page.10「廃墟と福音のメニュー」

 廃墟。

 曇天に覆われた、寂れた、なにい退廃的な、無音。

 


 それが今、一楽たからに捉えられる世界。

 彼が望んだフィルター、環境である。



 だから、キッチンの換気扇も消した。

 静かで平穏な山奥暮らしに、感謝した。

 常にヘッドフォンをセットしているかのごとく、無意識にノイキャンしまくっていた。



 そうすれば、そうでもしなければ。

 自分の中の声が、聴こえないと思ったから。



 常にゾーンに入っている。

 と言えば、耳通りはいが。

 肝心の声が聴こえない以上、単なる苦行でしかない。

 


 きっと、仲音なことには、そこら辺を気取られたのだろう。

 一時的に、戻ってくる前提とはいえ。

 気付きづけば彼女すら、一楽たからの前から姿を消していた。

 


 けど、駄目ダメだった。

 大好きなアニメや特撮の新作を見ても、声や音、内容がまるで入って来ない。



 だから、既知の作品をプレイ・バックするしかかった。

 それなら、過去の記憶を穿ほじくり返せば、まだ事足りた。



 発想を逆転させ、食事にのみ専念しようともした。

 しかし、不可能だった。

 どうしたって、両親とのピリピリした風景。

 熱くも寒くもある空気に、肌を焼かれそうになる。

 冷房や扇風機もく、窓も開けていなくても。

 真夏だというのに、内側から冷やされてならない。



 だから、ながら食べは止められない。

 誰かとの外食ならともかく。

 そうでないと、そもそも箸が進まない。



 そんな製作者に失礼、不義理な形ではあるものの。

 満足に楽しめるかどうかはさておき。

 しっかり刺激、インスピレーションは受けられた。



 が、やはり、台詞セリフは書けず。

 またしても、狂いそうになる。



本当ほんとうに声が聴こえなくなっただけではないか?」

 そう淡い期待を抱き、試しに独り言を増やしてみた。

 ヘッドフォンも新調し、イヤフォンも試してみた。

 結果、無駄に終わった。

 


 自分の耳は、至って正常。

 そう、耳鼻科でも診察された。

 不調なのは、メンタル面だと思い知らされた。

 


 そんな1週間を、一楽たからは強いられ続けていたのだ。

 これでは、ニートになったとて、誰が責められようか。



 気付きづけば一楽たからからは、味覚すら失われつつあった。

 いや……五感その物が、正常に機能しなくなりつつあった。

 現実と空想とで、判別が付きにくくなっていた。

 


 例えば昨日の、めり壁少女事件。

 あれだって、もっと早く気付きづけたし。

 そうじょなくても、もっと仰天していたはず



 にもかかわらず。

 一楽たからは、至って冷静に、紳士的な振る舞いをしてみせた。

 面白いリアクションなんて、少しもしなかった。



 それは、彼が何事にも動じないタイプだからではない。

 単に五感、精神のバグにより、ラグが生じていたにぎないのだ。



 といっても、仲音なことが帰って来たさい

 命の危険まで感じると、流石さすがにズレはくなるようだが。



 そんな彼を気遣い。

 京一きょういちと、どこかへ食事に行く機会も、数日でくなった。

 もっとも毎回、彼の奢りだったのだが。



 不意に、みずからの体が、空腹を知らせた。

 しかし、食欲がいし、味も分からない。



 それに、満たされていないのは、ではない。

 おのである。



 自分の中にる理想に、文字という形を与え。

 それにより、空白と空っぽを埋め、童心に帰り、多幸感と満足感を得る。



 前に他者に話した時は、理解を得られなかったが。

 一楽たからにとって、創作とは『心の食事』であった。



 毎日でも続けたい、味わいたいほどに夢中になり。

 他の物では代用出来できない、「これじゃない」と解釈、気分違いとなり。

 それでいて、生きるために必要な、貴重な栄養素。

 


 が。

 そんな創作ですら今、一楽たからを困窮させていた。

 何故なぜなら、キャラが言葉を発しない。

 絶えず、サイレントだからだ。 


 

「は……。

 はは、は……。

 流石さすがに、ぼちぼち……。

 ……限界、かな……」



 体の感覚すらくなり、倒れる一楽たから

 立ってるのかどうかはおろか、部位の位置すら分からず。

 最早、動ける気すらしなかった。

 そこまで疲弊、摩滅していたのだ。



「……いかな……。

 もう……絶版、でも……」



 一楽たからは、すべてをあきらめた。

 思考を、命を、未来を。

 すべてを、放棄した。



 仲音なことと、結ばれるルート。

 母からの、惚気のろけ電話。

 京一きょういちと、味わう豪食。

 樂羽このはとの、愉快な日々。

 月星つくしとの、ラブコメ談義。

 灯頼ひよりへの、揶揄からかい。



 そして、なにより。

 来月に控えた、今夏のメイン・イベント。

 弟の、結婚式。



 別に、参列するもりは、さほどかった。

 今の自分は、単なる無職。

 それに、肝心な時に、仕事にうつつを抜かしていた負い目もる。

 とてもではないが、そんな気分、身分ではない。

 弟に、恥をかかせたくはない。



 やはり、自分も、二人と同じ。

 留置所にる兄や、海外にる父よろしく。

 最初から、不参加の姿勢を徹底するべきだった。

 中途半端に仄めかすから、いけなかったんだ。

 そうすれば当日、式を台無しにするリスクもかったろうに。



 自分みたいなワナビが、不相応な願望を持ち過ぎたのだ。

 所詮、なにも得られなかった、なり損ね。

 人生の、完敗者だというのに。



 ふと、一楽たからの視界に、何者かの靴が入り。

 かろうじて残っていた、なけなしの力を振り絞り、顔を上げる。



 刃のように輝く、銀の長髪。

 鋭く刺さる、切れ長の瞳。

 大人びた容姿とは裏腹の、どこか幼い雰囲気。

 


 そんな、著作『オリジン』のヒロイン。

 織守おりがみ 凪鶴なつるが、そこにて。



 何故なぜか、自分の体を、木の枝でツンツンしていた。

 かと思えば、膝に手を当て、一楽たからを覗き込み。



「目視、完了。

 生存、確認」



 一楽たからにとってはお馴染みの。

 文学めいた口調を、作者に披露する。



 一楽たからの書いたことい、生まれていない。

 今まではずの、台詞セリフを。



「は……。

 はは……。

 これは……幻聴、か……?」



 なおも疑う一楽たから

 が、ほどくして、現実だと認めざるを得なくなった。

 不満そうな凪鶴なつるに、頬を思いっ切り抓られたことで。



「い、いたたたたたたたっ!!

 え、え、え!?

 なにっ!?」



 危険を感じ、後退る一楽たから。  が、そこまで来て、彼は仮説を立てる。



「……もしかして……。

 ……仲音なこと、さん?」

「人を指差すな、無礼者」

「はい、さーせんっ!」

「分かればよろしい。

 にしても……一瞬、バレなかったか。

 やはり、あたしの再現力は申し分いな」



 ウィッグを外し、見慣れたショートになる仲音なこと

 そのまま、彼女はバスケットを、一楽たからに渡す。



「食せ」

「え?」

いから」



 食べ物が入っているらしい。

 逆らっても怖いだけなので、一楽たからは従い。

 そのまま、中を物色する。



 ホット・サンドだ。

 ハム・チーズやツナ、ポテサラやハンバーグ、ジャムなどのデザート。

 様々な種類のホット・サンドが、所狭しと並べられており。

 一楽たからは、思わず喉を鳴らし、よだれこぼしそうになってしまった。

 


 久し振りだった。

 外食でもないのに、ここまで「食べたい」と、体が訴えたのは。



「……いただきます」



 出された以上、召し上がるのが礼儀。

 食欲により、不思議と動くようになった体を起こし。

 一楽たからは早速、食べ始め。



「……え」



 ーー刹那せつな

 呼吸を、し忘れそうになった。



 目の前に、仲音なことの変装ではない。

 本物の凪鶴なつると、主人公こと進晴すばるの、イメージが見えて。



「すっげー!

 超美味おいしそうっ!」

「ハル。

 いつも、『美味おいしそう』って言う。

 決まって、『美味うまそう』とは言わない。

 凪鶴なつる、不思議」

「え?

 だって、そっちのが『美味おいしそう』じゃない?」

「分かるような、分からないような」

なんでもいって!

 それより、もう食べていっ!?

 むしろ、食べるっ!!」

「どーぞ。

 たーんと、お食べ」

「いや、犬かっ!?」

「さして変わらない」

「ははっ!

 ひっでー!!」

「ハル。

 おすわり」

「ワンッ!!

 って、こら!

 やらすな!」

凪鶴なつる、飲み物、用意した。

 あと、ビスケットも」

「安定のマイペースっりっ!!

 サンキュー、愛しの凪鶴なつる!!」

「ボッシュート」

「わぁぁぁ!

 すんませんした、凪鶴なつる大明神様ぁ!

 どうか私めに、チャンスをぉっ!

 あなた様の、お恵みをぉぉぉぉぉ!」

「冗談。

 あと大声、大袈裟。

 はい、これ。

 どーぞ」



 ついには、しゃべり始める二人。

 レジャー・シートの上で、ピクニックを満喫する。



 これだけ見ると、有り触れたカップルの、微笑ほほえましい日常風景だが。

 一楽たからには、その事実が笑えなかった。



 何故なぜなら。

 一楽たからは、そんなシーンを、書いていない。

 そもそも劇中では、終盤の辺りまで、二人は厳密には付き合っていない。

 


 つまり、これは、空白の4年間を作者みずからが記した、世に出ていない2次創作であり。

 創作物の声が聴こえないはず一楽たからへの、福音。



「ば……!!

 馬鹿バカ、な……!?」



 そもそもの話。

 一楽たからには、「食」絡みで、家族との思い出がい。

 彼の両親はそろって、惣菜やデリバリーなどで済ませるタイプだった。

 手製の料理を振る舞われたことなど、一度たりともかったし。

 二人と訪れた飲食店は、くだんの極寒ムードの所為せいで、あまり味を覚えていない。



「グルメカジ◯で負けてもノーダメ」だとか。

「モットウバウゾ◯も逃げ出すレベル」だとか。

 そう言えば、聞こえはいやもしれないが。

 実際の所、どうしても空虚さはいなめない。



 早い話。

 憧れも素材もい手前。

 一楽たからの自作にて、食事絡みのシーンなんて、そう多くも長くも無かった。

 膨らませられないし、というか書きたくすらなかった。


 

 であれば。

 こんなに話が弾んでるのも可笑おかしいし。

 ここまで楽しそうにしてるのも変だし。

 これほど、ビビッドに、身近に捉えられるのは不可解である。



 何故なぜ、このような、現象が……?



「簡単だ。

 彼女が補填、アレンジしたんだ。

 自身の記憶と知識、食歴と想像力によって」



 横に立つ仲音なことの言葉を。

 一楽たからは、にわかには信じがたかった。



「……まさか。

 そんなこと出来できる人間が、どこにるって」



 否定しようとして、めた。



 たのだ。

 一人……たった一人だけ。

 そんなことさえ可能に出来できそうな。

 それほどの器用さを有している、自分と関わりのる女性。

 くだんの、心当たりが。



「ご名答。

 褒美を遣わそう。

 彼女こそ、我が家の誇るヘヤリーにして、お前の救世主」



 ラスボスでも紹介するように、口上をする仲音なこと

 彼女の背後から現れたのは、オレンジの髪とエメラルドの瞳を持った少女。



日明たちもり 樂羽このはだ」

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