだがな。
温め直すだけだよ」
「また惣菜?」
「重ね重ね、申し訳ない。
けど、平に容赦してくれ。
「許す。
でも、
ダッシュで買って来て」
「畏まりました、お嬢様」
胸に手を当て
普段なら乗ってくれるのだが、どうやら今は好ましくないらしい。
「……いつも、言ってるよね?
悪い
ガッくんの、そういう、困ってたり怒ってたりする時に、笑ったり
嫌いじゃないけど。
時と場合により、イラッとする。
今とか、特に」
「しゃあないだろ。
他に打開策が思い付かないんだから」
「
駆け足」
「ぎゃー。
足が痛くて、動けないー」
「ガッくん?」
「光の速さで行って来ます」
「分かってると思うけど、紅茶もだよ?
性懲りも
「ロジャー」
わー……俺の彼女、怖ーい……。
などと、やはり緊張感が欠けた
『理由その1。
ここから離れて、田舎の実家に戻るから』
『理由その2。
自分はともかく、ここから離れると
『理由その3。
我が家の諸々のゴタゴタに巻き込みたくないから』
「とまぁ……これ
「あ、ああ……」
食後の片付けを済ませた後。
必要最低限の質問だけに留め、
こういう時、
「まぁ……。
確かに、困りはするね」
「だろ!?
そもそも、いつも言ってたし!
俺なんかに、
「一楽」
たった一言。
あだ名ではなく、呼び捨てにする。
それだけで、
それが
「これも、言ってるよね?
ネガってる時にばっか、露骨に元気にならないで」
「は、はい……」
「付け足すと、たった今、あなたは私の彼氏を侮辱した。
こっちは特に、二言目には言ってた
「は、はい……」
念の為、予備のプリンやお菓子、アイスも
ここまで激昂モードだと、火に油を注ぐ
一体、どうしたものか……。
「……まぁ、でも。
事情は分かったよ。
ガッくんの気持ちもね」
などと手を
良かった。
取り敢えず、難は逃れたらしい。
その証拠に、呼び方も戻ってる。
「……急に、俺だけで勝手に決めて、悪いとは思ってる。
でも、俺……」
その頬に両手を添え、正面を向かせ、身を乗り出し。
テーブルを挟んで、
「んっ……んぅっ……」
リップ音と吐息のユニゾンが駆け巡る室内。
中々に長い、激しいデュエットを終え、舌なめずりしてから。
「分かった。
ガッくんの思い……。
「……ぇ……」
反対に息も絶え絶えな、男らしくない
彼に向けて
クルクルと、器用に、意味深に、左の薬指で回しながら。
「ひとっ走り付き合いたまえよ。
それで、綺麗さっぱりしよう」
「あ、ああ……。
分かった……」
こういう時、彼女の思い切りの良さ、切り替えの速さは助かるな……。
そう思いつつ、
「……」
「……」
助手席に座ってから、手遅れながらも、
最後のデートが、恋人の運転でのドライブって、どうなんだ、と。
「ディスる、ってんじゃないけどさ。
やっぱ、ダサいな、俺」
「そこが、ガッくんの
「キモカワ
「実際その通りなんだもん。
仕方無いよ。
まっ、大目に、長い目で見てくださいな。
そんなガッくんだからこそ、
「
「どっちかってーと、
最終的には」
「言えてらぁな。
「それ
そもそも、愛車がマニュアルで、それをキレッキレ、キメッキメで操縦してるって時点で、
思い返してみれば、夜の方も、彼女に主導権を
「
今まで、ごめん。
そして、
今まで、ありがとう」
「……」
ここに来て唐突に、
ひょっとして、今のもネガティブ判定だったのだろうかと、
「へ、部屋は今まで通り、使っててくれて構わないから……。
「……」
「お、俺の私物とかも、売ってくれて全然、構わないから……。
宅配業者呼ぶお金も無いし、
「……」
「あ、あのぉ……
「ねぇ、ガッくん」
赤信号により、止まる車。
ここからは、今まで以上に、今までで最大級に、言葉を慎重に選べ。間違っても、ちょけるな。と。
「ガッくんさぁ。
やっぱり、
「で、ですよねぇ。
えと、お代は
諭吉さん
「天然だから、今のは特別に許すとして。
ボケてないで、現実と前を見たら?」
「は?」
彼は再び、思い知った。
「あのぉ。
つかぬ
「んー?」
「
「
地雷だらけで無法地帯の実家だろうと、仕事も
この世の果てだろうと、地獄だろうとね」
「いやいやいや、違う、違う、違う!
「ちゃんと分かったよ。
話は、ね。
けど、不許可。
ガッくんを失う
でも、
そもそも
そんな愚考、愚行はしない」
「いや、大真面目に何スケールとんでもない
「事実でしょ?」
「ぐうの音も出ない
てか、部屋は!?
あと、私物は!?」
「安心して。
ガッくんが買い物行ってる内に、大家さんに解約の旨を伝えてある。
それに私物は今頃、
「デジャブッ!!」
「仕事だって、こういう場合、もしもの時に備えて、いつでも町を離れられる
「
「当たり前でしょ。
これくらいじゃなきゃ、ガッくんの彼女なんて務まって
てー
「『別れる』だなんてクレイジーな発言、二度とすんな。
次、妙な
あんたを始末して、即座に
別れられるだけの権利が、あんたに
言っとくけど、私は向こう五十年は生き続ける。
あんたも、その
その方が、早く気楽になれる」
「……」
「返事は?」
「……
「分かれば
じゃあ早速だけど、お
『今から、婚約者連れてく』って」
「彼女……」
「こ・ん・や・く・しゃ。
プロポーズなら、今したでしょ?
それに元々、そういう名目で、君と出会い直した
ゴールを、絶望か地獄に変えられたくなければね。
どうせ、
「……うっす……」
「
終わったら、アイスとかお菓子とか食べてね。
あ。
「バレてた上に、持って来てる……」
上述の背景により。
母の希望通り、当日中に地元に帰る
道中、彼は心底、思った。
こんなヤンデレと、付き合うんじゃなかった、と。
けど、それ以上に……ひとっ走り付き合って、
こうして、
二人の健闘も虚しくり
それぞれに、新たなパートナーを見付け。
時を同じくして。
と言っても、こちらは単なる『冷却期間』。
義理の両親を
残っていた仕事を片付ける名目で、一時的に離れただけである。
そうして、二人の物語は一時停止し。
ケセラキ 〜「弟の義子(でし)」との「座敷わらしべ長者譚(ヘヤリー・テイル)」〜 七熊レン @apwdpwamtg
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