page.15「ヘヤリーとパズル」

日明ひあき』。

 それは、「夜明け」「喪に服する期間が終わる」こと



 樂羽このはと出会い、彼女の名字を知った時。

 (見た目だけなら)神秘的な彼女が、「もり」を冠しているのが、面白かったし。

 それ以外にも運命めいた物を、一楽たからは感じた。



 別に自分の父は、死んでまではいない。

 かろうじて、生き長らえてはいた。



 しかし。

 あの日からは、はじめは人が変わった。



 父親として。

 ヒーローとして。

 男として。



 そんなふうに、一楽たからの憧れていた。

 頼もしくたくましく、眩しい背中。

 色褪せなかったはずの面影は、すでに消え失せていた。

 


 父のピンチに気付きづけなかった、駆け付けられなかった、忸怩じくじたる後悔だけではない。

 そんな失望、絶望感もまた、彼から言葉を奪う一因となっていたのだ。



 そう考えると。

 一楽たからは、ある意味、「喪に服していた」ような状態だった。

 


 でも。

 そんな彼を、樂羽このはは照らしてくれた。

 廃墟に佇む自分に、救いの手を差し伸べ、光を差し込み、声を取り戻させてくれた。

 


 だからこそ、一楽たからは思う。

 今度は自分が、彼女を助ける番だと。



近恵このえさんっ!!」



 ダッシュで帰還する一楽たから秀一しゅういち

 すでに電話で父の現状は伝え済みなので、近恵このえの怒りは収まっていた。



「初めまして……。

 秀一しゅういちの兄の……。

 世城せぎ 一楽たからです……」

「今夜、彼の妻になる、日明たちもり 近恵このえです。

 挨拶も真面まとも出来できず、申し訳りません。

 そればかりか直前に、うちのゴタゴタにまで巻き込んでしまい……。

 ……なんと申し開きをすればいか……」

「必要、りません……。

 さっき、お伝えした通りです……。

 すべては、うちの父……。

 世城せぎ家の、不徳の致す所です……。

 日明たちもりさん一家は、なにも悪くありません……。

 っても、ご納得しないでしょうから。

 それに関しては、この件が片付いたら、互いに示し合わせましょう」

「だな。

 それで、近恵このえさん。

 他の皆さんは?」

「今は、自室で休んでもらっている。

 私だけが、ここに残った。

 母として、君の妻として。

 だが一同、やはり気に病んでおられるご様子ようす

 あれから定期的に、足なりメッセなり、こちらに向かわせてくださっている。

 私の見立てでは、まだ一人として、満足に休めていない。

 おまけに、先程から、呼び掛け続けてはいるが……。

 ……見ての通りだ」

「そんな……。

 やっと……やっと、ここまで漕ぎ着けた、取り付けられたってのに……。

 親父、あんななって……。

 折角せっかくの結婚、滅茶苦茶にされ掛けて……。

 ようやく、厄介払い出来できたと思ったのに……。

 俺が……俺達が、間違ってたってのかよぉっ!!」



 ひざから崩れ、床を殴ろうとして留まる秀一しゅういち



 今日は、秀一しゅういち絡みでの未曾有みぞう尽くしだ。

「兄さん」と呼ばれたのも。

 兄扱いされたのも。

 今まで「歳の離れた幼馴染」くらいにしか思われてなかったのに。



 それに、なにより。

 ここまで秀一しゅういちが、感情を剥き出しにしているのも。



 となれば。

 やっぱ、ここは俺が。

 兄貴が、師匠が、どうにかしなきゃだよな。

 


 そう、一楽たからは決心した。



「すみません。

 あとは、俺に任せてくれませんか?

 策なら、もう講じて来たので」

「……そう仰って頂けるのは、助かります。

 ですが、しかし……」

「この通りです。

 どうか、お願いします。

 俺、今まで……彼女から、恩しか受けてない。

 なにも、出来できてないんです。

 こんな時くらい……彼女のために、役立ちたいんです」

一楽たからさん……」



 姿勢を正し、頭を垂れる一楽たから



 彼の切実さが伝わったのだろう。

 ほどくして近恵このえは折れ、引き下がる。



「……分かりました。

 どうか、娘を、お願い致します」

なんか、俺と樂羽このはちゃんが結婚するみたいですね」



 空気を緩めようと軽口を叩く一楽たから

 当然だが、夫婦に揃って睨まれた。



 仕切り直して。

 深呼吸し、ドアの前に立ち。

 一楽たからは、樂羽このはに向けて話し始める。



日明たちもりさん。

 俺だよ」



「……せん、せぇ……」



 狙い通り。

 樂羽このはは、応えてくれた。



 けれど、その声は弱々しく。

 彼女の流す涙を、恐怖を覚えさせた。



「急に、なくなって、ごめん。  不安に、させちゃったよな。

 なんたって相手が、あの分からず屋だしさ。

 でも、安心してくれ。

 君の父さん、シュウが、ある程度まで説き伏せてくれた。

 俺は、ただ、見てるだけ。

 相変わらず、なんもしてなかった、出来できなかったけどさ」



 後頭部を掻き自嘲し。

 一楽たからは、顔と気を引き締める。



「それとさ、日明たちもりさん。

 ……怖がらせて、ごめん。

 なにも知らなくって、ごめん。

 身内が……俺の父親が。

 君を、深く傷付けた。

 本当ほんとうに、ごめん」

なんで……。

 先生が、謝るんですか……?

 先生……なにも、悪くない……。

 前の件なら、もう……」

「ああ。

 撤回して、謝罪して、仲音なことさんに投げられて。

 俺の、失言のみそぎは済んだ。

 でも、俺の父親の分は、完済してないんだよ。

 正直、七面倒だけどさ。

 それが、『家族』ってものなんだよ。

 あの人、今、増長してるから。

 自分が世界を回してるもりでいるから。

 多分もう、何言っても無駄だ。

 自分から謝るビジョンなんて、想像出来できない。

 だったらさ……俺が、謝るしかいんだよ。

 あの家を継いだ名義人。

 長男不在の穴埋め役。

 今の世城せぎ家の、家督として」



 向こうから、見えるはずなんていのに。

 穴が空いてるタイプの扉でもないのに。

 隙間だって、開いていないのに。



 それでも、一楽たからは頭を下げた。

 みずからの非礼を、身内の不始末を詫びた。

 


 こういうのは、形から入るべき。

 電話口でも、なんとなく態度が伝わるように。

 ほんの少しでも誠意を見せたくば。

 こうするのが、一番いちばんなのである。



 そんな彼の懺悔が届いたらしい。

 少しして、部屋から声が聞こえる。



「私……ずと、考えてたんです。

 今日、お母さんに捧ぐ、スピーチを。

 けど……全然、駄目ダメで」



 一楽たからは、ハッとした。

 樂羽このはが、長くしゃべろうとしてくれていることに。



 理由は、ぐに予測出来できた。

 自分と彼女を隔てる、1枚の扉。

 彼女は今、人前には立っていないからだ。



「あの日から、言葉が、上手うまく、引き出せなくて……。

 けど、他の人には、譲りたくなくて……。

 どうしても、私が、お母さんを一番いちばんに祝いたくって。

 お母さんの娘は、二人るけど。

 私のお母さんは、一人しかないから」



 胸を打たれるような、迫真の言葉。



 一楽たからの後ろから聞こえる、二人分のすすり声は。

 きっと、幻聴などではない。



「……だから、先生に、近付いたんです。

 先生なら、きっと、参考になてくれる。

 私の足りない言葉を、埋めてくれるて。

 私に今日のスピーチ原稿を、書かせてくれるて。

 なにより……あの人への嫌悪感、恐怖を、浄化出来できる。

 あの人に似てる先生と、触れ合いさえすれば、免疫が出来できて。

 私も……私の言葉を、取り戻せるんじゃないかて」



 立ち返ってみれば。

 樂羽このはについて、一楽たからほとんど知らなかった。



 彼女が、自分を助けに来てくれた真意も。

 彼女が、人前では上手うまく話せなくなる背景も。



 自分は、もっと樂羽このはと向き合うべきだった。

 家族だし、異性だし、年下だし。

 曲がりになりにも同居人。

 そしてなにより、師匠として。



「……分かりますか? 先生。

 私は、あなたのためだけに、世城せぎ家に居着いた、いついたわけじゃないんです。

 そもそも、あなたを救ったのだて。

 どうしても先生に、出席してしかたから。

 これ以上、欠席者を増やしたくなかたから。

 そんな……自分勝手な、経緯なんです。  と、同じ……」

「違うっ!!」



 あまりにひどい謙遜を、一楽たからが即座に切り伏せる。



 こういう感覚か。

 仲音なことさんがまれに言う、『本人だろうと、侮辱は許さない』というのは。

 確かに、中々どうして、面白くない。



 カッとなってしまった頭と心を冷まし。

 さまにならない愛想笑いを添えて。

 一楽たからは、続ける。



「……急に騒いじゃって、ごめん。

 なんか今日の俺、マシマシで日明たちもりさんに謝ってるな。

 本当ホント、ごめん。

 でもさ、日明たちもりさん。

 それは、本当ほんとうに違うよ。  全然、どこも、『同じ』なんかじゃない。

 だって君は徹頭徹尾、自分本意な、あの人とは違う。

 君が、俺に近付いたのは。

 すべて、『お母さんのため』なんだろ?

 だったら俺、君を責められない。

 こんなにも優しい、一途で健気けなげな君を。

 糾弾なんて、出来できないよ」

「でも、私……!

 そのために、先生をだまして……!」

「君は、俺を『だまして』なんかいない。

 俺が、意図的に、自分から『だまされに』行ったんだ。

 君はただ、ちょっと『黙って』いただけだ。

 俺も、そこまで君に興味を持てなかった。

 そんな気分、身分じゃないからって、詮索せず。

 ただ、ありがたく恩恵に預かっていたにぎない。

 君は、ズルくも悪くもないよ」

「私は……!

 先生の気持ちを考えず、かんがみずに、さらに傷付けて、追い込んで……!」

いんだよ、日明たちもりさん。

 俺のが、ちょっと特殊ケース、分かりづらかっただけだよ。

 第一、1週間そこらで、そこまで読み取れるはずいだろ?

 ただでさえ、家庭内別居みたいな感じで同居してて。

 生活リズムも、まるで異なってたしさ。

 てか、ニートの分際で折角せっかく、作ってもらったご馳走を食べ残す。

 そんな俺が罰当たりだったんだよ。

 君の責任なんかじゃない」

「それだけじゃない……!

 いくら、『文学的な人にお仕えする』のが、小さい時からの夢だったからて……!

 灯頼ひよりくんと、先生との間で、みともなく揺れ動いて……!

 そのくせ、結局、先生を選ばなくて……!

 それでいて、灯頼ひよりくんに頼むのは恥ずかしいからて……!

 先生と仲良しでもある彼から、オーケーもらえたからって……!

 現状維持のまま、甘えたがるなんて……!」

「俺にだって、仲音なことさんがる。

 君が俺を、『師匠』としか思っていないように。

 俺だって君を、『妹』『家族』としか見ていない。

 てか、耳掃除とか、ベッド別での添い寝とか、軽めのハグとか。

 精々せいぜい、その程度だったろ?

 これくらいなら、セーフだよ。  君やオージ、仲音なことさんが許してくれてるうちは」 

「でも、私……!

 なにも、書けなかた……!

 なにも、変われなかた……!

 1ヶ月も、先生と一緒に暮らしてたのに……!

 あんなに、相談に乗ってもらた、構ってもらたのに……!

 ただ、壊して、家事して、うつつを抜かして……!

 夏休みの宿題よりも大事な課題を……!

 原稿を、少しも進められなかった……!

 先生みたいに、なりたかたのに……!」



 一楽たからは、みずからを恥じた。

 結局の所、自分こそが、父と同じ。

 他者に心なんて開かない、生粋のエゴイストだったのだと。



 本来の自分なら、気付きづけたはずなのだ。

 彼女が言葉を失うのは、『人前』限定であると。

 そして、その打開策として、今日みたいなこと出来できはず



 だのに。

 それを怠った。

 行おうとなんて、して来なかった。

 聞く耳なんて、少しも持とうとしなかった。



 あれだけ、お世話になっておいて。

 自分は、彼女になに出来できていなかった。

 大人おとななく、みっともなく、縋っていただけだなんて。



 控えめに言って最低、屈辱の極みでしか、ない。


 

 それでも。

 背徳感と後悔で押し潰されそうになりながらも。

 一楽たからは、言葉を紡ぐ。



「……日明たちもりさん。

 一つ、誤解してるよ。

 俺だってなにも、すべての言葉が閃くわけじゃない。

 頭の中に響くのは一部、プロモーション染みたキーワードだけ。

 生憎あいにく、他の作家のスタイルは知らないけどさ。

 俺に関しては、そう。

 ほとんどアドリブ、ノー原稿、出たとこ勝負だよ。

 そうやって、一番いちばん読ませたい、エモらせたい、名言かもしれない所に行き着くまで。

 他の、つなぎのピースで補填して。

 ここぞって時に、一気に爆発させ、消化させる。

 あるいは、『テーマ』という枠に沿って、型を埋めて行く。

 要はさ……『パズル』みたいな物なんだよ」



 一楽たからは、時計を見た。



 時刻は、午後1時。

 式の開催は、午後6時。



 残り時間は、あと5時間。

 いや……写真撮影や、親族への挨拶も加味したら、もっと迫られ、狭められるだろう。



 その間に、樂羽このはを説得し、部屋に入れてもらう、ないしは出てもらう。

 それだけに飽き足らず、今度はスピーチ原稿を用意させようだなんて。

 どう考えても、無理難題でしかない。  


 どれだけ器用でも、母親思いでも。

 今の樂羽このはは、一介の女子高生。

 第一線でこそないものの、10年近く作品で食べて来た自分とは、訳が違う。



 だったら、もう。

 こうする以外に、他に道はい。

 


「……俺さ。

 ずっと、望んでたんだ。

 こんな贖罪が、俺にも訪れてくれることを」



 廊下のシャンデリアを見上げ。

 わけも分からぬまま泣きそうになりながら。

 一楽たからは、自分語りをする。



「シュウと違って、真面まともじゃなくて。

 いっつも、いっつも、空気読めなくて。

 スベってばっか、地雷踏んでばっか。

 うだつが上がらなくて、自己嫌悪ばっかで。

 他の作家がデビュー、メディア化決まる度に嫉妬して、ひがんで。

 案のじょう、アニメや実写が不運に見舞われると、せせら笑って。

 かく、悪趣味で、性悪で。

 結婚なんて、夢のまた夢でしかなくて。

 ……そんな、俺でもさ。

 弟の結婚式くらいには、出させてしいと。

 そう、願ってたんだ。

 っても、今となっちゃ、説得力とか皆無だけどさ。

 現に、君に助けられるまで、不参加決め込んでたわけだし」



 声がくぐもらないように注意し。

 一楽たからは、続ける。



「最早、単なる無い物ねだりでしかないけどさ。

 夢の中ではさ。

 きっと、その頃には俺も、一端いっぱしになっててさ。

 多少なりとも兄貴、社会人になっててさ。

 スーツだって、パリッとしたの新調しててさ。

 そこそこ、実力や実績も兼ね備えててさ。

 参列者の人達に、サインや握手を求められたりなんかしてさ。

 なにより、『スピーチ』だって、任されててさ。

 そんなふうな、大人になれてたらって。

 ……まぁ。現実なんて、世知辛いんだけどさ。

 今の俺、無名どころか、働いてすらいないんだけどさ。

 それでもさ、日明たちもりさん。

 俺も、男で、作家で……兄貴だから、さ。 それなりに、覚悟決めたんだよ。

 ……だから」



 視線を、ドアへと戻し。

 一楽たからは、樂羽このはげる。

 


日明たちもりさん。

 俺、やるよ。 

 俺も、君に付き合う。

 君にばかり、辛い思いを強いない。

 君は、俺の『弟子』で。

 俺は、君の『師匠』なんだろ?

 君が言葉に、パズルに挑むんなら。

 俺だって、挑戦する。

 もう君を、決して一人になんてしない。

 させたくないんだ、絶対に」

「先生……!

 そんな、まさか……!?」



 ここに来て、樂羽このはは把握した。

 一楽たからが、どれだけのリスクを背負って今、自分の前に。

 ドア越しに、立っているのかを。



 父を断罪した、彼でさえ。

 ともすれば、結婚式をち壊さんとしていることを。



「そんなの……!

 ……そんなの、出来できこない……!!

 間に合いこ、ない!!」

「だったら!!

 俺が、証明してやるよっ!!

 ミナミさんから、世城せぎ家の家族紹介を引き継いだ、この俺がっ!!」



 ドアに組み付き、軽くぶつかり。

 我慢を、背伸びを、猫撫で声を。

 特別、子供扱いをめ。

 一楽たからは、樂羽このはに訴える。



「『1時間』だ!!

 それだけりゃあ、事足りる!!

 その間に、うちの紹介用の原稿を、俺が用意してやる!!

 証拠としては、充分だろ!?

 そんで、君の分の作成も手伝う!!

 君の届けたいメッセージ、全部乗せろっ!!

 りったけの思いを、記憶を、言葉に変換しろっ!!

 拙くても、足りなくても構わないっ!!

 あとは俺が、全部どーにかしてやるっ!!

 整合性の取れる範囲で、縫い合わせてみせるっ!!」

なん、で……!!

 なんで、そこまで構うんですかぁっ!?」

「ここまでおれの面倒見といて!!

『構ってください』って、あんだけせがんどいて!!

 対等な交換、協力条件求めといてっ!!

 人を散々さんざん、『先生』扱いしてっ!!

 ここまで俺の日常に、家に、人生に、廃墟こころに介入、滞在しといてっ!!

 今更、構われずに済むと思ってんじゃねぇよ!!

 この期に及んで、白ばっくれんじゃねぇよっ!!

 俺に遠慮なんか、しようとしてんじゃねぇよぉっ!!」



 図らずも、月星つくしと同じ言葉を、樂羽このはに届ける一楽たから

 それは、彼が思っている以上に、樂羽このはに刺さった。



 16年もの歳月で積み上げて来た、月星つくしとの関係性。

 彼は、ものの1ヶ月で、そこまで追随して来たというのだ。

 驚異的なペースである。



 いな

 少し、違うかもしれない。



 く聞くではないか。

『恋するまでに、時間なんて関係い』と。



 自分と一楽たからの中に、色めいた趣旨などい。

 けれど、憎からず思い合っているのは、事実。



 ブランクこそれど。

 色んな意味で、決して老若男女に好まれる経歴ではないにせよ。

 


 この人なら、信用に足る。

 


 この人なら……信じてみたく、なる。



「君の憑くべき部屋は、そこじゃない。

 やっと、俺にもツキが回って来た。

 散々さんざん、貯まってたツケを、

君に返せる。

 黙って、付け上がらせろ。

 とっとと、そっから出て来て、俺に請 願、懇願しやがれ。

 ……『樂羽このは』さん」



 こんな私を怒らず、責めず、受け入れ、歓迎し、助けてくれる。

 ナヨナヨした自分を捨て、等身大で、私を見てくれる。

 同じ目線で、私と並び立ってくれる。

 そんな……今の、この人なら。



「こ、樂羽このは……!」

「い、今まで、そんな近くにっ!?」



 固く閉ざされていたドアが、やっと開き。

 正に、目と鼻の先に樂羽このはが、姿を見せ。



 目を閉じ、深く息を吸い。

 割と平気なのを、肌で感じ。



 電気さえ点いていなかった、暗がりを去り。

 樂羽このはは一歩、前に出た。



「……先生の、ヘタレ虫。

 私、確かに言いましたよね?

 『めてください』って」

「俺も言ったはずだ。

 『こんな歳にもなって、はむず痒い』ってな」

「折衷案、ですね」

「みたいだな」

「歳とか関係く、性分のくせに。

 逃げてばっかなんて、格好かっこ悪ぅ」

うるせー。

 すっかり小生意気、毒舌になりやがって。

 益々ますます、ヘヤリー要素スポイルされてんじゃねぇか」

「お義祖母ばあ様が、勝手に付けただけです。

 自称でも公称でもないです。

 私が、とやかく言われる筋合いなどりません。

 それより、先生こそ。

 よくもまぁ、おめおめと大口、叩けましたよね。

 今や、れっきとした、社会に誇るべき、立派なニート。

 私と仲音なことさんがなきゃ、日々の生活すら成り立たない、家事不得手の脆弱者の分際で」

「んなもん、あと数日の話だろ。

 っとけ」

「いいえ、お断りします。

 これからも、断じてっときません。

 あなたから受けた大恩を、完済するまで。

 あなたからの教えが、無くなるまで。

 この命のる限り、あなたに尽くし尽くします。

 あなたに従い、お慕いし。

 必要とあらば、従わせます」

「おー、こわぁ。

 精々せいぜい仲音なことさんに刺されんなよー」

「ご心配く。

 現代は、女性の味方なので。

 その気にさえなればいつでも、世論を味方に付け。

 ディープ・フェイクやカマトト、ヘヤリー力によって洗脳、扇動し。

 先生を、社会的にほふれるので」

「お前、破門っ!!」

「どうぞ、ご自由に。

 されませんし、させませんし。

 どうせ、させられませんので。

 なんせ先生は今や、共にした仲である私に、でごですからねぇ」

「ねーお前、そこまで言っといて結局、家族、弟子止まり、ヒロイン未満って、どんな気持ち?」

「ハラスメントです」

はえぇよ、ほふるのっ!!

 早々に、気まぐれで切り捨ててんじゃねぇよぉっ!?」



 バチバチとメンチを切り。

 秀一しゅういち近恵このえを戸惑わせ。

 かと思えば、どちらからともなく笑い合い。



「……ようやく、ちゃんと話せましたね」

本当ホントにな。

 ったく……世話ぁ焼かせやがって」

いじゃないですか。

 正当な対価ですよ。

 私だって、手間暇掛けてお世話して差し上げてるんですから」

 


 緊迫したムードを、なごやかに締め。

 一楽たからが、右手を差し出した。



「冗談は、このくらいにして。

 事態は、一刻を争う。

 さぁ……修羅場ろうぜ、樂羽このはさん。

 楽しいけわしい、缶詰め地獄。

 言葉たから探しの、始まりだ」



 リードせんとする、師匠の腕。

 それを握り、弟子は笑顔を返す。



「……はいっ!!

 よろしくお願いします、先生っ!!」

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